
1991年に「IMSA」GTOのクラスでチャンピオンに輝いた「マツダRX-7」、これが今回のヒーローである。さて、近年話題に上る「IMSA」だが、いったいこれは何の略号か? 答えは「インターナショナル・モータースポーツ・アソシエーション」で、聞いてみれば至極アタリマエなというか、そういう名前の組織なのであった。
ただ、アメリカのレース事情をちょっと考えてみると、この「インターナショナル」(国際的な)という主張には、それなりの理由と意味が込められていることがわかる。つまりアメリカには、まったく国際的でない、アメリカ独自のレース・カテゴリーがいっぱいあるからだ。
たとえば、オーバル・コースで時速220マイル(キロではない!)以上で踏みっきりという「インディ500」とか、あるいは競り合い・ぶっつけ合いアリのストックカー・レースとか、ダートや草の上でドリフトしっ放しのショート・オーバルでのレースとか。ともかくいろんな競走があり、そして、それらのすべてが独自の歴史とスター・ドライバーを持っている。これがアメリカであった。
そんなアメリカ人が、どうもヨーロッパには「アメリカ式」ではないモータースポーツがあるらしい……ということを知ったのは、何と第二次大戦での欧州への出兵時だったというから、歴史はおもしろい。そして戦争が終わっての1950年代、西海岸を中心に、ヨーロッパ的なサーキット・レースをやろうという動きが始まった。
まず、できたのがスポーツカー・クラブ・オブ・アメリカ(=SCCA)という組織で、これのプロ化へのステップとして、1960年代に「カンナム・シリーズ」が生まれた。そう、幻のレーシング・マシン、トヨタ-7ターボが挑戦しようとした(果たせなかったが)あのカテゴリーである。そして、そのSCCAからプロ志向の人々が独立して作ったのが「IMSA」ということなのだ。
こうして1970年代に始まったIMSAのレースは、その国際性の名の通りに、米国以外のクルマもきちんと評価して、そのメンバーに迎え入れた。その主役のひとつとなったのが、コンパクトなくせにやたらとパワーが出る、ニッポンからやって来たロータリー・エンジンだったのである。
マツダ自身がRX-7(初代)でIMSAに初めて挑戦したのは1979年ということになっているが、実はそれ以前から、マツダRX-3(あのサバンナGT)やファミリア・ロータリー・クーペといったマツダ車が、アメリカのレース・シーンを賑わせていた。
その結果、アメリカには“ロータリー使い”といわれるドライバーやチームが多数生まれていた。今回のRX-7のチーム・オーナーであるジム・ダウニングもそのひとりであり、カーナンバー63は、サバンナGTで走っている頃から、彼が自身の番号として使い続けているもの。つまり「62番」とは、ダウニングのチームメイトということを示しているのだ。
さて、この「RX-7」だが、どこが“セブン”なんだよ?……という感想は当然あるかもしれない。ボディはスチールによる、いわゆるスペースフレームであり、それにカウルが被せてあるだけ。一応、フロントウインドーやルーフ周りなど、つまりウエストラインから上については、オリジナル(市販RX-7)の感じを残さなければならないという決まりで、たしかにそのようにも見えてくるのだが、内容的には市販車の改造などではない完全な純・レーシングカーである。
このように、IMSAのGTクラスが「パイプフレーム+カウリング」となったのは、1983年からだった。また、「GTO」と「GTU」というクラス分けは、「グランド・ツーリング・オーバー」と、同じく「……アンダー」のことであり、マツダの3ローターと4ローターはGTOクラスとなっている。(IMSAはなるべくイコール・コンディションに近づけるべく、排気量やクラス分け、また車両重量などのレギュレーションを常に“いじる”ので、詳述するのは避ける)
ともかく1980年代半ばから、IMSAのGTは、このようなカウル付きプロトタイプ・カーで闘われるようになり、その速い方のクラスである「GTO」はワークス同士のバトルという様相を呈していた。フォード系マーキュリー、シボレー・コルベット、トヨタ・セリカ・ターボ、あるいはニッサン240SXなどが参集し、マツダとしても、多数存在するプライベーターたちにエンジン・キットを販売するだけではなく、ワークス態勢でIMSAに挑まざるを得ない状況になっていったのだ。そこから、「GTO」には4ローターのRX-7が登場することになり、それがこのマシンなのである。
(つづく) ── data by dr. shinji hayashi
(「スコラ」誌 1992年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
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2016/02/29 10:14:11