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家村浩明のブログ一覧

2014年12月08日 イイね!

第13章 「ニュル」 その1

第13章 「ニュル」 その1 ~『最速GT-R物語』 史上最強のハコを作った男たち(双葉社・1996年)より

まず、栃木のワインディング路(テストコース)で。ここでの評価と確認ができたら、北海道・陸別の高速テストコースへ。そして、最終確認を欧州のサーキット、ニュルブルクリンク・オールドコースで──。スカイラインGT-Rの開発スケジュールは、このような段取りを踏むことが、いつの間にか全スタッフの了解事項になっていた。

「ニュル」を走る。このこと自体は、80年代後半から90年代にかけての日本車の開発では、べつに稀なことではない。とりわけ海外(欧州)をメイン・マーケットにするようなモデルでは“ニュル詣で”はしばしば行なわれ、ニッサン車でいえばパルサーやプリメーラも、「ニュル」を開発の最終ステージに選んでいた。

しかしスカイラインは当時も、そして今日でも、輸出の予定はまったくないモデルである。……にもかかわらず、「ニュル」は走る。これは、R32GT-Rの開発時に、実験主担としての渡邉衡三が国内専用車であることを知りつつ、敢えて挑戦するという道を選んだことから引き継がれていた。

なぜ「ニュル」か? 渡邉と伊藤修令・R32主管は、GT-Rで世界最高の「ロードゴーイング・カー」を作りたいと念じた。そのためには、世界の高性能車が走るテスト・ステージと同じ場に、自身の作品を置いてみたい。こういう素朴な、しかし真摯な願望があったのだ。

これと似たことを、同じような時期に同じような動機でやっていた日本のメーカーがある。スポーツカーNSXを開発中だったホンダである。ただし実際に走ってみた「ニュル」は、NSXの開発陣にいきなり課題を突きつけた。とくにボディの剛性については全面的な見直しを余儀なくされ、発売は当初の予定より一年ほど遅れることになる。ここでも、かつてR32GT-Rプロトタイプが受けたのと同じ“ニュルの洗礼”があった。こうした経験の後にこの両社は、「ニュル」的なテスト・フィールドの必要性を強く認識し、北海道に、それを模したコースを新設するという共通点を持つ。

ただ、ここで注意したいのは、スカイラインGT-Rとは、あくまでも「ロードゴーイング・カー」として企画され、その線でまとめられたクルマだということである。たしかに、GT-Rとモータースポーツは切っても切れない関係があるし、R31の時代からサーキットには関わっていた。レーシング・スカイラインのマル秘プロジェクトもあった。

しかし、渡邉は証言する。R32とそのGT-Rをまとめあげた時に、「これならレースにも勝てるねということになり、じゃあレースのために開発したということにしよう……となった。まあ、両面作戦ではありましたけどね」ということなのだ。

ロードゴーイング・カー、つまり使用条件がさまざまである市販車だから、ニュー・コンセプトの駆動方式や、複雑なサスペンションの機構が必要になる。あるいは、さまざまなレベルのドライバーが乗る市販車だから、高性能を人にとってやさしくするための配慮が要る。もしサーキット・ユースだけを考えるなら、もっとシンプルなクルマでいいことは、1995年にル・マンに初挑戦した「GT-R LM」を見ても、よくわかることだ。

スポーツ車両開発センターの水野和敏が作ったル・マン仕様33GT-Rは、単なるFR(2WD)であり、またサスペンションも、レーシングカーとしての定番であるダブルウィッシュボーン方式をわざわざ選択していた。(グループCカーでの実績があるパーツを使いたかったという理由もあるが)

また「ニュル」についても、渡邉は、次の点は確認しておいてほしいと言う。ここの「オールドコース」という周回路は、一般のサーキットのように、ピットの前を全速で通過できるようには作られていない。コースの外から入り、一周したら、また外に出て行くという構造になっている。

したがって、ニュルにおけるタイムは、どういう計り方をするかで違ってくる。R32GT-Rが記録した「8分20秒」とは、あくまでもニッサンとしての計測法によるタイムということ。後にR33GT-Rはこのタイムを大幅に縮めるが、その際つねに「マイナス何秒」という表現をしていくのはこのような理由による。

(つづく) ──文中敬称略
2014年12月08日 イイね!

ホンダ・コンチェルトへの“道”は、かく複雑・微妙なり……!

