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家村浩明のブログ一覧

2016年09月04日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.09 フェアレディ240ZG

【 70's J-car selection 】vol.09 フェアレディ240ZGフェアレディ240ZG HS30(1971)

初代のセリカ(1970)もそうだったが、この頃は各メーカーで「高性能車」の数が限定されていたせいか、いまなら、こんなクルマで何で?……と思うようなモデルが、いきなりラリー・フィールドで走っていたりする。フェアレディZもそのひとつで、アフリカのサファリ・ラリーで勝利する輝かしいリザルトまで残した。

ただ、今日の私たちは「ランチア・デルタ・インテグラーレ以後」のラリー界を知っていて、“軽自動車にターボ”とでもいうべきか、前後オーバーハングの少ない小さなボディにハイパワー・エンジンを組み合わせたクルマが“強いラリー車”だというイメージを刷り込まれた。そのために一瞬、(え、フェアレディZがラリーに?)……と思ってしまうのだが、1970年代は、あのポルシェ911もラリーの世界にとって重要なモデルだった。その意味では、ニッサンが「Z」をラリー界に送り出しても何のフシギはなかった。

また、そもそもニッサンは、1950年代の終盤から「ダットサン」ブランドのセダンで海外ラリーに参戦していた。その「DATSUN」(米人は“ダツン”と呼んだ)のラインナップに、スポーツカーの「240Z」が加わったのだから、その高性能車でサファリ・ラリーに参戦するのは当然! これが当時のメーカーのスタンスでもあっただろう。

もちろん、この「Z」は(911と同じように)ラリーだけでなく、国内外のサーキット・レースでも活躍。世界中の人々が、このクルマをリーズナブルな価格のピュア・スポーツ車として愛し、とくにアメリカでは「Zカー」として高い人気を得た。本国(日本)で「Z」が初登場したのは1969年。そして1971年には、フロントに“Gノーズ”を付けた「240ZG」が加わって、さらにファンを増やした。

パワフルな直6エンジンをフロントに搭載するオーソドックスなFRだが、このクルマは、このレイアウトから可能な限りの“切れ味”を生み出すよう、巧みにチューニングされた。とりわけアメリカ向けの仕様は、そのシャープさの度合いがいっそう高かったといわれる。当時の米国のスポーツカー乗りは、過剰なまでに俊敏なクルマ(たとえばコルベット!)を乗りこなすことをもって「スポーツ」と考えていたからである。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/04 13:48:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年09月02日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.08 ミラージュ

【 70's J-car selection 】vol.08 ミラージュミラージュ A153A(1978)

1970年代の前半、日本での「前輪駆動」(FF)は「稀少」という価値観も伴った新メカニズムだった。「FF」というのはフロントエンジン/フロントホイール駆動を意味する和製英語で、外国語に強いクルマ・メディアからは、正しく「FWD」(フロントホイール・ドライブ)と言うべきだという主張もあったが。

当時、クルマ作りの基本となっていたのは後輪駆動システム。エンジンが前部にあれば、フロントエンジン/リヤ駆動で「FR」。車体後部にエンジンが搭載されている場合は、リヤエンジン/リヤ駆動で「RR」と呼んでいた。「RR」は、駆動系が後部にまとまって“省スペース”であるため、欧州では小型車に好んで採用され、軽自動車の多くも、この時代は(例外を除いて)ほとんどが「RR」方式だった。

そして三菱は、いわば、後輪駆動にこだわったメーカーだった。最初の小型車「500」はRRであり、そしてコルト以後の普通乗用車はFR。また、1962年にミニカで参入した軽乗用車でも、他社の多くがRRだったのに対して、三菱は独りFRで軽自動車を作った。(ミニカがFF化されるのは1984年の5代目からのこと)

そんな三菱だったが、1970年代の後半に「コンパクト・ハッチバック」という新ジャンルに参入する際には、さすがに潮流には逆らえず、その頃ではもう稀少ではなくなっていた「FF」レイアウトで新型コンパクト・ハッチを作った。……というわけで、このミラージュは三菱車で最初のFF乗用車なのだ。

全長に対してトレッドが広く見え(実際にも広かった)、それまでの“クルマは細長い”という既成概念を脱した全体の造形と、がっしりした台形デザインは、ひと皮剥けた新鮮なコンパクト車という印象。デビュー前年のモーターショーでお披露目されてスタイリングが注目され、1978年にマーケットに登場するや、女性層の人気も得てミラージュはヒット作となる。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/02 05:41:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年08月30日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.07 シビックRS

【 70's J-car selection 】vol.07 シビックRSシビック1200RS SB1(1974)

