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2014年12月02日 イイね!

めざすは北米大陸だが、マキシマの新鮮さは“買い”だ!

めざすは北米大陸だが、マキシマの新鮮さは“買い”だ!§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

大きなサイズのクルマというのは例外なく、いわゆる「高級車」であり、豊かな空間とともに、さまざまなる付帯的な装備品を買わされるというのが、この国のクルマ・マーケットの慣例であった。

また、内・外装のシンプルなフィニッシュというのは、あるクルマのシリーズの、たとえば最下級グレードなどにたまたまあっても、それはほとんど注文生産に近い現実には存在しないバージョンであったり、走行に関する装備において、上級バージョンとは大きな格差が設けられていたりで(ブレーキ、タイヤなど)、現象的にも内容的にも“買えない”モデルであることが少なくなかった。クルマにおいて「大」を求めるユーザーは、見た目の豪華さというブラックホールに、むしろ自然に引き寄せられる、そんな構造に支配されてもいた。

大きなクルマをほしい人は、要するにデカい顔をしたいのであり、キラキラ、ギラギラと他人に眩しい思いをさせたいのであり、たくさんのスイッチやボタンの類で同乗者を威圧したいのであり(時には自身で途方に暮れつつも!)、またついでに、最速やら最高出力やらの勲章も望む人なのだ。──と、これが日本メーカーの理解で、なかなか正しかったりもするし、それで大きな成功を収めているところも事実としてあるのだが、しかし、そればかりではないはず……というチャレンジングなクルマがついに現われた。それがニッサン・マキシマである。

シンプル・パッケージの、しかも、大きなクルマ。この、ほとんど唯一無比のスタンスがマキシマであって、この双方に同じように価値を見出す人でないと、このクルマは意味を持たない。言い方を変えると、極端な限定商品である。

そんなニッポン人なんて、いるのかよ? この問いかけに確固とした答えを出せる者は、おそらく、いま誰もいない。ぼくもわからない。ただ、眩しくなくてケバくないクルマをほしいというだけの理由で、見栄ではなくて、外国車を買っている。そういう層はたしかに存在するはず。また、本年登場のセドリック/グロリアにしても、そうした従来のニッポン的高級車へのささやかな反歌であろう。ただし、このマキシマは、セドリック以上に“サービス”がないんだな……。

しかし、ビッグサイズ、大トルクのパワーユニット、豊かなシート、しっかりした“足腰”といった高価なクルマに求められるものは十分に具現化されている。そして、走ってトロくもなく、また静粛でもある。

また、フェンダー、ボンネット、バンパー、ランプ類などのパーツの「集積」としてクルマ(のデザイン)を構想するのではなく、何というか、まずマス(かたまり)をイメージして、そのかたちにパーツを溶け込ませる。そういった方法を採ったと思われるこのクルマの造型にも意欲が見える。この方法は内装にも貫かれていて、奇妙なデザインとも思えるステアリングは、その方法論の過激な現われなのだろう。

ともかく、成功するのか失敗するのか、まったく読めないというスリリングな商品で、メーカーの勇気すら感じるが、シートの成熟、乗り心地の良さなどの達成への評価も含めて、この“大いなる無印商品”に敬意を表する。そして、ニッポンでどのくらい売れるか、本気で注目する。

(1988/11/22)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
マキシマ(88年10月~  )
◆最初に書くと、このクルマはニッポンでやっぱり売れなかった。月販目標1500台を掲げたが、その控えめな数値にも届かなかった。これをまず、報告しておく。そしてぼくは、この事実をフシギとは思わない。でも、デザインにおける「パーツを溶け込ませる」手法を、このような量販セダンにまで持ち込んだという点で、マキシマとニッサンを評価したい。何と言ってもこれはアメリカで、そしてアメリカの普通の人々に売ろうというクルマなのであり、それでやったのだから。

○2014年のための注釈的メモ
当時の筆者も気づいているように、これはアメリカ市場狙いのモデルだった。そう考えれば、彼の地では、そもそもサイズからしてラージでもリッチでもないわけで、簡潔な佇まいの中級車としてまとめてみました……というのは当然であったかもしれない。それにしても、このクルマの「きれいなマス」をまずイメージするという造型、そのコンセプトと達成は見事だった。そして、この「マキシマ」のセンスを「欧・日」向けに処理すると、あの「P10」(1990プリメーラ)になるのではないかと思う。この二機種は、この時期のニッサンが生んだ二大傑作デザインだった。
Posted at 2014/12/02 21:29:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2014年12月02日 イイね!

第8章 「神の声」

第8章 「神の声」 ~『最速GT-R物語』 史上最強のハコを作った男たち(双葉社・1996年)より

1989年にR32スカイラインとそのGT-Rがデビューした時、「テストドライバーの声は『神の声』と思え!」というやり方でこのクルマは作られたという宣言を覚えている読者は少なくないはずだ。それはニッサンの職名でいう「評価ドライバー」の意見を唯一の基準として、つまり数字やデータによってではなく、人の感覚や官能面での評価が最も重要だとしてクルマを作っていく方法であった。

もちろん、どのメーカーのどんなクルマでも、その開発にはテストスタッフがいて、実車での走行テストを抜きにしてのクルマ作りはあり得ない。だが、「神の声」というまでにテストドライバーの評価を尊重して市販車を開発した例は稀であろう。GT-Rについて、「このクルマは、ちょっと普通と違うから…」というニッサン側の声は多いが、この「神の声」というシステムはそのひとつの例である。

