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家村浩明のブログ一覧

2016年03月24日 イイね!

ティレル 019 《1》

ティレル 019 《1》この「ティレル019」というF1マシンが人々の目に初めて触れたのは、1990年の春のことだった。これが、新ティレル……! こんな感じで、欧州のいくつかの雑紙を飾ったのだが、しかし、まったく本気にしない人も実はたくさんいた。そう、時は4月だったのである。

エイプリル・フールのための、ていねいなジョーク写真……。ノーズこそ繊細でトレンディだったけれど、それは見たこともないような格好で浮き上がっていて、そしてそのサカナのような鼻には “ヒゲ” がぶら下がっていたのだ。ともかく、これは奇抜であり、「冗談か、あるいは狂気か?」とまで書いた雑誌さえあったものだ。

そしてもうひとつ、「019=ジョーク説」を生んだ理由があった。それは、1989年シーズンを走った前年マシンの「018」が、1990年オープニングの時点でも十分な戦闘力があったことだ。フェニックスでの開幕戦、アメリカGPで、驚異の新人ジャン・アレジが「018」で首位を走り、結果としても2位でフィニッシュ(中嶋悟6位)。そんなティレルが、何もこんなヘンテコなクルマを作らなくたっていいじゃないか、というものだった。

でも、もちろん、このノーズ(アンヘドラル・ウイング)は本気だった。ティレルのテクニカル・ディレクターであるイギリス人、ハーヴェイ・ポスルズウェイトがこの “鼻” とフロントウイングの仕掛け人だが、彼は次のように語っていた。「もし、わがチームにセナとホンダ・エンジンがあるのなら、別のかたちのトライがあったと思う。ただ、現状はそうではない。だから、ラディカルな試みをせざるを得なかった」──

ホンダのV10(1990年)、あるいはフェラーリのV12、ルノーV10……。そのようなメーカー製の最新・多気筒ユニットに対して、ティレルが使えるのは、非力なV8のフォード・コスワースDFR。エンジン・パワー以外の別の何かで、戦闘力を高めねばならない。そのトライが「空力」だったのだ。

たとえば、この「019」は、どこにエンジンがあるのかというくらいに、V8エンジンが巧みにクルマの中に収納されている。印象はものすごくコンパクトだ。そして、エキゾースト・パイプさえも、リヤ・サスペンションの上下アームの間から出すという徹底ぶりで、エアの “流れ” を阻害するものをなくしている。

また、このようにノーズを「上げる」とどうなるかというと、マシンの先端部に最も集中するエアを、無駄なく、ラジエターを抱える両側のサイド・ポンツーン部へ引き込むことができるのだという。

さらには、その部分に流れてくる空気の量が多いため、ラジエターのエア採り入れ口を他車より小さくしても、冷却に支障を来たさない。……ということは、クルマの全体も、よりスリムに仕立てることができ、ここでも空気抵抗を減らせると、このようにハナシは循環する。この「019」とは、パワーのV10/V12勢に対して、究極の “V8エアロ・スペシャル” を作って対抗しようというレーシング・エンジニアの夢なのだ。

この “ポスルズウェイトのジョーク” は、1990年第2戦終了後のイモラのテストで「018」より速いことを実証。実戦でも、デビュー・グランプリの第3戦サンマリノで、ジャン・アレジは予選7位につけ、決勝も6位で走り終えた。マクラーレン、フェラーリ、ウイリアムズの「三強」(多気筒エンジン)に次ぐ実力を発揮し、時にはこれら「三強」を食った。

1990年のモナコでは、ジャン・アレジは予選3位。決勝でも2位で、彼よりも「前」にいたのは、マクラーレン・ホンダ/V10のアイルトン・セナだけ。雨のカナダ・グランプリでは、アレジが2位まで上がり、その後に惜しくもクラッシュした。

“ハイノーズ・レボルーション”が冗談でも狂気でもなく、いかに効果的だったかがわかるが、それは今年(1991年)のF1シーンを見ても明らかだ。ウイリアムズ、ベネトン、そして躍進著しいジョーダン、あるいはダッラーラで走るスクーデリア・イタリア。これらがみな、多かれ少なかれ、持ち上がったノーズと垂れ下がった(?)フロントウイングの組み合わせで、マシンの先端部を構成している。

1990年ティレル「019」は、空力が生んだ “風のF1” であり、その後の、今日のF1マシンのトレンドを創ったのである。

(つづく) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1991年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/24 11:12:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年03月22日 イイね!

