
スカイライン2000GT-R GC10(1970)
スカイラインGTというモデルが、この時期、つまり1960~70年代の「クルマ作り」で、その方向性や傾向をリードしたこと。これはやはり、歴史的事実であると思う。“スカG”という愛称を得たスカイラインGTは、「コンペティティブな(戦闘的な)クルマは正義である」ことを高らかに主張、「速さ」を重視した“レーシーなクルマ”を作って成功する。そして他メーカーも、このモデルを横目で見ながら、それぞれに「速いクルマ」を作って対抗した。
(日本のクルマ作りで、こうした「コンペティション主義」が一段落して、業界がひと息つき、もっと“ユルい”クルマを作ってもいいのだと気づくまでには、20年以上の時間が必要だった。1980年代も後半になって、あの「Be-1」が世に出た時に、作り手も受け手もようやく、「速さ」や「高性能」だけがクルマではないことを発見したのではないか)
そして、そんな「コンペティション主義」と並んで、もうひとつ、1960~70年代のスカイラインGTが日本の自動車界に与えた衝撃と影響があった。それが「ハコ神話」である。「ハコ」とは、すなわちセダン・ボディ。何故「セダン」であることがそんなに強調されたかというと、その“対語”が純スポーツカーやプロトタイプ・スポーツカーだったからだ。
スカイラインGTは、スポーツカーよりも「速いハコ」があることを体現し、それは同時に、「GT」というネーミングのブームも引き起こした。その結果、1960~70年代のほとんどの市販セダン・シリーズには、たとえそれが大衆車やコンパクトであっても、必ず「GT」やスーパースポーツ・セダンといったグレードやバージョンがある。そんな日本特有の現象も生んだ。
そしてもちろん、その“スカG”の人気を「頂点から」補強していたものは、やはりあった。スカイラインの「GT」は、他社のよくあるGTとは違うという根拠、それが「GT-R」であった。
1960年代中葉の日本グランプリ・レースで、純レーシングスポーツのポルシェ・カレラをサーキットで追い回して肉迫したセダン(ハコ)があった。この熱狂が日本の「ハコ神話」の原点で、そのスカイラインがサーキットを走ったときのレーシングエンジン(S20)そのものをデチューンし、市販車に載せた。この事実が、マーケットをヒートアップさせた。
今日(2000年代)に置き換えると、ホンダがF1用のV10ユニットを搭載したクルマを市販するのに近いものがあるかもしれないが、モータリゼーションの草創期だったとはいえ、そこまでやったのが1970年代の「GT-R」だったのだ。
この「速いハコ」という夢は、ほとんどDNAとして、日本人及びニッサンには深く刻み込まれ、1990年代半ばになっても、直線が長い空力重視のレースである「ル・マン24時間」に、R33スカイライン・改という「超ハコ」で参戦するという“怪挙”を生むに至る。また日本での、アルピナ、AMGといったクルマの根強い人気も、その遠因は、実は1960~70年代のスカイラインGT-Rにあると見る。
(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/14 13:34:23 | |
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