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家村浩明のブログ一覧

2015年10月17日 イイね!

【00's コラム】チャングムに乗せたいクルマ!? 《1》

【00's コラム】チャングムに乗せたいクルマ!? 《1》◆『宮廷女官チャングムの誓い』とはどんなドラマ?

時は16世紀、朝鮮半島、李朝の治世。チャングムという名の少女が強固な身分制社会のなか、ひとり敢然と、降りかかってくる辛苦にめげることなく、常にまっすぐ歩みつづける。これが『チャングムの誓い』という物語の骨子である。

主人公が成長して少しずつ“階段”を上っていくから、いわゆるサクセス・ストーリーともいえるが、しかし、彼女が成功に至る(かもしれない)その道には、ちょっとハンパではないさまざまな障害が立ち現われる。その意味でこの物語には、サクセスというよりも“ファイティング・ストーリー”という名をリスペクトとともに捧げたい。

そんなストーリーの展開をちょっと紹介すると、少女チャングムはタイトルのように、まずは宮廷における女官となり、職務としての宮廷料理人チーフの座をめざす。だが、聡明でありすぎた(?)ため、宮廷内に渦巻く陰謀や謀略によって失脚。チャングムは宮廷を追われ、奴婢として済州島に流されてしまう。

しかし、その流刑の島で、チャングムは「医女」(女性の医者)という身分になることで、宮廷内にふたたび入り込めるルートがあることを知る。リベンジに燃えたチャングムは、今度は「医女」になるための猛勉強を開始──。こうして「医女」として宮廷に復帰したチャングムは、母や自分の師を陥れた人々への復讐の念を抱えつつ、同時に、医者としての才能を発揮して、宮廷内で独自の地位を築く。そして、かつてチャングムたちを陥れたチェ一族に、ついに“その時”が来る……。

◆『チャングムの誓い』の魅力と楽しみ方は?

ドラマを見はじめたときの最初の興味は、やっぱり料理だった。冷蔵庫もない時代、その材料と調理は“スローフード”そのもの。そして、当時の極めとしての宮廷料理がいろいろ見られるのも興味深かった。

また、こうした習俗ということでは、衣裳にしても髪型にしても、中世の朝鮮社会はこうであったのか……というおもしろさがあった。チマチョゴリという民族衣装について、これは最も「風に似合う」衣裳だという見解を聞いたことがあるが、その通りに、しばしば風に抗して立つ凛々しい姿があった。

しかし、このへんを取っかかりにして何度か見ているうちに、そうした表層部分以外のドラマそのものに引き込まれて行く。何よりすさまじきは、主人公チャングムのキャラクターである。彼女はいつでもどこでも、悲しいほどに「真っ当」であった。自身のモラルとその価値観を崩さない。その“マットウ原理主義”は、裏ワザ言い訳一切なしの行動となって現われ、時に身を棄てることも厭わない。

さらに、演出や脚本が秀逸だった。主要な登場人物には凄絶な「目の演技」が求められ、俳優・女優はみな、それに応えた。そして、主人公もそのライバルも、肝心カナメのところではセリフをいわないのだ。たとえば、カタキ同士の二人の敵対関係に、ようやく決着がついた。こうしたシーンに、凡庸なドラマなら「勝ったのは私ね。あなたとあなたの一族は……」といったセリフを与えるかもしれないが、このドラマは違う。こういうキマリの場こそ、主人公もライバルも無言。ただ、目の光だけがモノをいう。

こうした想像力をかき立てる手法は、構成においても同様だ。ドラマは一回の放映ごとに、視聴者に小さなカタルシスを与えつつ、しかし次回に向けて、それ以上の大きなナゾやサスペンスを呈示する。それも、例によって説明的なセリフは少ないから、視聴者のイライラはさらに募る(笑)。毎回「え……!?」というところで終わるため、いったん見はじめると、次の放映日を待望するようになる。

(つづく)

(「ベストカー」誌 2006年10月)

○2015年のための注釈的メモ
雑誌の編集部はいろんなことを考えるもので、これは当時の大ヒット・ドラマをネタにした企画。ドラマのヒロイン(チャングム)なら何に乗る? さあ自動車評論家に訊いてみよう!……という、こんな企画が本当にあった。そしてたまたま私が、そのドラマについてのちょっとしたガイドを書くことに。このあと記事は、そのクルマ選びへと続いていく。(クルマはその年の国内新型モデルから選ぶというシバリがあったように記憶する)
Posted at 2015/10/17 06:50:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2015年07月16日 イイね!