ホンダ・コンチェルトへの“道”は、かく複雑・微妙なり……!§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

クルマについてある程度アツくて、たとえば外国車についての知識も少なくないものがあり、書物も読んだりしてる。ただし、ありがちなこととして絶対にオカネモチではなく、したがって「リーズナブル」という語には本気で対応するし、クルマの複数所有は、まず諸事情が許さない。

いわゆるエンスージァストというよりは、もう少し批評的であり、むろんセールスマンによるクルマ選びはしないし、値引き額で購入車を決めたりもしない。欧州車へはひそかな憧憬と敬意があり、その所有経験すらあるかもしれないが、諸般の事情をかんがみた結果、いまは乗ってなかったり、耐えつつも、そのどれかと暮らしてる。

……というような人々(レアケースかもしれないけど)にとって、「質感」がテーマだとして呈示されたコンパクトなニューモデルは、静かだが強いインパクトがあったようである。(ああ、小さな高級車よ! 我、ついにその幻の具体化を見たり……)

この時、ヴァンデンプラは出て来ても、トヨタのカローラやカリーナは決してイメージされないというのが興味深いが、それはともかく、ホンダのコンチェルトというニューモデルは、どうもそのような受け止められ方をしたフシがある。

その結果、ヴァンデン・プラは知ってか知らずか、とにかく「高級度」という判定基準を当てられて、このコンチェルトは評価されがちのようだ。そうなると、このクルマの評価も、けっこうシビアになってしまうよな……。

だが、よく考えてみると、4WD版をスペシャルとして別格扱いにすれば、コンチェルトとはアンダー200万円というプライスのクルマであり、その値段からしてとくに「高級」ではない。300~400万円くださいという存在ではないのだった。所詮はシビック・ベースのクルマだからねえ……という非難めいた批評も、事実関係の指摘には有効だが、クルマ全体の評価としてはどうなのか。

そして、“プアマンズ・ローバー800”というのも、実にその通りなのだから、800よりもチープな分は“プア”になって当然でもある。たしかにローバーというのは、高級というかアッパーミドルのブランドで、コンチェルトとは、いずれは「ローバー400」としてもお目見えするモデルではあるが、しかし、400はあくまで400であって、800ではない。

「ローバー」という語感は、先ほどの“レア・ピープル”にとっては、かくも想像力をかき立てるものであったのかということを確認しつつ、作り手であるホンダ側の次のような意図を紹介しておく。それは、同様のコンポーネンツを使用して、シビックは日本、インテグラはアメリカ、そして今回のコンチェルトはヨーロッパです、というもの。つまり、そのような地域別の「作り分け」だというのだ。

なるほど、ね……。この方が、よほど明快だね。すると、ヨーロッパ車的なるものが、今日のニッポン市場で、どのくらいの商品力を持つか。これがコンチェルトの意味になるわけだ。6ヵ月後の販売台数に、その答えがあるさ……と言ってしまってもいいのだが、ここで敢えて展望を述べるなら、コンチェルトとは、ニッポンで一番ウルサ型の、それも、繰り返すけど“レア・ピープル”の前に示された商品だと思えてならない。

──「ヨーロッパ」にかぶれ、なおかつ、それと巧みに訣別した人のためのクルマ。それがコンチェルトということになりそうだが、ただ、そこには、けっこう愛らしいジゥジアーロ造型のジェミニが待っていたりする。ローバー400をこの目で見るまでは、評価は留保する? うん、それもまた、ひとつの正解だろう。『アクション・ジャーナル』も、その手で行くことにします。

(1988/11/15)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
コンチェルト(88年6月~  )
◆「小さな高級車」というのを希求するのは、ひょっとしたら自動車ジャーナリズム内だけに存在する志向だろうか? つまり、高級車(いいクルマ)を欲してはいるのだが、その欲求をあまり表に出したくないし見せたくない。その程度の羞恥心(?)はあって、しかし立場上、いろんなクルマに触れる特権は持っており、経験だけは豊富で、安っぽさにも敏感に反応する。そして、仕事上(と称して)都市内でもクルマで動きたがるから、取り回しの良さも重要で、ゆえに大型車は求めない。さらには、クルマへの関心は深いが、何台もまとめてクルマを所有できるほどにはおカネは持ってない。自動車雑誌関係者に多いタイプである。

○2014年のための注釈的メモ
ギョーカイの内輪話みたいな部分も多い一文で、いま読んでおもしろいかどうかは、もう、よくわかりません(笑)。ただ当時のギョーカイには、ヨーロッパではこうなのに、何でニッポンではそうならないんだ!?……といった“文化的苛立ち”が少なからずあり、そのイライラ感を、そのままクルマ(日本車)にぶつける“評論”がしばしばあった。コンチェルトの例では、メーカーがチラッと「質感」と言っただけで、こんなものが「高級」であるはずがない、何もわかってない!……と鉄槌を振りかざす。

でも英国を見るなら、おそらくは「階級」なるものがある故に、まったく同じメカニカル・コンポーネンツで、ヴァンデン・プラとモーリス/オースチンを作り分ける。(室内などディテールはもちろん異なるが)これが「馬車の時代」から引き継がれた慣習と社会的要請であり、作り手としても、それにやむなく(?)対応し続けた。その結果、大衆車モーリスと同じサイズの高級車も付随的に登場する、と。要するに、こういう事情だったと思うのだが。
Posted at 2014/12/08 06:31:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
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家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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