
「これから先の何年か、出て来るニューモデルは、すべて、この三つのクルマが作った流れのうちのどれかに属すると予測する」という1987年のコラム。そこでピックアップされた三台目のモデルは、セドリック/グロリア(7代目Y31型)でした。
なぜ、ここで“高級車”が突然に登場したのか。まあ二台だけだと収まりがよくないので、もう一台はイキオイで書いてしまった(笑)。そんな感はなきにしもあらずですが、でも、このモデルに触れた時には大いに驚き、そしていくつかの発見もしていました。
このセドリックは、VIPカーという言葉をここでは使いますが、そういうポジションながらも、果敢に《走り》を主張しました。ブルーバードとこのクルマが同じメーカー製であったことはおそらく偶然ではなく、このビッグ・セダンもまた、ブルーバードが呈示した「シャシーの時代」という流れに乗っていたと思います。
今日の感覚ではちょっと意外かもしれませんが、1987年以前のニッポンの高級車は、「フットワーク」よりも、豪華さと快適性を重視して作られていました。街なかと真っ直ぐな道で、イメージ的に、また実際のパフォーマンスとしても、そこで他車を圧倒できればそれでいい。そういうコンセプトです。
まあ、ワインディング路でコーナリングをキメて「横G」出まくり……(笑)。そんな走り方をしたら、後席に鎮座するVIPが怒り出すでしょう。つまり「 '87 セドリック」以前の日本の高級車は、後席こそが主役であり、そこに乗るVIPをゆったりと運ぶ、そういう用途のためのクルマであったのです。“カネモチ、ケンカせず”ってこういう時に使うのかなとか、私などは余計なことを考えていましたが(笑)。
そして、そうしたVIPカーは「1987年」の時点でも、当然、必要とされていました。しかし、このセドリックは、そんな和風のビッグカー・コンセプトを捨て、“よく曲がるセダン”という高級車の新たな姿を示したのです。
どうして、ニッサンとセドリックは、そんなクルマを作ったか、また、作れたのか? この時彼らは、プレスティージ・クラスのクルマでも例外なく俊足である「欧州」を見ていた? あるいは、1980年代後半、日本・高級車マーケットの変化を感じ取っていた? はてまた、どうせ「数」(販売台数)でクラウンに勝てないのであれば、違うキャラの、作っていても“おもしろい”クルマにしてしまえ!……だったのか。このあたりの「なぜ」について私は確答することはできませんが、ともかく1987年の新・セドリックは新鮮であり、そして、とても勇敢に見えました。
プレスティージ・クラスでも、いや、そういうポジショニングだからこそ「足」が良くなくてはならない。「1987セドリック」が拓いたそんな潮流は、その数年後、ワールド・プレスティージ市場をめざして世界デビューするインフィニティとセルシオにつながっていきます。1987年にセドリックに触れた時点では、日本メーカーがそんな準備をしていることなど、まったく知りませんでしたが。
これは単なる偶然でしかありませんが、「これから先の何年か、出て来るニューモデル」は、これら3モデルが作った流れの中にある……という三台目。日本のラージ・クラスが変貌するということでは、あのコラムの予言は、そんなに外れてはいなかったかもしれません。
一方で、多数の「クラウンのお客様」を抱え、日本市場を大切にしてきたトヨタのクラウンは、1990年代に入って、国際性と“国内性”との折り合いをどう付けるのかで悩み始めます。(1995年の10代目クラウンについては、その開発について、スタッフに詳しい話を聞いたことがありますので、機会がありましたら、このブログでもご紹介します)
……ただ、こうして「1987年での予言」を思い出してみると、その後の1990年代、そしてそれ以降の(日本の)クルマ状況については、何の展望もできていなかったことがよくわかります。1990年代に入ってからのクロカン志向──いまの言葉で言えばSUVですね。そして、ミニバン志向。さらには、これらの影響を受けて、セダン系まで変化していく。そんな劇的なドラマが展開されるとは、1987年の時点では(少なくとも私は)予想すらしていませんでした。
その後の展開で意外だったことで、とくに強烈に記憶に残るのは、やっぱり「ワゴンR」です。1993年にこのクルマに初めて乗った時、これが「乗用車」として使われるようになるとは、まったく思いませんでした。スタイリングでの「縦長」で「短い」というところには新しさを見ましたが、でも、ワインディング路に持ち出せばフラフラしていて、コーナリングは愉しめなかったし……。(この点は代を重ねるごとに改良されていきますが)
ただ、クルマって、コーナリング性能の良し悪しだけじゃないんですよね。1993年の時点では、私はそのことに気づいていませんでした。日本のような混雑した状況で、そして、そうした“低速モータリゼーション”の中では、どんな格好で、どういうキャラクターのクルマが好適なのか。この点については、一般の(という言葉を使いますが)カスタマーの方々の方がずっと敏感で、ジャーナリズムよりも先を見越していたと考えます。
ワゴンRは、そんなジャーナリズムの予想を超えたヒットとなり、デビュー後20年以上が経っても、その人気は変わることがありません。何よりすごいのは、軽自動車を生産するすべてのメーカーが、ワゴンRのレイアウトとパッケージングを後追いして「同型車」を作ったことです。二輪のスーパーカブは「世界の街の景色を変えた」と評されることがありますが、日本の街の景色を変える契機となったのは、1993年登場のワゴンRなのでした。
(了)
Posted at 2016/06/06 10:34:12 | |
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Car エッセイ | 日記