
文芸部の部室で、「週刊カルチェラタン」原稿の「ガリ切り」をしている松崎海。その部屋には風間俊がいて……と、二人の物語がこうして動き始めた。
ただ、この映画を見ていて、ちょっと気になることがある。それは、この「ガリ切り」もそうなのだが、こうした1950~1960年代的な「細部」が、たとえば2010年代にこの映画を見ようとする観客に、どのくらい「わかる」のだろうかということ。
まあ「ガリ切り」とか「ガリ版」とか、さらには「謄写版」とか。そして「カルチェラタン」でも、こうした単語であれば、いわゆる検索によって、とりあえず、その言葉の意味を探ることはできるのかもしれない。
しかし、たとえばこの映画の冒頭。朝に海が起きて布団をたたんだ際に、敷き布団の下から「紺色の布」が出現したという場面──。これって何?と思った時には、どうすればいいのか。
(……と思ったので、試しに「寝押し」で検索してみると、何と何と! 言葉の意味の説明にとどまらず、「コクリコ坂から」でそのシーンがありましたというネタまで盛り込んだwebページがあった。ウーム、ネット恐るべし! ただしこれは、「寝押し」という語を知っていたからできることではあるが)
ちなみに「寝押し」とは、畳にスカートやズボンを置いて、その上に布団を敷き、そこで一晩寝ること。つまり体重によって、アイロンなしで衣類にプレスができるというエコな(笑)方法であった。ただ、これは固い畳と、毎日の布団の上げ下げという条件が組み合わさって、初めてできることのはず。ベッド時代の昨今、こんな無電プランは果たして使えるのか。(ベッドでも「寝押し」は可能だという説はあるが)
また、前述したことではあるが、ガスコンロに自動点火装置が付いていないので、松崎海はガスにマッチで火を点けていた。これはつまり、台所でガスを使うたびにマッチを消費していくということ。そのため、当時の多くの家庭は、ガスコンロの横に「徳用マッチ」を置いておくのが常だった。この場合の「徳用」は大型のマッチ箱を意味し、並みサイズの(携帯しやすい)マッチ箱を多量に買うより、本数的にも、この大箱入りの方がお得。そこから「徳用」を名乗り始めたということらしい。(タイトルフォト)
見方を変えると、映画の「1963年」当時、マッチは「買うもの」だった。まあ数年後には、喫煙者のために超・安価なライターが供給されるようになり、そしてPR用として、街や店内でマッチが無料で配られ始める。マッチを「買う」という機会はこうして激減し、さらに人々が「炎」を必要とする機会も少なくなって、いまの街頭では、マッチではなくティッシュが配られているのだと思う。
また、「ガリ版/ガリ切り」にもここで言及すると、これは印刷の一種なのだが、「入力」というか描いた(ロウ紙を引っ掻いた)文字は何ら変換されることなく、そのままのカタチで「出力」(印刷)される。ゆえに、姉妹で訪問した文芸部で「ガリ」の話題になった時、松崎空は「私は字がちょっと……」と尻込みした。そして、風間俊が松崎海の「ガリ切り」のジョブに、「いい字だ、ありがとう」と言ったのは、何事にも几帳面な海が描いた文字がキレイで読みやすかったからだと推察できる。
さて、この映画でのこうした“ナゾ”は、まだある。チラッと出て来た洗濯機も、いまの目線では、何をしているのかがわからないのではないか。コクリコ荘を切り盛りしている松崎海は、下宿人と家族に朝食をサーブした後、登校するまでの間に洗濯をする。
その洗濯機の「脱水」が、ウーン、何と説明すればいいのか……(笑)。ともかく、今日行なわれているように、遠心力を利用して水気を取り去るのではなく、回転する二本の「円柱」の間に洗濯物を通して、布を挟みつつ絞っていくというコンセプト。こうして言葉にすると、さらにややこしくなるのだが(笑)、言ってみれば、手絞りをちょっとだけ機械化しましたという感じだろうか。業界用語では、「遠心脱水」に対して、これを「ローラー絞り」と分類しているようだ。この映画でも短時間だが、ローラーに挟まれて布類が絞られていく様子が映し出される。
また、炊飯器も登場しない……というか、少なくともコクリコ荘では使われていない。お米は大きな容器に入っていて、その米を四角い「マス」ですくい取り、盛り上がった部分を「切る」というやり方で、松崎海は計量する。その後、米を釜に移したり、それを研いだりするというシーンはなかったが、朝に起きてきた海は、すぐに釜を載せたガスコンロに点火していた。前の晩のうちに、炊飯のための準備をすべて整えておく。これが炊飯における海の流儀なのであろう。
ただ、家庭用の「電気釜」自体は、既に1950年代からあったらしい。しかし海は、業務として米を炊いている。電気を用いた釜は、そのための役には立たなかったということか。……あ、それより、十分に水を含ませた米を大きな釜で炊いて、炊きあがったらお櫃に移す。海がやっていたこうしたメソッドの方が、ご飯はずっと美味しく炊きあがるのかもしれない。
それにしても、この映画の時制(1963年)から半世紀ほどしか経っていないのに、この国の「生活」の「ディテール」は、ずいぶん変化したものだ。もしもバリバリの21世紀人が「1963年」にタイムスリップしたら、ご飯も炊けす、シャツも洗えないという事態になるのではないか。
そして炊飯や洗濯だけでなく、クルマ絡みでも、この種のことはいえそうだ。今日であれば、すばらしい電子制御燃料噴射システムによって、いついかなる場合でも、ボタンを押すだけでエンジンは回り始める。しかし、「1963年」のようなキャブレターの時代は、そうではなかった。とくに冷間時は、いくつかの儀式を執り行なわなければ、エンジンを始動させることは困難だった。
とにかく、映画やドラマが「時代劇」であれば、私たちは「違い」を前提に、物語に入っていく。しかし「現代劇」の場合、そんな準備はほとんどしない。この映画に、もし、ある種の「わかりにくさ」があるとするなら、原因のひとつは、「1963年」があまりにも忠実に再現されていることにあるのではないか。言い換えれば、私たちの「この50年」は、それと気づかないままに、けっこう激変の半世紀だったのだ。この映画を見ながら、ふと、そんなことを思った。
(つづく)
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2016/11/21 11:09:57