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家村浩明のブログ一覧

2016年09月22日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.14 チェリー

【 70's J-car selection 】vol.14 チェリーチェリー E10(1970)

名前を公募し、モータリゼーションや「大衆車」という言葉とともに華々しくデビューしたニッサンのサニー(1966年、1000ccエンジン)。ただ、ライバルのカローラが1100ccのエンジンで登場し、「プラス100ccの余裕」で順調に拡販。それに対抗し「隣のクルマが小さく見えます」というコピーとともに(当時はこうした“戦闘的な”宣伝がよくあった)二代目のサニーはエンジンが1200ccになり、ボディ・サイズも拡大された。

そんな状況を受けての1970年、大きくなったサニーの弟分、ニッサンのベーシック・カーという役割を担って登場したのが、このチェリー。そして、メカニズムとしては保守的で、コンセプトは上級車の縮小版だったサニー&カローラとは一変して、このクルマは、コンパクトはかくあるべし、世界の新しい小型車は、いまこうなっている……という“技術志向”車として登場した。

まず、駆動方式はFF。ニッサンとして初の前輪駆動車で、エンジンは先駆のBLMC「ミニ」と同じように横置きに積まれた。そして、シャシーは四輪独立懸架。国内では、既にスバル1000というFF(エンジン縦置き・水平対向)車があったが、トヨタのベーシック車パブリカはFRであり、そしてホンダのFFリッターカーであるシビックは、まだ出現していない(デビューは1972年、シビックは最終的にはエンジンは1200ccを選択)。

ただ「横置きFFシステム」による走りは未成熟な部分もあり、とくにパワーのある1200cc版はトルクステアが強く、挙動はかなりの“じゃじゃ馬”であった。とはいえ、このクルマのために新チャンネルとしてチェリー販売を設けた点も含めて、当時のコンパクト・カー戦線に一石を投じたモデル。「小ささ」を逆手に取ったような造形(とくにサイドビュー)とともに、チェリーは記憶に残るスモール・セダンだった。また、1973年に追加されたクーペX1-Rは、サーキットでも活躍した。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/22 19:37:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年09月19日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.13 ランサー1600GSR

【 70's J-car selection 】vol.13 ランサー1600GSRランサー1600GSR A73(1973)

当時の三菱スポーティ・カーでは、ストリート・レーサー風な“押し出し”でウケていたのがクーペ・ボディのGTO/FTO。一方、リアル・スポーツとしてならコッチだぜと、事情通(?)に注目されたのがランサーだった。

スポーツ・クーペ二車のベースとなったのはギャランだったが、ランサーはそれより一回り小さい、コンパクトな軽量ボディ。ラリーで勝ちたいクルマなんだというコンペティティブなコンセプトとメッセージも、マーケットにしっかり伝わって、このクルマは“走り好き”に好まれた。

今日の「ラン・エボ」、つまり1980年代のランサーEXからランサー・エボルーションへという高性能マシンの系譜は、ネーミングとしても、また内容的にも、このオリジナル・ランサーを継承したものだ。

1960~70年代は「スポーツ」で強いというイメージは販促には有効で、その闘いの場をサーキットにするかラリーにするか。その意味で当時の三菱は、二つの方向に巧みに自社モデルを振り分けていたことになる。

トップエンドのモデルは、排気量アップとツインキャブで“武装”した1600GSRだったが、これは競技用ともいえる、いわばレア物。フツーの“走り好き”にはちょっと手が届かず、実際に自分で走らせて、その運動性を楽しむクルマとして人気を得たのは「1400SL-5」だった。このグレード名にある「5」とは、5速ミッションのMT仕様ということ。当時、ラインナップ中に「5速車あり!」とは確実にニュースで、アピールポイントだったのである。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)(フォトは基準車)

◆「1600GSR」の搭載エンジンを、当初、DOHCであるとして記事化しましたが、ぶろーに様よりのご指摘で、正しくは「SOHC+ツインキャブ」のエンジンであることがわかりました。ぶろーに様、ご指摘ありがとうございます。上記のように修正致します。
Posted at 2016/09/19 02:15:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年09月16日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.12 レオーネ4WDエステート・バン

【 70's J-car selection 】vol.12 レオーネ4WDエステート・バンレオーネ4WDエステート・バン(1972)

当時はその意義や意味がイマイチよくわからなくても、時間が経つとともに、「歴史」によってその価値や評価が“発見”されることがある。1972年にむしろひっそりと、追加仕様として、まず「バン」が登場。この時点では、主に不整地や雪上でもスタックすることなく走行するため、つまり特殊業務用という意味合いが強いとマーケットは受け止めていた。

しかしメーカーの「そのメカニズム」についての本気度は、当時のマーケットやカスタマーの意識よりはるかに高かった。オフやスノーだけでなくオンロード走行においても、トラクションやスタビリティで「4WD」はその本領を発揮する。そのことを確信していたメーカーは、当時に“準・乗用車”的に使われていた商用ライトバン(それにエステート・バンという名を与えた)に続けて、4ドア・セダンにも「4WD」仕様を設定して発売した(1975年)。それが1970年代初めに登場した、スバルのレオーネ・シリーズである。

単にエマージェンシー用ではなく、オンロードでも、つまり日常的に「全輪」を駆動した方が安全性も向上する。あのアウディ・クワトロはこのように主張し、乗用車のための4WD仕様を華々しく登場させてクルマ世界にインパクトを与えたが、そのクワトロのデビューは1980年のことだ。

一方、、彼ら(欧州人)にとっての「極東」の地であるこの島国では、1970年代の前半という時点で、既に「オンロード4WD」の提案が行なわれていたのだ。その意味でレオーネ(初代)は、記録と記憶に残すべき“私たちの日本車”の一台なのである。

