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家村浩明のブログ一覧

2014年12月11日 イイね!

第15章 “モデルチェンジ” その1

第15章 “モデルチェンジ” その1 ~『最速GT-R物語』 史上最強のハコを作った男たち(双葉社・1996年)より

1993年11月の東京モーターショーに参考出品されたR33GT-Rのプロトタイプは、信じられないほどの酷評を浴びた。しかもデザインについて語るのならともかく、「走り」にまで踏み込んだ“評価”があったのは不思議極まることだった。

まだ、社外の誰も触れても走ってもいないR33GT-Rについて、どうして「ダメ」とか「走らない」とか言えるのか? そうしたあまりにも理不尽な評には、主管の渡邉衡三も怒りを抑えることができなかった。とはいえ、一部に不当な評はあれ、少なくともあまり好評ではなかったことはたしかであり、渡邉もその現実は厳粛に受け止めた。

(このクルマは、やはり簡単にできるクルマじゃないな)……こう改めて思ったのはGT-Rの専任主担・吉川正敏だった。ショーに出したR33ベースのプロトタイプの出来がどうだからというのではなく、やはり「GT-R」とは安易なプロジェクトじゃないのだと思い直した。さらに、これで、もし「走り」が悪かったら、このクルマは世に出せないなと認識し、こと「走り」に関しては、いま以上に磨く必要があるとも思った。

ただ吉川には、ちょっとせいせいした気分もあった。自分でやってきたことを自分で否定するというのは、実はなかなかむずかしい場合がある。外からの不評で徹底的に否定される方が、スタッフ側としての仕切り直しは、むしろしやすいのではないか。吉川は、モーターショーでの大不評のおかげで、気分的にも「R33GT-Rプロジェクト」の新たなスタートが切れたと思った。

ただし、そこから予定外の仕事も出現する。主管の渡邉は、モーターショーが終わるとすぐに、厚木のデザイン室、松井孝晏プロデューサーに要請した。渡邉はひと言、松井に、「変えろよな!」と言った。R33GT-Rの最終デザインに向けて、デザイン室でふたたび新しいプロジェクトが組まれ、担当デザイナーに西泉秀俊が指名された。

この西泉は、R30スカイラインのマイナーチェンジでエクステリアを担当し、あの“鉄仮面”を生んだ男である。また、続くR31でも、彼の原案をベースに2ドアクーペが作られていた。しかしR33には関わっていず、ローレルやサニー/パルサーなどの担当を経て、93年の夏にスカイライン・グループに戻っていたところだった。

ここで挙げた彼の作品を見ると、西泉は、こと凄味や迫力をモチーフにクルマをデザインさせると、その感性と力量を発揮するタイプのように見える。R33GT-Rのリ・デザインという仕事に彼が任命されたのは、その意味では当然であったかもしれない。ただ、少なくともその夏までは、GT-Rのスタイリングを変更するという社内の動きはなかったと、西泉は言う。やはりモーターショー以後、事態は急転したのだ。

R33の基準車、さらにはモーターショーでのプロトタイプGT-R。これらを見ての西泉の感想は「ちょっと、おとなしいな」というもので、それを渡邉に、何かの機会に言ったこともあった。

ただ、その「おとなしさ」には理由があった。スカイラインR33は、若向きというべきR32やS13シルビアなどが発表された後にデザインされたものだ。そうしたホットなモデルを発表した直後であり、当時のニッサンのデザイン・セクションには、一種の反動としての“オトナ志向”が生まれていたという。速さ、あるいは性能を、表面的にギンギンに主張するよりも、それを内に秘めたようなアダルトな感じにできないか。そういう試作を各チームが競って行なっていた時期であった。

さらにR33の造型には、もうひとつ、担当デザイナーのひそかな願望と熱意が盛られていた。それは「欧州」である。もちろん、スカイラインが輸出車でないことはわかっている。でも、仮にヨーロッパという地に置いてみても評価されるようなデザインでありたい。そして、そうすることが、新スカイラインの評価を日本でも高めることになる。そういう企図であった。

しかし、基準車はともかくとしても、少なくとも「GT-R」については、そのようなオトナ路線や国際路線は似つかわしくなかったのかもしれない。渡邉もそれを認め、R33のGT-Rはプロトタイプ公表後に、異例の“モデルチェンジ”を受けることになったのだ。

(つづく) ──文中敬称略
2014年12月11日 イイね!

