
もしこのクルマが、このRV時代に生まれていたら、果たして、どのような反応を得たか。これはちょっと興味深い歴史の《イフ》である。
初代のプレーリーは、そのデビューが早すぎた。あまりにも、早かった。1982年、レクリエーショナル・ビークルや「RV」といった用語はまだなく、このモデルを分類して評価できるような“準備”は、マーケットにもカスタマーにもなかった。
当時の自動車工業会のガイドブックでは、このクルマは商用車に分類されている……とは、もちろんジョークだが、80年代初頭という時点で、プレーリーのような格好をしたクルマを「乗用車」として日常的に使おうという人は、まだまだ少数派だった。他のジャンルと識別するための「乗用車」という言葉は活きていいたし、個人が個人用に走らせるクルマはこうでなければならない……といったイメージも、けっこう強固だった。
この初代プレーリーの造型は、スクエアでシンプル。無用なオシャレはしないとでも言いたげな素っ気ないハコだった。ただ、そんな外観でも意欲と提案は抱えていて、ボディにはセンターピラー(Bピラー)は存在せず、「観音開き」というカタチで開く四枚のドアを開けると、そこは“吹き抜け”だった。低い床はそれこそウォークスルーで、歩いて向こう側へ行けた。今日であれば、そんな特性はすぐにニュースになり、キャンピング仕様などのさまざまなカスタマイズが行なわれるのではないか。
登場が10年早かった初代プレーリーは、当時の目には奇異に映ったスタイリングも災いしてか、マイナーなままで終わる。そして、プレーリーが二代目になる頃には、今度は周りには同じような狙いのクルマが多数出現していた。
80年代の“醜いアヒルの子”は、90年代になっても“白鳥”になることはなく、群れの中に埋もれてしまった。しかし1982年という時点で、このカタチの「乗用車」を提案したメーカーの先見性と勇気は、やはり歴史に記録されるべきであろう。
(「カーセンサー」誌、1995年。「昭和名車伝」より加筆修正)
♯「昭和名車伝」のシリーズは、今回をもって終了と致します。お読みいただき、ありがとうございます。
ブログ一覧 |
クルマ史探索file | 日記
Posted at
2015/06/03 23:38:33