さらに、そのような評価ドライバーと設計のエンジニアとの関係を、それまでとは違う「動的な」ものにした。これも、渡邉衡三を実験主担としたR32スカイラインの特徴だった。

エンジニアが作ったものについて、評価ドライバーがテストし、その結果を報告する。こういう静的なやり取りだけでなく、エンジニアもその評価テストの現場に立ち会い、そして、ドライバーとエンジニアが一緒にテスト車に乗って、同じ時間と経験を共有するダイナミックなテスト方式である。「エンジニアが『わかった』と言うまでは、クルマから降ろさない(笑)」と、渡邉衡三・現R33主管は、R32、R33と続けたこのシステムについて、笑みを浮かべながら語る。

今度のスカイラインでは、技術屋をドライバーの横に乗っけてテストコースをグルグル回り、フラフラにしては、厚木(シャシー、ボディ)や鶴見(エンジン)に帰してる……という社内の噂が立ったのは、R32開発時代のことだ。そしてその時、その評価を絶対のものとするとして渡邉に信頼された男、つまり「神」と呼ばれた男が加藤博義であった。「神? ……いやあ、ペラペラのカミで(笑)」。この話になると、加藤はテレまくる。

加藤によれば、何故そういうことになるのかは、逆に簡単な話なのだという。テストの結果をエンジニアに、これこれだと言う。その時、いくら口で説明しても、言っていることが伝わりにくいことがある。「わからない? あ、じゃあ隣に乗せてあげましょう、と。要するに、問題を共有化したいだけ」(加藤)

加藤の僚友であり、栃木と厚木の間の窓口になることも多い川上慎吾が付け加える。「自分で走ると、スカイラインの性能の5割ぐらいしか、普通のエンジニアは使えてない。だから、加藤の言ってることの意味とか内容がわからないんですね」

ただ加藤は、その「普通の人々」のドライビングについて楽観していない。これだけ世の中にたくさんのR32GT-Rが走っている。すると、「私のできることぐらいは、世の中のひと、やりますよ」と思うのだ。だから、マジなのだ。

川上によれば、加藤の横に乗ったほとんどのエンジニアは、「そんなスピードで(このクルマは)走れるのか!」とびっくりするという。そういう次元で、加藤は、「たとえば、後ろがヨレてるよとか、アクセル踏んでもついてこないよ、とか。私の言ってる世界はここですよ、と」。

こうした説得、もしくは実験と設計の相互理解によって、R32スカイラインは作られていった。そしてR33GT-Rにおいて、このような「磨き上げ」の歴史がもう一度再現されるのだ。

この「神」こと加藤博義は、「サスばっかりやってきた」というテスト・ドライバーで、「走り」とサスペンション評価のスペシャリスト。そして、単なる評価屋ではなく、クルマを「作る」能力があると、R33の主管・渡邉衡三は言う。これは、加藤流に言うと、「ここをこうしたら、こういうクルマになるというのが見えるだけのこと」。

それでも、ことサスペンションに関しては、べつに曲がりくねったところを走り込まずとも、「まっすぐちょっと走ればわかります。あ、これはサスだなとか、これはもうサスじゃない、車体だなとか」「16年、やってきましたからね。そのくらいは見える」と加藤は言う。

そして、自分はあくまでもクルマという現物に接しつつの評価しかしないし、イメージやこだわりが先行するタイプじゃないとしながら、加藤が速いクルマをテストしていく際に重要視しているポイントがひとつだけある。それが「ステアリング・インフォメーション」である。

加藤によれば、ドライバーがクルマの動きを知るための情報源は、クルマが速くなっていくにつれて、次のように変わっていくという。遅い時は、まず眼で知る。次は、腰あるいは尻で感じる。そして、さらにクルマが速くなったら「掌」になるというのだ。そして、その手が触れている唯一のもの、それがステアリングなのである。「腰で……というのは、まだまだ(速度が)下のレベル。ほんとに速い時は、腰じゃ間に合わない」(加藤)

たとえば「ニュル」のような、あるいはHPG(=北海道・陸別のテストコース)のような、超高速で走って、かつ曲がるというシチュエーションの場合だ。クルマをこう動かしたいと、ステアリングを切る。それと同時に、「入力」通りにクルマがちゃんと動いているか、このままコーナーに入って行って大丈夫か、アクセルを開けていいのかを決めなければならない。腰に「G」が来るのを待っていたら、本当に対応が間に合わない。それだけ速いのだ。

さらに突っ込んだ話をすれば、陸別のプルービング・グラウンドには、ジャンプした後で接地して、すぐに右に曲がるというコーナーがある。……となるとドライバーは、クルマが飛んでいる間に、次のコーナーのためにステアリングの舵角を決めておかなくてはならない。クルマは宙に浮いているから、バネに吊られた格好になっているタイヤも揺れる。その影響がステアリング系にまで及んで、ステアリングホイールが“踊って”しまってもやむを得ない……とも思えるが、それを加藤は嫌がった。さっそく、「ステアリング系、ちゃんとしてね」というオーダーになる。

GT-Rの「走り」を調合してまとめた“シェフ”、評価ドライバーの加藤博義が求めた「走り」の水準とは、このくらいにダイナミックで、そしてデリケートなものであった。そして、そのシビアなオーダーに、設計グループが応え続けた。これもまた、GT-Rならではだった。

加藤は語る。「たとえば、どこそこを直したいと言っても、いま頃言っても困るよって、まあ普通は直さないことが多いのが並みの市販車」「そういう意味では、このクルマは実験だけじゃなく、みんなが、本来やらないことまでも、いっぱいやってますね」

(第8章・了) ──文中敬称略
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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