
スカイラインGT-R KPGC110(1973)
1973年から74年にかけて、わが国は「オイル・ショック」に見舞われた(第一次)。中東から輸入される石油が不足し、それによってトイレットペーパーが手に入りにくくなる? そんな怪情報も流れて人々が買い占めに奔走し、スーパーマーケットの棚から品物が消えるといった現象も起きた。
そしてその「ショック」は、ハードウェアとしてのクルマ、とりわけ高性能車に深刻な影響をもたらした。……《走り》を楽しむ? この非常時に、クルマでそんなことをしていていいのか? そうした何とはない社会的な要請が、速くてスポーティなクルマを直撃したのだ。1960年代の後半からツーリングカーのレースで常勝を誇った「C10」スカイライン、その高性能仕様である「GT-R」も例外ではなかった。
その新型、「C110」型のスカイラインは、1972年にデビューした。この時に、クルマの中身について何も説明していない、その意味で画期的かつ歴史的な広告コピーだった「ケンとメリーのスカイライン」と、リヤのフェンダー部分に“サーフィン・ライン”をあしらった新型のデザイン・ワークは、ともに好評であり、新スカイラインは一躍人気モデルとなる。
そして、およそ一年後。予定通りに、スカイラインのフラッグシップ・モデルで、かつ最強のレーシング・ギア(の原型)になるであろう「GT-R」がラインナップに加わった時に、石油危機は起こった。いまは、高性能車にうつつを抜かしている時期ではないという自粛ムードの中で、たとえばシビックの「RS」は「ロード・セイリング」と“改名”し、エンジンもキャブレター・チューンだけに留めて、おとなしく棲息していくことを選ぶ。
しかし、ニッサンの考え方は少し違っていたようだ。国を挙げての“自粛ムード”と時を同じくして、実は排ガス規制も始まっていたのだが、デチューンされていたとはいえ、初代に続いて純レーシング・エンジンを搭載する「GT-R」が、そんな世の中で、本来の「Rらしさ」を発揮することはむずかしい……。
いくつかの理由が重なっていたのだろうが、ともかくニッサンはこの時、「GT-R」を“廃盤”にするという選択をした。「C110のGT-R」は本格的に生産されることなく、200台に満たない台数を作っただけで、市場から消えた。その幕引きはあまりにも早く、新GT-Rはサーキットに登場する時間もなかった。そして、極端に少なかったその生産台数によって、新GT-Rは「幻」のままに、プレミアム感だけが付いてゆく。
……ただ、どうなのだろう? ここから先は「歴史のif」になってしまうが、仮にオイル・ショックがなく、この「C110のGT-R」が順調に生産されたとして、前代の「C10のGT-R」ほどの人気を獲得することができたかどうか?
後年のR32とR33との「GT-R比較」にも似て、「C110のGT-R」はグラマラスで“豊かな”クルマであった。「レーシー」に作るのか、グランツーリスモの要素を強めてまとめるのか。GT-Rとは何か、GT-Rをどう作るかという問題は、こうして既に1970年代にもあったのだ。
(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
ブログ一覧 |
00年代こんなコラムを | 日記
Posted at
2016/10/07 12:37:21