2015年01月29日
その5 シボレーに乗った保安官
この町を、フェートン・タイプの乗用車で動き回るのは保安官のテート。このカウンティのシェリフで、彼が乗るクルマはシボレーである。(注1)フィンチ家の前の道路に、一頭の狂犬がいるという家政婦からの通報を受けて、アティカスが保安官のクルマに同乗して家に戻って来た。
遠くから見る犬は動きもおかしく、たしかに病気であるようだ。保安官テートは「こっちに向かってくる前に撃つべきだ。射撃は、きみの方がずっと巧い」と、アティカスにライフル銃を手渡す。「もう何年も撃っていない」と言いながらも、アティカスは一発で狂犬を仕留めた。
息子ジェムが目を見張る。ジェムはこれまで、父が銃を撃つのを自分の目で見たことはなかったのかもしれない。そんな息子に、保安官は言った。「何をビックリしてる? きみの父は、このカウンティでも一番の銃の名手なんだぞ」
そして、ある日のフィンチ家ガレージ。そこに収まっていたクルマを、アティカスがバックで車庫から出そうとしている。その時、子どもたちが駆け寄った。「一緒に行く」「連れて行って」
父は、仕事の話をしている間は「クルマの中でじっとしていられるか?」と確認し、二人がクルマに乗ることを許した。観音開きタイプのリヤ・ドアを開けて、後席に乗り込む息子ジェム。娘スカウトも、反対側のドアを自分の手で開けようとしている。
このフィンチ家のクルマは、サイドにウインドーが三つある、いわゆるシックスライト造型で、フォード/シボレー・クラスとはワンランク違う上級機種に見える。映画ではフロントグリルが映る場面が一度もないので、車種を特定するのはちょっと難しいが。
ただ、このクルマや着ている服を見れば、「うちも貧乏だ」とアティカスが娘スカウトに言ったのは言葉のアヤだったことがわかる。弁護士フィンチは、少なくともクルマについては、保安官より高価なものに乗っているし、また、服もいつも整っていた。
この時、夜をついてアティカスが出かけて行ったのは、「トム・ロビンソン」(被告)の家族のところだ。町はずれだろうか、少なくともフィンチ家よりは小さく、そして、その割りには人がいっぱい住んでいる(らしい)家の前に、アティカスのクルマが着いた。
夜を走るクルマに揺られてスカウトは眠ってしまったようだが、ジェムは起きていて、車内から父の様子をじっと見ている。子どもの目線の先にあるものを描くというシナリオのスタンスは、ここでも貫かれ、ロビンソン家に入ったアティカスが中で何をどう話しているのかは、観客にはわからない。一方、ジェムとスカウトが残ったクルマとその周辺で何が起こったかは、しっかり描かれる。
ジェムはクルマの中から、状況をじっと見ていた。すると、この家の子どもだろうか、黒人の少年が一人、クルマに近寄って来た。軽く手を挙げて、少年に挨拶するジェム。それに応えて、少年も頷く。
しかし、アティカスのクルマに近づいてきたのは、黒人少年だけではなかった。今度は、どこから現われたのか、酔っているらしい白人の中年男が近づいてきて、ボンネットを叩き、室内を覗き込む。中にジェムがいることは、外からは見えていないのかもしれない。この時クルマは、少年ジェムをガードするカプセルになっていた。
男がクルマから離れたと見たジェムは、黒人少年に「パパを呼んできて」と頼んだ。だが、呼びに行くまでもなく、用を済ませたアティカスが家から出て来た。そこに、酔った男が近づく。「ニガーの仲間め!」(お前は“ニガー・ラバー”だ!)脅したつもりか、この一言だけで、白人男は去って行った。
運転席に乗り込んだ父の手に、息子が触れてきた。父は「何も怖がることはないぞ」と息子に言って(原文には「すべてブラフなんだ」という言葉が入っている)、クルマをスタートさせた。帰宅後、少しだけ顔をしかめながら、父は「世の中には汚い部分がある」「お前には見せたくないが、残念ながら、それは不可能に近い」と、息子に言った。
(つづく)
○注1
保安官が乗ってきたこのクルマを、写真一枚で「シボレーのAB型、年式は1927~28年だね」と鑑定してくれたのは、旧車と航空機に詳しい川上完さんだった。……「だった」と過去形で書かなければならないのは、悲しいことに、彼がもう故人だからである。彼の好きな航空機をネタに、共作で web 記事を作ろうとしていて、最初の五回分までは実際に原稿も作ったのだが、逝去によって、その掲載や展開も不可能になった。あまりにも急だった訃報に接して以後、彼と私の時間は止まったままだ。合掌、そして、ありがとう完さん……。
Posted at 2015/01/29 21:21:24 | |
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クルマから映画を見る | 日記