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2015年01月16日 イイね!

日本的「外車」マーケットの現状が、アウディを透して見える……

日本的「外車」マーケットの現状が、アウディを透して見える……§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

「入門用」と呼ばれる奇妙な外国車が、この国には存在する。ひょっとしたら、それは自動車ジャーナリズムの上だけのことなのかもしれないが、ともかく一応解説めいたことをすると、この世には「外車界」とでも呼ぶべき魔界があり、それはけっこうナンギな道であるが故に、まずは「門」を叩いて、然るべく洗礼を受けねばならぬ。

そして、国産車を卒業したら……などの表現が時に見受けられるところを見ると、この魔界は、日本車を日常使用する世界の上方に、どうやら位置するらしい。さらには、その修験の道にも似たアッパー・ワールドを、すべての自動車愛好家はめざす。そのような強い確信もそこには窺えて、だからこその「入門」なのであろうと思う。

その魔界は、それほどまでに辛くて厳しいらしいことが「入門」という語に無意識に表われているようで、なかなか可笑しい。当たっているだけにキツいとも言えるし、また、モーター・ジャーナリストという種族の無意識の願望が露見している表現だとも言える。(ついでに表われているのが、これまた意識せざるところの日本車への差別である。だいたい「国産車」という言い方それ自体が、既にして差別語なのだが)

では、「入門用外車」とは、たとえば何なのか? 衆目の一致するところ、それはVWのゴルフである。よりコンパクトであっても、イタリア車やフランス車は、一応ネクスト・ステップとして除外されるようだ。

一方、「入門」と並んで、もうひとつジャーナリズムが好むのは「究極」である。代表車は、フェラーリF40を挙げれば十分だろう。これには、4500万円は高くないという、モーター・ジャーナリズムだけに通用する常識と評価さえついて回る。ここではポルシェの四駆の、911改みたいな何だっけ? アレのン億円すら、マジメな論議の対象になっていたな、そういえば。ウーン、奥深い世界じゃ。年収3000万円ぽっちじゃあ、とっても足りない。

さて、「入門」することの是非や意義は一応措いて、外国車として最も買いやすいクルマはといえば、やはりフォルクスワーゲンであろう。価格、販売の体制、サービスなどのネットワーク。これらはほぼ日本車並みというレベルであり、誰でも手を出して不安でない。(価格は、何と較べるかでどうとも言えるのだが、ともかく絶対的な数値が少ないことは事実である)

……ンで、たとえば、ワーゲンを買う。然るべき年月が経つ。次のクルマを考えたりもする、と。こうして、それなりの西独車体験をした人々の「次」。さらには、VWというクルマに説得されてしまった層への、ネクスト・ワン。

そのためのクルマとして、アウディは、もっと積極的にVWとの“連続性”を打ち出したらどうだろうか。駆動方式(FFという点では同じ)、シャシーとエンジン・パワーの関係(シャシーに勝たせる)など、クルマ作りの根っこのところは同じだし、事実としてVW/アウディは同一グループ系列。日本では、売ってる店までが同じなのだ。

VW的基本性能に静粛性と高級度を加えて、粗なる部分や、あまりの素っ気なさを取り去る。そういうクルマが実はあるんですよと、年間2万人を超えて生産され続けるVWユーザーへ向けてアピールする。だが、現状はこうではない。“兄弟”であることはむしろ隠されて、まったくの別車種として、それぞれに販売展開が成されている。聞けば、広告代理店まで違うのだという。連係プレイは、しようとしてもできないようなのだ。

VWで、せっかく多くの顧客を掴みながら……と、アウディのために余計な心配をしてしまったが、ふと、ゲンシュクな事実に思いが至った、発見をしてしまった。VWを買った人々にとっては、VWが、実は“頂点”なのではないか。外国車ワーゲンは、ひとつの到達点で、そこからヨコへは行けても、上へは行けない。ほかへ翔べる人は、そもそもVWには「入門」しない! 

販売元は、そういえば、VWの次には、どこかが新しくなったVWを同じ客には奨める、そういう売り方をしている。それでいいのだ、きっと……。(ねえ、ダンナ。クルマに200万円しか出さなかった客が、仮に三年経ったとしてですよ、いきなり400万円出す客に変われると思います? そういう給与体系になってます?)

アウディは、やはり、VWには頼らぬ商売をしなくてはなるまい。ハードとしてアッパーVWという存在であることは間違いではないが、その受け手は、そのようにはスライドしない。給与体系の外にいる人々が、たぶんアウディの客だ。ただ、そのような人々にとっては、アウディというのは、あまりに渋い。いぶし銀でありすぎる。そんな推察もできるのではないか。「入門」と「究極」の狭間で、アウディ80/90といったモデルは彷徨う……ような気がする。

そして、人、給与体系の内にいる限り、「入門」してもその次はない。この論考も、この国のモーター・ジャーナリズムには捧げたい。もうひとつ、「究極」ゴッコも、もうたくさんだ。

(1989/05/02)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
アウディ80/90/100(89年~  )
◆VW、アウディの輸入元とは、もちろんヤナセである。同社がカスタマーに配るPR誌の中に、オーナー登場というようなページがあるが、そこで見ると、VWの客と、アウディ/メルセデス/GM車の客との間には、深くて広い距離があることがそれとなくわかる。VWの顧客とは、要するに、VWがワン・アンド・オンリー。ようやくVW車を買いました!……という歓びと一緒に写真に映っている。一方アウディは、いっぱいクルマを持っているうちの一台として、誌面に登場する傾向にある。
Posted at 2015/01/16 13:14:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
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