日野レンジャー“パリ~ダカール” 《2》

日野レンジャー“パリ~ダカール” 《2》……とは言うものの、レーサーとしては、この“トラック”はとても楽なのだという。「乗りやすくって、疲れない。各種の操作が軽いし。パワステ、パワークラッチ付きで、ミッションもイージー」。ちなみにミッションは、6速とハイ/ローの組み合わせで、6×2の12速。搭載のディーゼル・エンジンは、マキシマムで3600~3800回転まで回せるが、この比較的狭いパワーバンドを12速を駆使して使い切る。

「うん、日野チームのジョッソーなんかはそうして走る。巧いですよ! ぼくはね、6速とプラス1速くらいで走っちゃった。実は大型トラックは免許取ったばっかり。若葉マークなんです(笑)」(菅原)

1992年のパリ~ダカール・カップは、1991年に続いての、日野自動車の二度目の挑戦だった。4台のクルージング・レンジャーはゼブラ・カラーで青/緑/黄/赤に塗り分けられ、出場した4台のすべてが完走。4/5/6/10位を獲得した。

1位と2位はイタリアのベルリーニ。これは600馬力オーバーのエンジンを積むカミオンで、ストレートが速く、砂漠の部分でのタイムの貯金がモノをいったという展開と結果だ。菅原さんが乗った赤の4号車は、チームメイトに続いての6位入賞。日野の初挑戦時のリザルトは7/10/14位だったから、大幅なジャンプアップである。1992年のカミオン・クラスの出場は101台、完走は56台だった。

二輪に始まり、パジェロからトラック・クラスへと移行しつつ、マラソン・ラリーへの参戦を続ける菅原義正さんだが、このトラックによるレースは、なかなか気に入ってしまったようだ。たとえば、コスト。パジェロで、エンジン改造もアリのT2クラスに出場しようとすると、改造費だけで1000万円は必要なのだそうだ。

さらに上をめざして、強化デフ、ミッションのチューンとやっていくと、1300万円以上の世界に到達してしまう。その点、このカミオン・クラスは市販車状態のみのレースであり、基本的にタフなレンジャーなら(一晩中、エンジン掛けっ放し!)モディファイの費用もそんなには掛からない。

……そういうことなら、もしマラソン・ラリーに出ようとするなら、逆に、このカミオンなんかが狙い目ということになるでしょうか? 菅原さんはちょっとだけ考えて、このランボー極まる質問に、次のように答えてくれた。

「オフロードを走るっていうノウハウが、どの程度、その人にあるかっていうのが問題になりますよね。このレンジャーも、ストレート(直線)は140㎞/hしか出ないっていうけど、でも、コーナーも140㎞/hで回れちゃうわけですよ。非常に大きなマス(塊)のものを動かすってことですからねえ」

「ぼくなんかは、まず二輪から入って、次に四輪へ。パジェロですよね。オフロードでは、クルマがどう動くのか。小さいものからずっと、少しずつ学習していったわけです。そういうものナシに、いきなりトラックというのは、果たしてどうでしょうか」──

なるほど、その通りであろう。そして、こんな愚問賢答のあと、この種のマラソン・ラリーが見せる特有の闘いの景色を菅原さんは語った。

「すごく 《ひとり》 なんですよ。(ラリーには)450台も出てるんだから、何台かが一緒に走ってもいいような感じなんだけど、そうはならない。ちょっと走ると、すぐに 《ひとり》 ……」

「ワアーッと広い大地があって、その大地と自分だけの空間があるっていう状態になっちゃうんです。それでいて、タイム競争というものをやってるんですね、あくまでも。これは不思議な感覚です。日本人にはあまり向かないんじゃないかと思うことがありますよ」

砂漠はしばしば「海」に例えられるが、まさにその通りなのであろう。そして、そういう特別な時間のあとだからこそ、キャンプ地、そしてゴールにたどり着いた時の喜びは、ひとしおなのではないか。マラソン・ラリーは、このようなスピリチュアルな体験を得た人々によって、これからも支えられてゆく。

(了)

(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/22 15:18:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年03月22日 イイね!

