
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
初代のプレーリーは、やはり成功作ではなかっただろう。センターピラーなしで、豪快に“吹き抜け”構造にするなど、意欲はたっぷりだった新提案カーだったが、いかんせん、ルックスがチャーミングではなかった。機能美(?)でありすぎた。
つまり、ほんとうに機能追求で巨大な動くハコを求めるなら、もっと大きくて、エンジンも床下にあるようなワンボックス・ワゴンがあまた存在する。この厳粛な事実の前に、いくらセダンではないからとはいえ、機能一辺倒の造型を持ってきては、やっぱり勝てないのである。
またこのクルマは、純・乗用セダンでもワンボックスでもないという中間に、つまり、どっちでありすぎても困るという、極めて限定されたところにユーザーを求めた機種のはずで、その故にこそ、オリジナリティというものがほしかった。初代プレーリーは、ワンボックスから何かを借り、セダンからはこれをかすめてというような「中間車」であったとぼくは思う。
……ウム、そもそも「1.5ボックスだ」みたいな、中間意識がいけないんじゃないかね。双方をキョロキョロ見るんじゃなくて、何か、これまで無かった類のビークルを新たに創出する。そのくらいの意気でもってやると「自動車」という概念の根ッコのところでの新風となって、展望もまた開ける。そういうもんだヮと、ま、こんなエラそうな感想も持っておりました。
では今回の、セカンド・ジェネレーションとしてのプレーリーはどうか? これは、いいでしょうね。ある与えられた投影面積の上で、BOXがいくつかなんてことは構わずに、自由に遊ぶ。そして、そのようなイメージスケッチが、ほとんどまんま、商品となって実現している。そういう新しいビークルである。
ふつうのセダンも、いわゆるワンボックスも買わない。そういう人のための限定商品は、ターゲットが狭い故に、受け手の見方が逆にシビアになると思う。スポーツカーというものがよい例で、ほんの些細なフィーリングの差が「優劣」とされてしまうし、デザインの“一瞬”が勝負の分かれ目となる。プレーリーのようなクルマに注目する限られた層にとって、今回のスタイリングは、顔をほころばせるに足るものではないか。やってくれたね、今度は!……というところであろう。
嗚呼、だからこそ! ここまで来た故にこそ、パワーソースへの十分以上の吟味がほしかった。こういうの買う人って、あまり飛ばさないんじゃない?……と言っているとしか思えないエンジンは、はっきり言って魅力がない。ここのところで、セダンじゃないからといった逃げを打たないでほしい。
繰り返すが、これは新種の「自動車」。速さやドライバビリティなどの点でも、欠けるところがあってはならないクルマ。もっと言えば、パワーユニットにおいても、新しさの主張がなければならないはず。
新カテゴリー・ビークル、プレーリーに、もっと速さを、そして、走りにも夢を!
(1988/12/20)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
プレーリー(88年9月~ )
◆この種のプレーリーみたいなクルマは、90年代の新傾向となりそうである。いくつかのメーカーから、このような大きなハコ型で、そして、あくまでも乗用ユースであるというビークルが登場してくる。それなりのカテゴリーができた時、今度はその「レギュレーション」内での競争となり、クルマが磨かれる。そういった歴史が、また始まるのであろう。きびしい世界だなと思いつつ、もちろん受け手としては、そのようなバトルを歓迎するものである。レースの世界とよく似てるな、やっぱり──。
Posted at 2014/12/14 18:55:45 | |
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