
徳丸理事長との交渉を終えた高校生は、新橋駅へと向かった。「いい大人って、いるんだな」「まだ、わからないよ」「でも、よかった!」と言葉を交わす三人組。駅頭のガード下には、坂本九が歌う「上を向いて歩こう」が流れている。
そして駅前に来ると、生徒会長の水沼は気をきかしたつもりか、「俺、神田の叔父のところへ寄って行くわ。じゃ、明日」と二人に声をかけ、ひとり地下鉄入り口に消えた。松崎海と風間俊の二人は、来たときと同じ京浜東北線に乗って、横浜へ帰る。
ただ、こうして、電車の中で松崎海と風間俊が二人だけの“デート状態”になっても、映画はそのまま「上を向いて歩こう」を流しつづけるのだが、これはどうなのだろう? 実はこの歌、この映画では前にも登場して、あたかも“第二の主題歌”であるかのように重用されているのだが。
まあ、1960年代前半当時の日本を象徴する歌として使っているだけなのかもしれないが、でもこの歌は、作詞の永六輔渾身の“悲しさ極まりソング”。この歌の中の人物は、何故「上を向いて」歩いているか。それは「涙がこぼれないように」で、顔を普通の状態にしていたのでは涙が流れ落ちてしまうからだ。
そのくらい悲しいことがあって、「ひとりぼっちの夜」を噛みしめながら、それでも何とか夜道を歩いている……というのが、この歌であると思う。タイトルに「上を向いて」という言葉があるので、何があっても上昇志向で行こう風の応援歌に聞こえるかもしれないが、そういう歌ではない。
……というわけで、せっかく二人で夜の京浜東北線に乗っていることだし、そうした松崎海と風間俊の状況に被せるなら、そして、映画として当時のスター坂本九の歌を使いたいのなら、ここでの曲は「見上げてごらん、夜の星を」の方ではないだろうか。(♪見上げてごらん、夜の星を。小さな星を、小さな光りを ♪ささやかな、幸せを祈ってる)
それはともかく、京浜東北線は横浜の桜木町駅に着き、松崎海と風間俊は市電に乗るためか、あるいは一緒に歩きたかったからか、山下公園へ足を向けた。「1963年」の時点で、マリンタワーには「トヨタ」の文字看板があり、山下公園には氷川丸が駐まっている。
夜の山下公園、並んで歩く二人。高校生同士として進路を話し合った後に、松崎海はずっと気になっていたことを、ここで確認した。“週刊カルチェラタン”に載っていた、旗を掲げる少女についてだ。
「あの詩、風間さんが書いたの?」
「メルが揚げる旗を、毎朝、親父のタグから見ていたんだ」
「私の庭からは、船が見えなかったの。だから、応答の旗を揚げているの、知らなかった」
そして、市電を待つ停留所で、松崎海はついに告白する。
「風間さん、私、……私ね」
さらに、ほとんど叫ぶように、海は続けた。
「私が毎日毎日、旗を揚げて、お父さんを呼んでいたから、お父さんが自分の代わりに、風間さんを送ってくれたんだと思うことにしたの」
そこに、市電が来た。
「私、風間さんが好き」「血がつながっていても、たとえ、きょうだい(兄妹)でも、ずーっと好き!」
市電のドアが開いた。両手で、海の手を取る俊。
「俺も、お前が好きだ」
頷いて、市電に乗る松崎海。電車には「元山下」行きの標示がある。
そしてこの夜、松崎海にさらなる“事件”が起きた。「ただいま」と帰宅した海は、玄関の三和土にミハマの靴(おそらく)揃えてあるのを見る。海は勇んで、部屋に駆け込んだ。
「お母さん!」「海、ただいま」「お帰りなさい、アメリカ、どうだった?」「勉強ばかりの毎日だったわ。空、ボーイフレンドできた?」「まだ」
この時、弟の陸は「お母さん、これ、美味しいね!」と、嬉しそうに母のアメリカ土産を広小路さんと一緒に囓っていた。1960年代のレア物、ビーフジャーキーである。当時、アメリカ文化はこの日本で“強かった”。アメリカのさまざまなものが、日本人にとっての憬れと称賛の対象だった。
しかし、その夜の松崎海には、母からのアメリカ話よりも、もっと重要なことがあった。深夜になって、みんなが寝静まった頃、海はパジャマ姿で、母が荷物の整理をしている部屋へ行く。「お母さん……」「どうしたの、こんなに遅く」「お母さんに、聞きたいことがある」
母は「お座りなさい」と海を座らせると、「時差で眠れなくて……。片付けを始めたら、ますます目が冴えて来ちゃった」と笑うが、海が発した次の言葉で表情が硬くなった。
「学校の一年上で、風間俊という人がいるの」「北斗さんの送別パーティの時に来て、お父さんの写真を見せたら、風間さんも同じ写真を持ってて……。沢村雄一郎は、風間さんのお父さんだって」
立ち上がった母は、一枚の写真を取り出す。「この写真?」、それを見て、頷く海。
「そうね、ちょっとややこしい話かもしれないわね」
「お父さんと私が駆け落ちした話はしたわね。あなたも憶えてるでしょ、六郷の稲村さんの家の二階で暮らしてたこと」
「雄一郎は航海に出ることが多くて、私はその間、あなたをお腹に抱えて、学校に通っていたの」
「でも、勉強ができることが嬉しくて、張り切ってたわ」
(つづく)
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クルマから映画を見る | 日記
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2017/01/11 19:49:27