静かでなめらかで速くて……マークⅡのニッポン制覇に理由あり

静かでなめらかで速くて……マークⅡのニッポン制覇に理由あり§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

乗っているうちに、ジワジワーっと良くなってくる……。これが今回のニュー・マークⅡ/クレスタ/チェイサーではないか。今回のフルチェンジにはセンセーションというものがあまりないから、試乗なども、いわばクールに始まってしまうのだが、走りはじめると、少しずつクルマに説得される。

まずは、低・中速域での乗り心地が恐ろしくしなやかなこと。とくに、路面の細かい粗さを室内に侵入させない、ゴツゴツ、ゴロゴロ感を完全に追放した静粛性は見事で、この現実だけで、街乗りが主であるユーザーを納得させるに十分な仕上がりと思える。

またこれには、ホイールが動きつつ、そしてサスもしっかり働いている──そうした確かな「接地感覚」も伴うものであって、あくまでも四つのタイヤの上に乗っているという実感を消していない。何を言いたいのかというと、静かなのはいいけれど、四つの車輪で走っているクルマ的感覚に乏しいようなサイレント・カプセルではないということ。

これは日本人が好む「静かなクルマ作り」が、そのファースト・ステップの段階を明らかに越えたことを意味すると思う。いい感じの走りを、その挙動を、ドライバーに感じさせつつ、なお、ノイズレスなのだ。単に、余分な音を排除して遮断すればよろしいというレベルではないのだった。

さらに走り込むと、たとえばGTと名付けられたツインターボ版では、クルマの足腰が並みのマークⅡシリーズよりも、もうワンランク締め上げてあることがわかる。コーナリングなどでも、5ナンバー・フルサイズの車体をしたたかに支えきり、パワーステアリングの感触もしっとりとして、しかし軽すぎず、ノーマル系に比べてもずっとナチュラルになる。(もっともパワーステアリングの“自然化”は、87~88年デビューのいくつかの新型車に共通の好ましい傾向であって、マークⅡ系のみのポイントではないが)

また、このGT版のパフォーマンスも大したもので、ドカンと来るターボ感はさほどないものの、そういうのは体感上でのパワー感で過去のものであるとでも言いたげに、このターボ車はジワーッと速い。ドカンとは来ないが、しかし、ちょっとしたオープンロードで試せば、このツインターボは“ひと踏み、ピンポン!”である。速度警告音が鳴る領域への加速はこのように瞬時で、それは思わず苦笑してしまうほどだ。そしてここでも、あくまでも際立たせることなく、しかし、やる時はやる!という、このクルマの姿勢が窺える。

スタイリングに関しては、新・マークⅡ系は、昨今のトヨタ・ファミリーの内に見事に埋没したとか、50メートル離れれば、クラウンもマークⅡも、カムリ/ビスタも区別できないじゃないかといった評は、もちろん可能ではある。

しかし、50メートルじゃなく50センチ、さらには10センチの距離で、もっと言うなら撫で回してみるというような接触レベルでのスタイリングでは、マークⅡ系の今回のそれはひどく凝ったものであり、三兄弟の造型もそれぞれ巧みに異なっている。これはTV・CFのように「白」を表に出さずに、もっとダークなカラーで光と影に“芸”をさせれば、より明確になるとも思うが、このへんはCF上よりも、ショールームでの“接触距離”で、かつマン・ツー・マンでアピールすればいいという判断であろうか。

難なくまとめた。保守本流の極致。一転して、サイドウインドー・ワイパーや、せり出してくる空調コントロールのパネルなどのサービス装備をからかわれたり……。そうした割りと冷たい批評に取り囲まれそうな新マークⅡ系のモデルチェンジだが、走りの中身は濃いものがある。

とりわけ、GTツインターボは“羊”ならぬ小市民の殻を被った、侮りがたい“狼”である。それは乗り手を市民のココロに保ったまま、つまり無用な昂ぶりを誘うことなく、したたかに、やわらかく速い。

そして、ごく普通の人々の日常的な消費水準や持ち物、服装などの小ギレイ度がひどく高い国。誰でも“リッチ”というニッポンの今日をも、このマークⅡは象徴しているだろう。さまざまな意味で頷くしかないニューモデル、それが新マークⅡ系だった。

(1988/10/18)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
マークⅡ/クレスタ/チェイサー(88年8月~  )
◆マークⅡ「次女」説というのを掲げたことがある。トヨタ家の「長女」とは、もちろんクラウン。そして、そんな最上級&最高価値車を買ってるんじゃありませんよ、ちゃんと控えめな選択ですよ……というエクスキューズ付きがマークⅡ。これがこのシリーズの人気の因だという説だ。そして「長女」を超えるセルシオ登場以後の90年代、この図式はさらに有効性を増しマークⅡ系は買いやすくなって、もう一度“大衆化”する。つまり、もっと売れる……という展望なのだが、さて?

○2014年のための注釈的メモ
「低・中速域での乗り心地」とは、具体的には時速50キロとそれ以下のこと。コーナリング時のようにサスペンション系が「働いている」のではなく、「足」が動き出す前といった状態で、ドライバーはもちろん何もしていない(何の「入力」もしていない)。その時にクルマがどうであるか。ここでのクルマの動き、つまり乗員にとっての「乗り心地」をつくるのがトヨタ車は──とりわけクラウンやマークⅡは巧かった。日本というエリアでクルマがどう使われているか。そのターゲット設定がしっかりしていて、それに真っ正面から向き合う。そして80年代時点で、トヨタは既に高水準の答えを引き出していた……と顧みることができる。
Posted at 2014/12/11 07:15:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
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