
1993年のル・マン24時間レースを走り終えたトヨタTS010は、ちょっと“虚ろな表情”で撮影スタジオにやって来た。虚ろな……とは気のせいではなく、TS010は“眼”(ヘッドランプ)を失っていたのだ。このマシンに付いていた高性能のヘッドランプは、スパ24時間レースに出場するトヨタ系のレーシングカーに移植されてしまったのだという。
これで、いくつかのことがわかる。まず、ル・マン・カーのトヨタTS010には、滅多なことでは手に入らないような(?)ヘッドランプが付いていたこと。さすが、バリバリのワークス・マシンは、そういう中身ということか。そしてもうひとつは、もうTS010の役目というのが終わってしまったこと。とりあえず、このクルマはもう臨戦態勢である必要はないという事実である。既にしてこのマシンは、過去のクルマになりかけているのだ。
3.5リッター/NAエンジンのスポーツ・プロトタイプカーは、感傷的な表現を用いるなら、みんな不幸である。V12ユニットを積むニッサンのNP35というクルマは、ついに本格的な実戦経験を持つことがなかった。このTS010は、ニッサンに較べればきちんとした戦歴があり、ル・マン24時間にも二回の参加暦があるので、NP35よりはマシかもしれない。……が、それでも“最後の夢”とした1993年の「ル・マン」ではリザルトを残せなかった。
ともかく、ターゲットとしたSWC(スポーツカー世界選手権)というレース・カテゴリー事態が消滅してしまったのだから、これは辛い話である。祭りに参加したいなら、新しいミコシを作って来いといわれ、その通りに作ってみたら、その祭りがなくなって、もうやらないというのだ。そのリードタイムはとても短く(ニッサンはこの点に対応できなかった)それに追いついて、さあ、これからだ!……とした時にステージが消えてしまった。トヨタの場合はこれに近いのではないか。
ただし、トヨタTS010というレーシングカーは“駄馬”ではなかった。SWC最後の年となった1992年には、シリーズの全6戦すべてに出場。優勝1回、2位2回、3位も2回。リタイヤは、わずかに一戦のみ。SWCの短い歴史の中でウイナーとなった日本車は、このTS010だけなのだ。(1992年第1戦・モンツァ)
(厳密にいうと、1991年の「ル・マン」はSWCのシリーズに入っていたので、このレースに勝利したマツダも、SWCのウイナーということになる。ただ、この時のマツダは、エンジンはもちろんロータリーであり、「3.5リッター/NAエンジン」というフィールドのクルマではなかった)
以上のようなリザルトの結果、1992年SWCで、トヨタはメイクス選手権で2位に入っている。また、二回の2位のうちの一つはル・マン24時間である。そして、この双方の1位がプジョーであった。
こういう経緯を経て、1993年の「ル・マン」は、トヨタが宿敵プジョーに挑む最後の年となったのだ。この種のグループCレーサーが「ル・マン」を走れるのは1993年までといわれており、トヨタも、そしてプジョーも、そのラストイヤーを勝利で終えようと、ワークス同士が対決したのである。
……結果は、ご存じの通り、プジョー905の1~2~3フィニッシュ。トヨタTS010は4位が最上位で、プジョー陣営の一角すら崩せなかった。敗者トヨタに対する評は、その参戦態勢への疑問までも含む辛口のものが多いようだが、敗れるべくして敗れた……とまで言ってしまうのは、ちょっと酷のように思う。
「92」から「93」へ。TS010は「ル・マン」に勝つべく、いくつかのモディファイを行なっている。まずは、シャシー/ボディでの30㎏の軽量化。エンジン許容回転数の1000回転アップ。8000回転付近を重視してのトルクの盛りつけと、トルクの谷間を作らないようなチューニング。サスペンションのジオメトリーの見直し。また、92モデルはコクピットが暑かったため、ラジエターホースの配置の変更がなされ、6速のミッション/シフトも、より入りやすいものへと変えられた。
この新サスとジオメトリー変更によって、1993年のトヨタはミシュラン・タイヤで「ル・マン」に挑んだが、そのソフトからハードまでのすべてのコンパウンドを選ぶことができた。一方のプジョー905もミシュラン・ユーザーだが、実際はハード・タイプしか履けず、監督のジャン・トッドがミシュランに、トヨタに違う(特別な)タイヤを供給しているのではないかと抗議する一幕もあったという。
(つづく) ── data by dr. shinji hayashi
(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
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2016/02/25 20:11:41