
日本及び日本マーケットにとって、「ミッドシップ」というのは長いこと“高嶺の花”だった。スポーツカーにとって理想的であるらしい、そういうレイアウトがあることを知ってはいても、それはたとえばフォーミュラ・マシンやプロトタイプ・レーサー、あるいは欧州のスーパースポーツなど、ごく少量生産のモデルだけのもの。そのレイアウトによるスポーツ感覚を味わうのは、一般大衆には不可能なことでは?
そんなイメージがあったのだが、しかし1984年、その“禁”はあっさり破られた。それを可能にしたメーカーは、アグレッシブなニッサンでもスポーツのホンダでもなく、保守本流の(?)トヨタだった。思えばこのMR2で、つまり世界初の「量産ミッドシップ車」を実現させた時点で、われわれはトヨタというメーカーの(後にハイブリッド・プリウスを生むに至る)チャレンジングな部分に気づくべきだったのかもしれない。
1600ccという“非力な”エンジンを選択し、クルマ全体のバランスを重視して、タイトでデリケートなドライビング感覚を多くの人々に体験させようとした初代MR2は、ひとつの記念碑として、いまトヨタ博物館の一隅に飾られている。
(ホリデーオートBG誌「80's 絶版車アルバム」2000年4月より 加筆修整)
○2016年のための注釈的メモ
初代MR2は、プロトタイプの状態ではこの格好ではなかった……のだそうだ。デザイナーが描いた「絵」では、MR2のボディの後半部分は、いわゆるファーストバックのなだらかなラインだったという。ただ、それで実車を作ってみると、ミッドシップに置いたエンジンの冷却問題を(1984年の段階では)クリアすることができなかった。そこから結局、われわれが知るようなカタチに造形を修整して、市販車としてまとめ直した。
このヒミツを語ってくれたのは当時のボディ設計担当者で、エンジニア(ボディ屋)として、デザイナーのやりたいことを現実化してやれなかったことが口惜しいと言った。ただ、結果を見るなら、ありがちなファーストバック造形よりも、リヤ窓にアクセントがある市販型のルーフラインの方が変化があってよかったのではないかと、個人的には思う。
ブログ一覧 |
00年代こんなコラムを | 日記
Posted at
2016/05/15 20:23:58