【00's コラム】HP600モデル特集 '2001 《6》

【00's コラム】HP600モデル特集 '2001 《6》◆「HP600」モデル・セレクション その2

・プレマシー
「HP600」を早くから実現していたマツダの新パッケージング乗用車が、このプレマシー。今年になって、新たに2000系をシリーズに加えた。これはエンジンだけでなく、ボディ剛性も強化。足回りも新たにチューンした“別仕立て”のプレマシーというべきグレードで、静粛性も大幅に向上した。適切なHP、大きく開くドアによる乗降性のよさなど、パッケージングの先進性ではいまでも最先端にある。

・フォレスター
「HP600」新ビークルの、スバルとしての最初のモデル。デビュー当時はRVブームで、その種のモデルとして分類されてしまった感があるが、今日になって評価し直されている。ただ、自社の他の乗用車とのバランスも考えてか、キャラとしてかなりワゴン(ハコ)方向に振ってあるのも事実。エンジンのバリエーションは豊富で、高い車高を感じさせない足のチューンは、マイナーチェンジでさらに磨かれた。

・プレオ
新規格「軽」で、そして、他社のようにいくつも車種を持てないスバルとしては、どんな新型を作るべきか。考えた結果の新パッケージングが、この「HP600」だったという。そして、地方では露天に駐車することが多いとして、タワーパーキングの使用は無視し、代わりに十分なヘッドルームと室内空間を確保した。ボディの小ささを感じさせない、しっとり感のある乗り心地が出色のスーパー・コンパクトだ。

・ワゴンRプラス
ドアこそ共通の品だが、このプラスは「軽」(日本向け)のワゴンRとは、内容的には別モデル。むしろGMグループとしてのスズキが、欧州GMであるオペルと共同で、トール・タイプの小型車を新たに作ったという方が現実に合っている。シートは、オペルのプロデュース。また、これはトヨタのヤリスとともに、「HP600」の新パッケージングを欧州マーケットに新提案しているモデルでもある。

(「カーセンサー」誌、2001年特集より加筆)

(了)

(2001年の記事の再録は、これで終了です。「HP600」については、続編につづきます)
Posted at 2015/07/16 21:52:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2015年07月15日 イイね!

【00's コラム】HP600モデル特集 '2001 《5》

【00's コラム】HP600モデル特集 '2001 《5》◆「HP600」モデル・セレクション その1

・プリウス(初代)
ハイブリッドというパワーソースが話題になってしまったが、実はこのプリウス、もうひとつの狙いはセダンのパッケージング革命だった。高いHPとアップライトなドライビング・ポジション、それに合わせてのセンターメーターという組み合わせ。その3ボックス造形は、巧みにボディの“カタマリ感”を演出して、高いはずの全高を隠す(目立たせない)。ハイト系+3ボックスでも、デザイン的にここまでできるという見本か。

・ラウム
何を隠そうこのラウムが、トヨタの「HP600系」モデルにおけるトップバッター。このデザインをまとめるには苦労があったともいわれるが、結果として、まとまりのよい2ボックス車になっている。また、乗用車として高いHPを提案しただけでなく、後ドアを両側ともスライド式にしたり、さらには後席の居住空間を(当時の)セルシオ以上に広くしたり……。そんなチャレンジングなモデルでもあった。

・ヴィッツ
高いHPの新パッケージングを提案すると同時に、日本ではトヨタの最廉価車スターレットに代わるべき機種。そして一方、「ヤリス」としてヨーロッパ市場で通用するモデルにする。こうしたさまざまな課題とともに登場。欧州という速いトラフィック環境にミートさせるために、トール型と空力性能の両立も求められた。結果的には成功し、日本の街にも妙に溶け込むデザインだが、実はこの造形の基本は欧州デザイン・スタジオによるものだった。

・ビスタ・アルデオ
HPを600ミリにして、さらに、タワーパーキングなど都市での使い勝手も重視する。そのようにして決定されたディメンションがこれで、全高は1505ミリ。センターメーターも同時に採用され、インテリアは視覚的にもゆったり感があって、実際にもその広さは特筆もの。同一コンセプトでセダンも作られているが、見た目というか造形的には、このアルデオのワゴン形状の方が、はるかになじみやすいのではないか。

・プラッツ
別名になっているが、内容的にはヴィッツのセダン版であり、プラットフォームは共通だ。アメリカではエコーという名で、米国スモールカー市場への食い込みも狙う。「HP600」の新パッケージング車がほしくて、しかし、クルマはあくまで「3ボックス」でなければならない……という人のためのチョイスなのだろうが、そのコンセプトの「セダン」は、どうもデザイン的にはまとめにくいようだ……。

・オーパ(タイトルフォト)
けっこう大胆な“遊びゴコロ”がディテールの随所に取り入れてある、提案性がいっぱいという新世代乗用車。Aピラーを前方に出し、全長に対して室内部分が大きいサイドビューにも注目。そして、「HP600」モデルをいくつか作ってきた同社の歴史を受けて、このオーパでは、新パッケージングの提案だけでなく、運動性も強化。ハイトのあるクルマでもキビキビした走りの感覚は盛れる……と、とくに1800系は主張する。

(つづく)

(「カーセンサー」誌、2001年特集より加筆)
Posted at 2015/07/15 22:16:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2015年07月14日 イイね!

