
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
ホンダ・シティのエンジンが一回り“太く”なった。ボディ造りがタイトになった。シートが豊かになった。
1.3リッターへのスケールアップ。お得意のコンピュータによるプログラムド・フューエル・インジェクション(PGM-FI)による武装は、1.2リッター時代の、よく吹けるけれども「下」のトルクが細いというエンジンから、オールラウンドな性格のパワーユニットに変わった。試乗車はマニュアル・シフト車であったけれど、さぞやオートマチックとよくマッチングするであろうと思われるエンジンになっている。
ボディはロードノイズをよく遮断し、ドアの閉まり音もがっしりと、確実にワンランク以上の向上を果たして、小さいが充実したクルマとなった。シートも、形状などには文句の付けようはあるけれど、まずは全体に大きくなり、色彩感覚や表皮の素材の印象も“コドモ”でなくなり、センス的にも大幅にグレードアップした。
……と、まことにおめでたい限りで、コングラチュレーション!でもあるのだが、ウーン、この(大きな)マイナーチェンジには、若干の感慨をなしとしない。
まずは「1.3リッター」なのだが、これはシティの場合は、べつにモータースポーツ・フィールドからの要請ではないだろうし、つまりは、他車並みにということでしかないだろうと思う。
「これ、いくつ? 1200? そうか、1200かぁ……」と、同クラス同サイズ他車のエンジン・キャパシティが思い出されて、そして中には1.3リッターにターボまで付いているのもあるのが現状だからして、それだけで既に“負けて”しまう。……という意見を洩らしたのは、実はホンダ・サイドであって、ぼくではない。
敢然と1カム。ツインカム駆動ではない16バルブ。ボディと最もマッチしたパワーと排気量。エンジンは一種だけ。ターボなどは出さない、「零戦」のバランスだとしたホンダ・シティの「哲学」は、他車並みでないというひと言で、あっけなく吹っ飛ばされてしまった。あるいは「スカートの丈を揃えなさい」風の声の前に、あえなく屈してしまった。
そして、もうひとつ。エンジンと足さえ良ければ、それは十分にクルマとして良いのだという在り方も、ニッポン市場は葬り去ったのだ。ほとんどスポーツカーと呼んでもいいほどに走りまくったとしても(シティのことである)それでも、ダメ……。装備や豪華さへの志向が、このようなベーシック・サイズのクルマにおいても、やっぱり必要なのだった。
たしかに、1.2リッター時代のシティの、たとえばシートはプアであり要改良点だったけれど、でも、それに代わるものとしての「走り」の性能は、やっぱり商品力とはならなかった。そして、以上の点は、HONDAというブランドにおいても超えられなかった。このこともまた、もうひとつの感慨である。
シティが「良く」なって、小さな充実車としてお奨めさえしてしまうけれど、なぜか、とってもフクザツな心境で、その「成長」を見つめてしまう、今日この頃……。きっと、機能(ファンクション)の時代が、ほんとうに終わったということなのでしょうな。
(1988/11/29)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
シティ1300(88年10月~ )
◆かつてエンジンの排気量1000cc=1リットルから「リッター・カー」と呼ばれた小型車は、現在、多くが1300ccを普通とするようになった(マーチを例外として)。軽自動車界からの突き上げも急で、このクラスとしての違いを明確にする必要もあったのだろう。また、あるメーカーによれば、この国のマーケットは1500ccという税制の境には敏感だが、1000cc以下での数千円の差額については、ほとんど無頓着なのだそうだ。軽の新規格が市場に出て来て後の、このクラスの対応もこれからの注目点になる。
○2014年のための注釈的メモ
トールボーイとあだ名された初代のシティから、二代目へフルチェンジ。この時に聞いた開発担当者の熱気溢れるコメントは忘れがたい。報道陣に向けての新型車プレゼンという場で、「えー、先代は“イヌっころ走り”だったので、今回はすばしっこい“ネコ”にしました」と言ったのだ。前モデルは前モデルでしかなく、継承はせずに、その都度ゼロ・スタートする。80年代ホンダは、こんなスピリットと社内風土の中で、新型車開発に臨んでいたと思える。「零戦のバランスだ」というキャッチーなフレーズも、この二代目の開発陣が発したものである。
Posted at 2014/11/15 09:53:02 | |
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