もし、1970年代前半のオイル・ショック(第一次石油危機・1973年)が無かったら、このモデルは、もっと華やかな生涯を送れたのではなかったか。ベース車からしてかなり俊敏だったシビックに加わった新バージョンだったが、デビュー当時はちょうど石油危機の真っ最中。日本中がいろいろな意味での“自粛”モードになっていて、そんな時に登場することになってしまったのが、この仕様(RS)だった。

「RS」というのは何、どういう意味ですか?……と世間様から問われることを想定したのか、メーカーは何と、それは「ロード・セイリング」ですという答えを用意していた。もちろん開発陣にとっては、そんな“ふやけた”意味合いの追加仕様ではなく、スピリットはハッキリ「モータースポーツ」。「R」はレーシングで、「S」はスポーツだったと、当時のスタッフは証言する。

ゆえに、エンジンはシリンダーヘッドを“全交換”してツインカムにする予定だったし、タイヤのサイズも上げて、さらにワイドにするというプランもあった。しかし、この点についても、当時の社会情勢が関与してきた。後付けオーバー・フェンダーと「暴走族」はリンクしている。これがその頃の“当局”の判断で、「RS」はタイヤのサイズアップというチューンを行なうことができなかった。

……「ロード・セイリング」という言葉の範囲内で作られた「RS」は、シビックより“ちょっとだけ速い”クルマとしてまとめるしかなかった。いろんな意味で中途半端なモデルになってしまったと開発陣は述懐するが、それでも、人気のシビックに加わった新バージョンとして注目され、レア物としてのポジショニングも得て、今日に至っている。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/08/30 04:43:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年08月26日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.06 ジェミニZZ

【 70's J-car selection 】vol.06 ジェミニZZ【 70's J-car selection 】vol.06 ジェミニZZ 

いすゞ ジェミニZZ PF60(1979)

1970年代、多くの日本メーカーにとって、「外資」はそんなに身近ではなかった。わずかに、いすゞとGM、そして1979年にフォード&マツダとの提携があったのみだ。しかし、そんないすゞとGMのカップリングから、注目作が生まれた。それは、KD(ノックダウン)といえば、まあその通りなのだが、基本コンセプトは欧州車(欧州GM=オペル)で、それを実際にカタチにするのは、勤勉にして実績のある日本メーカー。そういう成り立ちの、70年代の新・国際車であった。

これは要するに、「ヨーロッパ」と「日本」のそれぞれ得意なところを組み合わせた“いいとこ取り”商品ではないか! この点に当時の“事情通”が目を付け、さらに、そうした情報がハードウェアとともに、一般マーケットにもジワジワと浸透していった。それが、いすゞジェミニ=オペル・カデットである。

ジェミニは、1974年に日本での販売が開始され、そのラインナップにSOHCエンジンしかなかったにも拘わらず、けっこうスポーティな走りをするクルマだと、堅実な評価を得た。そして、「ZZ」というDOHCバージョンが登場したことで、その渋い人気は、若年層やアクティブ層にまで拡がることになる。ジェミニのDOHC仕様の登場は、かつてのカローラに、いきなり2T-Gユニット搭載のレビン/トレノが加わった時の衝撃に、ちょっと似ていたかもしれない。

「ダブルジー」と呼ばれたジェミニのハイパワー仕様は、70年代に流行りはじめていたFFではなく、コンベンショナルなFRであったことも逆に注目された。「ダブルジー」は当時のラリー・フィールドでも活躍し、レアものとしても評価されて、今日に至っている。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)(フォトは基準車)
Posted at 2016/08/26 05:36:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年08月24日 イイね!

【 70's selection 】vol.05 ギャランGTO

【 70's selection 】vol.05 ギャランGTOGTOは、先行して売られていたギャラン・セダンのクーペ・バージョン。グランツーリスモを名乗るとおりに、スペシャリティを謳うセリカよりは、ぐっとスポーツに寄っていたスポーツマシンだった。もちろんこれにも、アメリカのポニーカーの影響は顕著で、スタイリングとしては、このGTOは、初代マスタングのイメージをかなりダブらせているといえよう。

 このMRという仕様は、シリーズ中唯一のツインカム・ユニット搭載のバージョン。当時はカムシャフトが2本であるというのは、それだけで稀少価値であり、価格的にも高価で、いま風にいえば相当なレアものだった。GTOというシリーズは、精悍なスタイリングが受けてそれなりのヒット作となり、このカッコウを見かけることも多かったが、しかし、このMRは滅多なことでは街を走っていなかった。

 ギャランのセダンは、当時走りには定評があり、それを低重心化しタイヤを強化した仕様であるこのGTOも、シャープなハンドリングで楽しめた。だが、三菱のスポーツ活動はラリーが中心だというイメージがあり(フォーミュラ・カーもやっていたのだが)、その意味でこのGTOは「三菱的」にはあまりコンペティションの匂いがせず、それがある種の上品さではあったが、一方ではイメージ的な弱さにつながっていたかもしれない。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/08/24 02:19:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
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何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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