
シャレード G10(1977)
1960年代の「ベーシック車」は、エンジンの排気量が800~1000ccであることが多かった。日本の場合、本当のベーシックとして軽自動車という別ジャンルがあり、このエンジンが当時は「360cc」。軽ではない普通車の「ベーシック」としては、これとの区別をまず明らかにしたいということがあっただろう。
しかし、エンジンが大きすぎると、今度はベーシック車にならない。そこから、税制の区切りとも絡んで、エンジンは「1000cc」を上限にするという考え方がひとつ生まれたようだ。そういえば、1960年代にデビューしたファミリア、コルト、スバルなどはすべて、自社で既に軽自動車を作っていたメーカーによるものだった。おそらく、「360ccと1000cc」という対比あるいは位置づけが、社内的にも販売面でもひとつの落としどころだったのではないか。(三菱は軽自動車でなく、普通車の「500」だったが)
そして、そんなベーシック&コンパクト戦線に、当時の二大メーカーのトヨタとニッサンが参加するのが“大衆車元年”と呼ばれた1966年のこと。この時に、ニッサンはサニーを1000ccでまとめたが、トヨタとカローラは「100ccプラス」にするという戦略を採った(注1)。
その「増量」が販売的な大成功を生んだため、カローラ以後はベーシック&コンパクトが「1000cc」であるという暗黙の枠組みが崩壊した。各車は揃って排気量の拡大を行ない、新たな“アッパー・ベーシック”(?)としてのエンジンが1300~1500ccになってしまったのが1970年代の半ばだった。
こうなると、さすがに軽自動車(360cc)との差が付きすぎる。それを補うための“新ベーシック”もいくつか生まれていたが(パブリカ→スターレット)、そんな状況の中、もう一度1000cc車、つまり「リッター・カー」にこだわってみるとして、この新型車は登場した。
そしてこのクルマは、エンジンの排気量だけではなく、その基本レイアウトにも「新しさ」がいっぱいだった。エンジンはさらなるコンパクトさを求めて3気筒、それを横置きに搭載し、同時に前輪駆動(FF)としていた。ふと気づけば、トヨタ&ダイハツ・グループとしては初の市販FFであり、ダイハツ・ブランドだからこそ“やれた”チャレンジと提案だったのかもしれない。(トヨタの自社ブランドが「FF化」されるのは、1978年のターセル/コルサが最初)
「ダイハツ・オリジナル!」という意欲とスピリットに充ちたこのモデルは「シャレード」と名付けられ、FF化によるスペース・ユーティリティ(室内の広さ)もさることながら、その清新なデザインでも注目された。このシャレードは以後、“軽ではないダイハツ車”としての独自のポジションを築き、同社の基幹車種のひとつとなっていく。(ただし、シャレードが「リッター・カー」にこだわったのは二代目までで、三代目からは「1・3リッター級」にその戦線を移していくが)
○注1:1966年にカローラが1100ccで登場したのは、同社には既にパブリカというベーシック車があり、そのエンジンが700ccだったということがあるかもしれない。パブリカとは(車格が)違うという主張をするには、1000ccでは“近すぎた”のだ。一方、サニーの場合は、兄貴分である1300ccのブルーバードとの違いを示すには、やはり1000cc以下である必要があったのではないか。
(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/10/05 01:59:34 | |
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