【00's コラム】HP600モデル特集 '2001 《4》

【00's コラム】HP600モデル特集 '2001 《4》◆「HP600」モデル、各社の現在

○トヨタ
トヨタの実用車では、この「HP600」は、もはや定番化。同社は、新型車を企画する最初の段階で、そのクルマのHPをいくつにするか決定するという。HPの数値は、クルマのキャラやポジショニングまで決めるのだ。

そして、トール型であっても「走り」は妥協しないとして、近年は、高めの全高を前提とした車台の開発と熟成に余念がない。また「HP600」コンセプトに引っ張られて、伝統的な3ボックス・セダンのHPもひそかに上昇中。最新カムリは米国狙いの機種だが、それでもHPは565ミリだ。

○マツダ
各所の筋肉にセンサーを付け、HPが異なる種々の椅子に座ってみて、人体や筋肉への負担を計測したとは、実はこのメーカーのこと。レビューというモデルの時点で、すでにHPはかなり高かったというから、この点でのキャリアは長い。最新のプレマシー2000では、ボディと足を再チューン。このような高HP/高ハイトのハコであっても、十分にスポーツ感覚は盛り込めるという提案を行なっている。

○スバル
富士重工は、フォレスター、レガシィ・ランカスター、プレオを作ってきた「HP600」ではベテランのメーカー。ただ最近、そのキャリアから見えてきたこととして、身体にやさしいということで選択した「600」だったが、ハンディキャッパーにとっては高すぎないか?という検討も行なっているという。現行インプレッサは、座面を手動で上げてもマックスが580ミリ程度。次期レガシィはどうするのだろう?

◆日本狙いではない「ワールドカー」はどうする?

○カローラ
人にやさしい新時代のパッケージングとして、90年代半ば時点で「HP600」を発見し、ラウム、プリウス、ヴィッツといったモデルで、実際にも商品化したメーカーがトヨタ。

そのメーカーが、21世紀直前にちょうどモデルチェンジの時期を迎えた最量販シリーズ、「世界のカローラ」では、果たして、どのくらいのHPを選択するのか? 通常よりもモデルチェンジの時期が約1年後ろにずれ込んだこともあって、さまざまな意味で注目されたが、結局、最新(現行)型カローラはHP「550ミリ」でのデビューとなった。

なぜ、「600」あるいはそれ以上のHPにしなかったのか。この点について開発担当者は、後席は前席よりもHPを上げたい(後席パセンジャーの眺めをよくしたい)という前提条件があり、仮に前席を「600」にすると、後席はそれ以上になってしまって、後席の座面が高くなりすぎる……という理由を(公式には)述べていた。

なるほど、そういうこともあっただろう。しかし実際は、もっと大きな、そして切実な理由があったのではないかと察する。それは、スタイリングの問題――。

世界中のマーケットで使われるカローラは、ワゴンをはじめとしていろいろな車型を作るが、そのメイン・ストリームはあくまでも3ボックスのセダンである。そして、この3ボックス造形を、たとえばHPは600ミリ、そこから必要な全高1500ミリ以上……といったディメンションでまとめる。これがどうも、けっこうむずかしいようなのだ。

カローラの開発陣は、前例としてのビスタ・セダン(タイトルフォト:注1)やプラッツを見たはず。また、それらを踏まえての、いろいろな造形のトライも行なわれただろう。だが結局、世界中を満足させるような「HP600ミリの3ボックス・セダン」というデザインは、現時点ではなかなか困難……。そんな判断をしたようである。

(ビスタ・セダンと2ボックス造形のビスタ・アルデオでは、どっちがカッコいいですか? ……こんな投票を行なったら、そしてとくにサイドビューを較べたら、8割以上の人がアルデオの方に一票を投じるのではないだろうか)

トヨタは、カローラ以後、ウィンダムやカムリでも、こと3ボックス車においては、「550」ミリ付近のHPを設定する作戦を採っている。その意味では、カローラ・セダンを成り立たせた時の苦闘(?)は活きているということになろうか。

(つづく)

(「カーセンサー」誌、2001年特集より加筆)

○注1:この角度は、最も“欠点”が映らないかもしれない? HP600&全高1500以上で「3ボックス」を造形すると、横から見た場合のリヤ・クォーター部付近がどうしても“厚ぼったく”なってしまう。アルデオのように2ボックスのワゴン型であれば、その部分にドカッと「マス」(かたまり)が来ても、逆に重量感で落ち着くのだが……。
Posted at 2015/07/14 20:35:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2015年07月13日 イイね!

