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2016年02月28日

【クルマ史を愉しむ】vol.11 『自動車の世紀』を読む 《04》

【クルマ史を愉しむ】vol.11 『自動車の世紀』を読む 《04》 ○アメリカの状況
アメリカは、自動車については欧州より出遅れた。1897年のアメリカ車、全保有台数は90台のみ。1900年になっても4129台でしかなかった。アメリカ最古のガソリン自動車はドゥーリエ兄弟によるが(1893年)、現存する銘柄として最も古いのはオールズモビール。

1885:ランサム・E・オールズ、アメリカ最初のガソリンエンジンを製作。
1893:オールズが三輪の蒸気自動車を作った。
このクルマが雑誌で紹介され、記事がインドで読まれて注文が来た。アメリカ最初の輸出自動車はオールズ車だった。

○最初の量産車“カーブドダッシュ”
1897:オールズ・モーター・ヴィークル社、設立。
高級車を生産したが、まったく売れなかった。赤字8万ドル(1900年)。その危機を救ったのが同社の“カーブドダッシュ”。世界初の量産車。誰にでも運転できるやさしい操作、どんな修理屋でも直せる簡単な構造。

1901:プロトタイプ完成。
ダッシュボードにカーブが付いて、丸く反り返っているので“カーブドダッシュ”と名付けられた。
1901:400台を販売。
この年、デトロイトからニューヨークまで、1300キロの耐久走行に成功(7日を要した)。ニューヨークの五番街でスピードを出してわざと逮捕される……という宣伝方法。その結果か、ニューヨークだけで750台売れた。また、ポピュラーソングに「メリー・オールズモビール」という歌詞を登場させた。
1902:オールズモビール、“カーブドダッシュ”を2500台生産。

○自動車技術の新アイデア、続々登場!
「現在、自動車メーカーが“新規”技術として宣伝するもののほとんどは、この時期にアイデアとして生まれている」(著者)

1885:スーパーチャージャーの特許をゴットリープ・ダイムラーが取得。
1899:最初の四輪独立懸架車、フランスのボレー車。
1900:AT車発売。プラネタリーギヤ使用。最初のイギリス製ガソリン自動車であるランチェスターに搭載。技師はフレッド・ランチェスター。
1904:4輪駆動をオランダのシュペイケル兄弟が開発。
1904:前輪駆動、アメリカのクリスティが実用化。エンジンも4気筒を横置きにしていた。
1905:ターボチャージャーの特許を申請、スイスの技術者ビュッヒ。
1907:流体静力学的方式のAT特許をフランスのルイ・ルノーが取得。このアイデアは、その後トラクターや耕運機の駆動系として使われる。
1912:DOHC、フランス・グランプリに出走したプジョー車が採用。

○ヘンリー・フォード
「ダイムラーとベンツを自動車の父とすれば、さしずめヘンリー・フォードは“自動車の世紀”の育ての親といってよい」「フォードは量の追求によりモータリゼーションの開花をうながした」(著者)
1903:フォード・モーター・カンパニー、設立。
1908:T型フォード、デビュー。(タイトルフォト、1908年型)

○フォード・モデルT
クルマは高いもの、金持ちのものであるという常識を打破した。大衆に手の届く価格を設定。安価、軽量かつ頑丈、誰でも取り扱える。低価格車だが、惜しみなく最新の技術を投入。1930年代にフェルディナント・ポルシェがフォルクスワーゲンでこの手法を踏襲する。フレームに、当時は珍しいヴァナジウム鋼を使用。一体鋳造された4気筒エンジン。シリンダーヘッドは取り外し可能でオーバーホールが容易だった。

1909:T型、大陸横断トライアルに参加。
ニューヨークから5台がスタート、そのうちT型は2台。当時の大陸・内陸部には道らしい道はなかった。22日後、シアトルのゴールにT型が最初に到着。一番安いクルマ(850ドル)が最もタフだった。ただちにフォードは、T型のみの生産に集中すると宣言。

○アメリカを変えたクルマ
T型の生産台数
1910:2万0739台。市場占拠率(シェア)11.1%。
1915:41万8100台。市場占拠率43%。価格490ドル。
1924:199万1520台。市場占拠率55.3%。価格380ドル。
1925:価格290ドル。(注1)

T型フォードは「ティン・リッツィ」Tin Lizzie(ブリキ製の安グルマ)の愛称で親しまれた。広大なアメリカ大陸では、交通手段が極度に不足していた。アメリカの国家統一はT型の普及によって、初めて実質的に完成した。西へ行く幌馬車によって開拓された国。「民族の記憶、もしくは集団的無意識が、アメリカ人のトランスポーテーション(交通運搬手段)についてのこだわり、ないしは愛着を生んだ、と説く人がいる。T型はそうした米人のメンタリティにぴったりの乗り物だった」(著者)

○T型のエンジン始動
始動用クランクハンドルを手動で回して、エンジンを掛ける仕組み。その際に、バイクのキックスタート時の“ケッチン”と同じ衝撃を喰らうことがあった。ケッチンとは、英語の“キッキング(バック)”の日本訛り。クランクハンドルが強い力で逆回転すること。これによって、親指の骨を折ることもあった。
 
チャールズ・ケタリングが電気スターターの開発に乗りだし、実用化に成功したのは1911年のこと。

○1500万台の“ブリキ車”
爆発的な普及が、逆にT型の命取りとなる。他社はフォード流の量産方式を学び、同時に、T型とはひと味違うモデルを送り出しはじめた。T型は次第に人々に飽きられていく。しかしヘンリー・フォードは、息子エドセルが、T型をより近代的なモデルに交代させるべきだと主張しても、T型に固執し続けた。売り上げは低下。
1927:6月、フォード・モデルT、生産中止。

T型フォードの累計生産台数は1500万7033台。この記録は、1972年、フォルクスワーゲン・ビートルによって破られるまで、自動車史に君臨し続ける。(注2)T型は「自動車による人間社会の質の変化をうながす最初のインパクトだった」(著者)。

(つづく)

注1:フォードは他社よりも10~15%高い賃金で雇用、1日あたり5ドル、月に130ドルの最低賃金を支払った(1914年)。T型の価格は1924年には290ドルになった。ベルトコンベア労働者を大量消費社会の一員にした……とエリック・エッカーマンは「自動車の世界史」で書く。

注2:このVWビートルの記録を破ったのがトヨタのカローラ。1997年に累計販売が2265万台となり、VWビートル(2134万台)を抜いた。2013年には、カローラの累計販売台数は、ついに4000万台を超えたという。

(このシリーズは、折口透さんの快著『自動車の世紀』(岩波新書)をナビゲーターに、クルマ史におけるさまざまなシーンを見ていきます)
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Posted at 2016/02/28 06:48:28

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