日野レンジャー“パリ~ダカール” 《1》

日野レンジャー“パリ~ダカール” 《1》信じがたいことではあるが、これもまた「レーサー」である。レギュレーション(規約)に合致し、コンペティション(闘い)のためだけに設えられたクルマであり、ちょうど「N1仕様」をイメージすればいいくらいの改造内容だろう。

ただ、レーサーでありながらも、何となく見ていて和(なご)むというか、他のカテゴリーのような鋭利な刃物的な印象がないのは、やはりトラックというカタチのせいか。それと、改造範囲がごくごく狭い──つまり街なかを走っているトラックと外観はほとんど同じということにもよるだろう。いま、この「カミオン」(=トラック)のクラスは、生産車両と同じであることというのがレギュレーションなのである。

それにしても、この“レーシング・トラック”を見ていると、クルマがこの世で二台になった時にレースは始まったという、あの格言(?)を思い出す。パリ~ダカール・ラリーの初期、サポートのトラックは、単に物資を積んで、サポートのためだけに走っていた。それが、そうやってルートを走れるならレースもできるじゃないかというノリで、立派な1クラスとして成立してしまった。

そうやってレギュレーションができると、中には“突っ込む”ヤツが出てくる。これもまた、競走の世界の常である。DAFというワークスは、1200馬力のツイン・エンジンというモンスター級のレベルにまで到達。エンジンだけの原因ではなかっただろうが、ともかくカミオンによる死亡事故の発生に至り、今日では改造不可という規約でレースが行なわれている。でも、ほんとに人はレースをしたがる動物なんだなというのが、このトラックを見ているとヒシヒシと伝わってきて、何となく笑ってしまう。

さて、このレーサーは、日野自動車のクルージング・レンジャー/四輪駆動である。エンジンは直6の6・4リッターOHVディーゼル(ターボ+インタークーラー)。ベース車は240馬力だが、改造を許されているインジェクション・ポンプのチューンによって約300馬力になっているという。

足まわりは、スプリング、ダンパー、タイヤなどがノーマル。キャビン周りの外周に張られたパイプは、ブッシュによるガラスの破損を避けようという目的で、独自に付けたもの。そして、頑丈なロールバーがキャビン内をめぐっている。

6・4リッターで直列6気筒(ライン・シックス=L6と呼ぶ)というのも、乗用車の常識ではもの凄い感じだが、このトラックの世界では15リッター(!)の直6というのもあるそうで、この程度はカワイイ部類に属するエンジンであるらしい。

「エンジンって、普通のレースの世界ではナーバスでね。精密機械みたいな感じ、あるでしょ。でもこれって、エンジンというよりも“動力”って感じなの(笑)。何てったって、一晩中掛けっ放しで平気っていう、そういうエンジンだからね」……と笑うのは、日野ワークスの活動の中心となり、自らもレーシング・トラックのステアリングを握る菅原義正さんである。

トラックでレースをする。この感覚というのは、どういうものなのだろう? 
「これねえ、コーナリング、いいんですよ。砂漠ではちょっと馬力不足だったけど、ワインディングでは(タイムが)トップのSSもあった」
「パワー・ウエイト・レシオでいうと、70馬力のパジェロで走ってる感じです。でも、いまパジェロって210馬力くらいあるんだけど、道がデコボコしてくるとね、この70馬力で210馬力をバンバン抜けちゃう(笑)」
「コーナーなんかは、パジェロのショート(ホイールベース)とおんなじくらいに速い!」

市販クルージング・レンジャーは三種のホイールベースを持つが、チュニジア、エジプトなどでのテストの結果、そのうちの真ん中のサイズが選ばれている。短い方が、より運動性は良さそうだが、それではピッチングがひどすぎたのだとか。「でもねえ、パジェロはホイールベースのセンターにドライバーが乗るけど、これはフロント・アクスルの上でしょ。思いっきり、ピッチングがあります。縦方向のGが凄い」

(つづく)

(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/22 07:11:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年03月13日 イイね!