【00's コラム】HP600モデル特集 '2001 《3》

【00's コラム】HP600モデル特集 '2001 《3》◆「HP600」モデルをリードしたメーカー

この「HP600」パッケージング革命をリードしたのは日本メーカー、中でも先行したのはトヨタ、スバル、マツダだった。それぞれ、ラウム、フォレスター、プレマシーといったモデルを提案して、他社に先んじた。

ただ、ここで重要なのは、どれが元祖かということよりも、90年代後半に、複数のメーカーによるパッケージング研究の結果、「HP600」モデルが同時期に出現したことだ。

また、以上はすべて“普通車視点”で、また“乗用車視点”で見た場合のこと。クルマ世界をもっと広く見て、さらに、いわゆるバン&ワゴン・タイプまで「新種の乗用車」として考えるなら、HPが高い新種の乗用車を作るという“トレンド”は、1993年に登場した軽自動車、つまりスズキのワゴンRがその発端だった。

そして、スズキ以外の軽自動車メーカーも、サイズが限られた規格内での居住性確保では、全高を高くする(ワゴンR的な)新レイアウトには敏感だ。すぐにこの提案を受けて、ライバルとしてのダイハツからは、さっそくムーブが出現。こうした動きに他社も追随し、「ハイト系の軽自動車」という新ジャンルが形成されていった。

普通車の「HP600」モデルについても、ワゴンRを“原点”と考えると辻褄が合うというか、時間的にも符合するものがある。93年・秋に出現したワゴンRに触れた各社の開発陣が、「このアイデア、このコンセプトは、うちのクルマには適用できないのか」として、調査や研究を行なう。その数年後にアウトプットとして、全高が高い、つまりHPが従来とは異なる、新しいパッケージングとレイアウトのクルマを世に問うた。

もちろん、「今回のうちの ※※ は、ワゴンRに影響を受けて作りました」……と対外的に公言する開発者はいない。しかし、じっくり話を引き出してみると、他社の、とくにコンパクト系の担当エンジニアで、「実は、あのクルマ(ワゴンR)には注目した」という発言は聞ける。

◆「1993・ワゴンR」の衝撃!

1993年の秋に登場の「ワゴンR」というモデルを、どう捉えたか。軽自動車という別世界で、ちょっとした新型車が出たらしい。あれはユーティリティ重視のワゴン車で、“乗用車”とはジャンルもユーザーも違う。デザインはちょっとおもしろくても、サスなど走行性能には見るべきものがなく、とくに気にする必要もない。……といったように、無視とは言わないにしても、割りと遠くからワゴンRを眺めていたか。

それとも、どうも「あれ」には“何か”ある? ジャンル違いだとしても、売れたというなら、それはどうしてなのか? 巷が「RV」を求めているとして、そんな“ブーム”の中で、あのクルマをどう位置づけるか? ……このようにして、スズキからのちょっとストレンジなヒット作を探究したか。

1994~95年という時期、カーメーカーと、そしてジャーナリズムは、ワゴンRをどう見るかということについて、その立場や理論は、上記のような“二分状態”であったのではないかと思う。

そして、さらに想像を逞しくすれば、ワゴンR研究に突っ込んでいったメーカーはそれぞれに、問題はクルマの全高よりも「ヒップポイント」(HP)である!……という発見をして、そのアイデアとコンセプトを自社のプロダクツに適用していった。(注1)

また、そういうメーカーはそもそもワゴンRを「新種の乗用車」と見なしていたから(だから探究したわけで)、その結果として各社から出て来た「新ビークル」は、ラウムにしてもフォレスターにしても、またプレマシーも、みなバラバラというか、さまざまなスタイリング&レイアウトになった。

ジャンルもメーカーも異なるこれらの三車からは共通点が見出しにくく、その連関が見えない気配もあったが、たとえば、HPを従来よりも高めにした新種の乗用車を作った。その原点となったのは、93年に出た一台の軽自動車だった──。こういうシナリオを置いてみると、むしろ容易に、そのナゾは解ける。

(つづく)

○注1:1993年初代ワゴンRのHPは、正確な数値としては「600」ではなく「625ミリ」であった。

(「カーセンサー」誌、2001年特集より加筆)
Posted at 2015/07/13 19:29:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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