
完全な2シーターではなく「2+2」なので、二人乗りというわけではなかったのだが、しかし“デート・カー”という言葉を巧みに独占使用する感じでヒットしたのが、このホンダ製のスペシャリティカーであるプレリュード。実は“デートカー”と呼ばれた元祖は、このモデルの前作(二代目)だったが、そこで確立したポジショニングをさらに強固にすべく、ハードとソフトの両面で、ホンダが総力をこのモデルに注入した。三代目はそんなモデルだった。
ソフト面では、何といってもデザインとイメージである。“元祖”の先代は顔つきなどに若干コワモテの感じもあったが、この三代目では、雰囲気としての「優しさ」を徹底して追求。それまでもかなり低かったボンネット高はさらに低くなり、どこにエンジンが収まっているんだ?……というほどになった。
デザイナーが、エンジン(ハード面)のことをまったく考えずに勝手な「線」を引いて、しかし、エンジン設計がそれを否定せず、(よ~し、じゃあ、これにエンジンを“入れて”やろうじゃないか!)と発奮し、エンジンを改変してボンネット内に収めてこのボディラインを成り立たせた。こんなウワサが、当時のギョーカイをまことしやかに駆けめぐった。(これは事実だっただろう。80年代、ホンダの“エンジン屋”は熱かった!)
そしてメカニズム的には、4輪を操舵しようという「4WS」が装備され、クルマの「曲がり方」に新しい提案が行なわれた。後退走行で駐車する際は、後輪が操舵されていることによって、それまでとは異なる動きと走行ラインで、クルマを駐車スペースに収めることができた。そんな新鮮な驚きもあったが、ただその後、いっそうの高速走行やそこでのスタビリティが重視され、とくにFF車においてはリヤがバタつかないようにしっかり固めるという考え方が主流になって、「四輪を操舵する」というコンセプトは消滅の方向へと向かう。
あと、余談にはなるが、“デート・カー”が実際に運用されるに際しては、このクルマが2シーターではなく「2+2」だったことがよかったのだという説がある。恋人や夫婦になってしまえば、二人しか乗れない2座席のクルマでもいい。しかし、デート(恋愛)には、その前の段階というものがある。「MR2は意地悪なのよ(笑)。誘われても、女友達を一緒に乗せられないでしょ」。……これはおそらく卓見であり、ゆえに1990年代以降は“デート・カー”という言葉と行動様式が消え、みんなでいろんな風に使えるミニバン型のクルマが、デートしたい男の子にとっての持ち物になっていったのではないか。
(ホリデーオートBG誌「80's 絶版車アルバム」2000年4月より 加筆修整)
Posted at 2016/05/19 10:18:36 | |
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