AMGメルセデス2.5-16 Evo.Ⅱ(1992) 《2》

AMGメルセデス2.5-16 Evo.Ⅱ(1992) 《2》そしてDTMでは、賞典にしても、各排気量ごとに最低重量の制限を設け(2.5リッターなら980 kg )、巧みに、そのクラスの中でどれが速いのかというようにしている。これも見る側にとってはわかりやすいのではないか。また、こうした重量制限によってレースが見事にイコール・コンディション化されるのは、主催者側が各マシンの能力をきちんと把握しているからだろうし、それが可能なのは、各チームが自チームやマシンの情報をオモテに出すからであろう。

さらに観客にとって楽しいのは、一日に2レースがあることだ。ヒート1/ヒート2ではなくて、これはそれぞれ独立したレース。そして、その前に予選レースもあるので、つまり最低三つの“本番レース”が一日で見られることになる。

そして、好成績であったマシンには重量(バラスト)が積むハンディキャップ制もあるので、勝者が次のレースでもそのまま勝てるとは限らない。こういうドラマ性もルール化されている。ちなみに、2500cc車で優勝すると、その重量ハンディは25 kg である。これによって入賞できないと、またハンディはゼロに戻される仕組み。レースは100キロのスプリントである。

さて、かつてのF1ドライバーのケケ・ロズベルクも参戦した、このような激戦レースの「1992年」を制したのは、クラウス・ルドビクが乗る、この「AMGメルセデス2.5-16エボルーションⅡ」だった。チューンド・バイ・AMGによるメルセデス2.5リッター4気筒エンジンは、この「エボⅡ」に至ってショート・ストローク化され、1万回転以上回るユニットとなった。その出力は、370馬力以上。

そして、公道仕様の「エボⅡ」の車重が1340 kg あるのに対して、このレース車は980 kg になるまで、各所で重量が削り取られている。ボンネット、トランクリッドなどはカーボンファイバー。メッキに見えるメルセデス・グリルも、実はプラスチックだ。フロントウインドーはガラスのままだが(でもかなり薄い!)他のウインドーはすべて変更されている。

注目は、このようなモディファイの中でも、ABSは捨てていないこと。もっともこれは並みのABSではなく、「レーシングABS」として新しいロジックとマネージメントで作られたアンチロック・ブレーキシステムであり、四輪の回転センサーからの情報を1000分の1秒以内に評価して対応するほか、前後のブレーキ・バランスも変更できるようになっている。

つまり、ABS以上に敏感なレーシング・ドライバーをも満足させるような究極のABSというべきもので、最早メルセデス・チームでは、誰もABSなしでレースに出ようとはしないという。そして、ABSのレーサーにとっての利点は、絶対にロックしないのでタイヤを傷めないことである。DTMではタイヤの使用量が限られている(6本のみ)ため、これは大きなメリットになる。また、いっそうのフル・ブレーキングが可能になり、ブレーキング・ポイントも(前に)詰められる。

1993年のDTMは、オペルがベクトラあるいはオメガで参戦してくることが確実視され、またアルファロメオが“ワークス155”をサーキットに持ち込む。これを、AMGを中心とするメルセデス系と、シュニッツァーなどチューナーがひしめくBMW軍団が迎え撃つ。

1983年にスタートしたドイツのツーリングカー・レースは、年々、観客のためのモディファイを繰り返して、ついに世界でも有数の熱狂度と注目度を獲得するに至った。レースは、やる側がシラけていてはもちろんつまらないが、観客不在でもまた成り立たないものであるはず。これら“相互の喜び”のためのレースとして、DTMに学ぶべきところは多いのではないだろうか。サーキットの数は増えた日本のレース・シーンだが、だからこそ、新鮮なレースのプロデュースが待たれるところだ。

「DTMとは、自動車会社が作った最高レベルのクルマを発表する場であり、そして、どのクルマにも平等に成功するチャンスが与えられている」(ユルゲン・フーベルト/メルセデス・ベンツ社理事)とは、このDTMを支えるエントラントの熱い支持の声のひとつである。

(了) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/13 21:21:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年03月13日 イイね!

