
§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection
さまざまな意味で、このクルマは「スポーツカー」である。120馬力バージョンとなった89年のプジョー205GTIと“遊んで”みて、このことを実感した。
試乗車はたまたま左ハンドル仕様であったが、クルマのどっち側に座るかという違いを感じさせないほどのコンパクトな車体。コクッコクッと気持ちよく入る、クロスレシオの5速のミッションは、必要だからではなく、それを行ないたいがためにシフトレバーを動かしたくなる。小ぶりのシートながら、サイドサポートと腿の部分のホールド性は万全で、基本形状にも優れたそれは、ドライバーズ・シートに収まること自体をひとつの喜びとしてくれる。
スロットル、ステアリング、ブレーキング。これらの「……ワーク」に対するレスポンスは、一様に、俊敏にして適度。べつにワインディング・ロードへ攻め入らなくたって、そのへんを“ひと曲がり”するだけでわかる、挙動のおもしろさ。全身を使ってクルマを動かすこと、クルマを操ることが、それだけで嬉しい。
突き詰めると、何処にも到着しなくともよいクルマ、走ってるだけで気持ちが充足してしまうクルマ──。目的と手段ということから言えば、ほとんど倒錯しているようなこういう自動車。それがきっと「スポーツカー」というものなのだが、プジョー205GTIは、以上のような意味で、たっぷりとその要素(変態性!?)を持っている。
そして、そうでありながらも、このクルマは決して排他的ではなく、“人当たり”はやさしくて、乗り心地もマイルド。加えて、愛くるしい造型さえも併せ持つ。……というわけで、スポーツ性のみならず、日常車/実用車としても十分に使えるクルマであるのだが、しかし、この「総合的に見て」という評価軸を持ち出すと、205GTIという存在はいささか評価を下げざるを得ない。
まず、小さく、狭い。とくにヘッドルームはミニマム以下だろう。ロードノイズや風切り音など、外部からの音は容赦なくキャビンに侵入し、ボディ剛性にさほど気を配っていないと思えるクルマの作り方も、その印象を増幅する。もちろん、こういう要求を安価な軽量車に求めるのは、もともと酷なことである。軽量であることは、そのまま、運動性にいては長所となり得る表裏一体のものだからだ。
ただ、そこまでわかっても、プジョー205GTIは、この国の市場においては決して安価ではないクルマだ。いくつかの短所も、すべては、この価格にしては……という比較軸による。何と言ってもこのクルマは、何だかんだで「300万円カー」なのである。
嗚呼、しかし! 総合性能やら快適性やら、さらにはバリュー・フォー・マネーであるかどうかなど、そういった浮き世の事象やセコい問題から、ひとり離れて、スポーツカーの世界は存在するのだ、おそらく!
プジョー205GTIは、まぎれもなくスポーツカーである。総合的なバランスの良さとパッケージングで、乗り手のココロをワクワクさせる。その昂揚感こそが「商品性」であり、これに世俗的な意味での値段は付かないし、また、付けてもいけないのだろうな……。
(1989/04/11)
○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
プジョー205GTI/120(88年~ )
◆「スポーツカー」という批評軸を持ち出して、205GTIに当ててみると、つまりはこのような一文になる。小さく狭いことだって、運動性という一点からすれば、好材料にもなる。その運動性の魅力は、ここに記した通り。一方でこの書き手は、どっぷりと「浮き世の事象」の中にいるので、このクルマが「安価ではない」ことをスンナリとは是認できない。そしてそれは“スポーツカー乗り”として、根本的な“何か”が欠けていることを意味するのだが、ただ、そうした浮き世のしがらみは、わかっていたらどうにかなる……といったものでもないのが困ってしまうところだ。
○2015年のための注釈的メモ
ここまで書いた「プジョー205GTI」だが、しかし私はこれを“生活の友”にはしなかったし、GTIより安価な普通の205を購入することもなかった。私に二の足を踏ませたのは、やはりVWでのトラブル体験だったと思う。信頼性が高いとされているドイツ車でもそうなるのなら、フランス車はもっと、いろいろとあるのではないか。まあ、この時がエンスージァスト(=コワれても好きな人)になるか、普通に浮き世を生きるか(笑)の境目であったとも思うが、90年代の私は前者の道は採らなかった。
Posted at 2015/01/14 16:36:24 | |
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