ここでは、72年のバンか75年のセダンか、どちらの「乗用4WD」を採り上げるべきか、若干悩んだのだが、エステート・バンからステーション・ワゴンへと展開して稀代の人気モデルとなった、あのレガシィの原点という意味も込めて、“祖”というべきエステート・バンにスポットライトを当てる。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/16 07:18:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年09月14日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.11 スカイラインGT-R

【 70's J-car selection 】vol.11 スカイラインGT-Rスカイライン2000GT-R GC10(1970)

スカイラインGTというモデルが、この時期、つまり1960~70年代の「クルマ作り」で、その方向性や傾向をリードしたこと。これはやはり、歴史的事実であると思う。“スカG”という愛称を得たスカイラインGTは、「コンペティティブな(戦闘的な)クルマは正義である」ことを高らかに主張、「速さ」を重視した“レーシーなクルマ”を作って成功する。そして他メーカーも、このモデルを横目で見ながら、それぞれに「速いクルマ」を作って対抗した。

(日本のクルマ作りで、こうした「コンペティション主義」が一段落して、業界がひと息つき、もっと“ユルい”クルマを作ってもいいのだと気づくまでには、20年以上の時間が必要だった。1980年代も後半になって、あの「Be-1」が世に出た時に、作り手も受け手もようやく、「速さ」や「高性能」だけがクルマではないことを発見したのではないか)

そして、そんな「コンペティション主義」と並んで、もうひとつ、1960~70年代のスカイラインGTが日本の自動車界に与えた衝撃と影響があった。それが「ハコ神話」である。「ハコ」とは、すなわちセダン・ボディ。何故「セダン」であることがそんなに強調されたかというと、その“対語”が純スポーツカーやプロトタイプ・スポーツカーだったからだ。

スカイラインGTは、スポーツカーよりも「速いハコ」があることを体現し、それは同時に、「GT」というネーミングのブームも引き起こした。その結果、1960~70年代のほとんどの市販セダン・シリーズには、たとえそれが大衆車やコンパクトであっても、必ず「GT」やスーパースポーツ・セダンといったグレードやバージョンがある。そんな日本特有の現象も生んだ。

そしてもちろん、その“スカG”の人気を「頂点から」補強していたものは、やはりあった。スカイラインの「GT」は、他社のよくあるGTとは違うという根拠、それが「GT-R」であった。

1960年代中葉の日本グランプリ・レースで、純レーシングスポーツのポルシェ・カレラをサーキットで追い回して肉迫したセダン(ハコ)があった。この熱狂が日本の「ハコ神話」の原点で、そのスカイラインがサーキットを走ったときのレーシングエンジン(S20)そのものをデチューンし、市販車に載せた。この事実が、マーケットをヒートアップさせた。

今日(2000年代)に置き換えると、ホンダがF1用のV10ユニットを搭載したクルマを市販するのに近いものがあるかもしれないが、モータリゼーションの草創期だったとはいえ、そこまでやったのが1970年代の「GT-R」だったのだ。

この「速いハコ」という夢は、ほとんどDNAとして、日本人及びニッサンには深く刻み込まれ、1990年代半ばになっても、直線が長い空力重視のレースである「ル・マン24時間」に、R33スカイライン・改という「超ハコ」で参戦するという“怪挙”を生むに至る。また日本での、アルピナ、AMGといったクルマの根強い人気も、その遠因は、実は1960~70年代のスカイラインGT-Rにあると見る。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/14 13:34:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年09月12日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.10 カリーナ1600GT

【 70's J-car selection 】vol.10 カリーナ1600GTカリーナ1600GT TA12(1971)

1960年代後半から1970年代、ハードウェアとしての日本のクルマはまだまだ発展途上で、また、それ故にマーケットもホットだった。DOHCエンジンとか「四独」(四輪独立懸架)といった新メカはニュースであると同時に、装着車ともども「新しさ」は常に歓迎された。その一方で、メカ的にはそんなに先鋭でなくても、コンベンショナルな方式を採りながら、その「まとまり」の良さや総合バランスで、好感とともにマーケットに受け入れられるモデルがあった。これもまた、当時もいまも変わらぬ図式である。

このカリーナも、「新メカ」よりも実質性能において「良し」とされた機種のひとつだった。とりわけ「足」については「四独」ではなかったが、そのステディなフットワークが高い評価を得た。まあ「足のいいヤツ」という巧みな広告コピーに、マーケットやカスタマーがリードされたという側面は多分にあったかもしれないが。

スタイリングは、流行の「四つ目」ヘッドランプというトレンドを採り入れつつ、どこかクラシカルな雰囲気もある“オトナ”のフィールでまとめられ、ひと味違うセダンとして、当時のちょっと「うるさ型」のカスタマーに好まれた。シャシー的には同時期のセリカと同じで、ただ日常車としては派手なクーペボディ(セリカ)ではなく、目立たぬセダンに乗りたいという層にも、このクルマは浸透した。

ただ、そうはいっても爆発的に売れたクルマというわけではなく、そしてテールランプは「縦型」で、今日にまで至るトヨタのジンクス、「縦型ランプのクルマは売れない」というデータの確認に、このカリーナもやっぱり“貢献”することになったようだ。

基準車の登場(1970)から一年後にGTが追加され、セリカGT系と同じ1600ccのツインカムエンジンを搭載。足のフィールだけでなく、動力性能的にも十分以上のものがあるグレードとして、改めて注目と評価を受けた。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)(フォトは基準車)
Posted at 2016/09/12 10:37:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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