AMGメルセデス2.5-16 Evo.Ⅱ(1992) 《1》

AMGメルセデス2.5-16 Evo.Ⅱ(1992) 《1》「おもしろいレース」というのを、とりあえず、誰が勝つのかわからない、出場車がダンゴ状態になってメインスタンド前に還ってくるようなレースとすると、そういうレースを創り出すというのは相当にむずかしい。……というより、ほとんど至難のワザだ。

F1のように、基本(フォーミュラ)だけ決めておいて、あとは割りと自由にやれ!……ということにすると、ご存じのような事態に陥る。たとえば1992年のF1シーンは、ハイテクを導入してきちんと消化し得たチームとそうでないチームの間で、極端な差が生じた。鈴鹿の日本グランプリでは、一周してきただけで、マンセル/ウイリアムズがほとんどストレート一本分の差を他チームにつけるという違いを見せつけた衝撃は、記憶に新しいところだ。

じゃあ、道具を同じものに揃えて、レースをしよう。これが一車種しか出場しない、いわゆるワンメイク・レースである。ただ、こうすればダンゴ状態になってのレースになるかというと、なかなかそうはならない。不法改造などのレギュレーション違反は一切ないとしても、レース展開はすぐにバラけてしまう。

なぜなら、ハード(道具)が同じだからこそ、レース屋さんはソフト(運用)の方を頑張るからで、許された範囲でのモディファイを続け、セッティングなどの面で差をつけようとする。(もうひとつ、現実に行なわれている多くのワンメイク・レースは、参加ドライバーのスキル=力量が揃っていないため、各車/各ドライバーが“それぞれの速度”で走る。つまりバラけた展開になることが多い)

むしろ、何でもアリ!……というレギュレーションの方が、結果としてはレベルが揃ってダンゴに近くなる。フシギだが、こういう逆説がレース界にはある。日本のF3000レースがいま、それに近いかもしれない。

そして、セッティングなどのそういうチャレンジングなことを一切やってはいけないとすると、レベルだけは揃うかもしれないが、これは最早「レース」ではない。そういうレース(レギュレーション)には、誰も参加しないであろうし、それがレース屋の性(サガ)というものでもある。

……そう、このへんで、エントラント(参加者)と観客との立場の違いが出て来てしまう。人は勝ちたいからレースに出る、一方、人はバトルを見物しに闘技場(サーキット)へ出向く。この二者の折り合いを、どうやってつくるか。

しかし、観客も熱狂し、エントラントも激しくシノギを削る、極めてヒートアップしたレースが、ドイツでは行なわれているらしい? こういう噂が伝わり始めたのが、数年ほど前からだった。30台以上のクルマが一団となってコーナーへなだれ込み、競り合って、時には押し出されたりする。そして、そのダンゴ状態のバトルがチェッカーフラッグまで続くという。それが「DTM」という名のレース、ドイツ・ツーリングカー選手権である。

その名の通りに、参加車両は年間5000台以上の量産車(=グループA)をベースに改造されたツーリングカーによるレースで、メルセデス・ベンツ190E2.5、BMW/M3、アウディV8クワトロ、さらにフォード・マスタングGTというのが1992年シーズンのメンバーシップであった。(オペルは、この年は休止していた)

このようなさまざまな機種が、なぜ、前述のような“くっつき合い”のバトルを演じるかというと、それは巧妙なレギュレーションの設定と、各エントラント間の密接な協力の故であるという。メーカー、チーム、ドライバー、タイヤ・メーカーからスポンサーまで、DTMはこれらの協議機関(IRTという)を設けて、レースをどう盛り上げるかを検討するのだ。

ここでいう「盛り上げる」とは、観客やTV視聴者にとって「レース」はどうあればいいかということ。このような思想で貫かれたDTMの象徴的なエピソードがひとつある。それは、勝ったチームの側から、「ウチはタイヤ幅を(いまより)狭くしてもいいですよ」とか「他チームのウイングを、もっと大きくしてもいい」といった提案が行なわれることだ。

要するに、勝利者が自らに対してハンディキャップを課すことを認める。勝ちたくないチームなんてどこにもないはずだが、“ツバぜり合い”というレースの魅力を提供し続けるためなら、あえて自分が遅くなることも許容するのだ。これはなかなか凄いことだと思う。

(つづく) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/13 12:00:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
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何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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