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家村浩明のブログ一覧

2015年03月02日 イイね!

ドライバーに忠実な小猫たち。シティとフェスティバの挙動の魅力

ドライバーに忠実な小猫たち。シティとフェスティバの挙動の魅力§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

クルマのおもしろさ、楽しさとは、つまるところ、その挙動の魅力なのではないか。これはよく走るワ……などと、しばしば言うけれども、その表現の中身を追求してみると、要するに「挙動」ということに突き当たるのではなかろうか。たとえば、曲がりたいように曲がってくれる、行きたいように行ってくれる。あるいは、望む速さに、すぐなってくれる、希望する態勢にすぐ戻ってくれる。乗り手のイメージを裏切らない、余計な動きをしない。つまり挙動が……というわけである。

ドライバーが入力したものに対して、クルマの側からアウトプットとして返ってくるもの。それの総合的なレベルがどうなのかということだ。要素として、もし分類するとすれば、レスポンスだの回頭性だの、リヤの追従性やらコーナリング特性やらになるだろうが、これらの分析はクルマの作り手側にとっては必要な仕事であっても、受け手にとっては、もっと瞬時にしてトータルな判断がある。「あ、いい、これ!」ってやつだ。

そのアウトプットは時間軸でいえば瞬時であることがよいし、空間的には過不足なく確実であることがよい。ダイレクトであって、ソリッドな対応である。それには、エンジンのレスポンスもさることながら、足回りの能力の方がはるかに重要だ。こと「挙動」を問題にする限り、主役は足。そして、足がそのように働けることを可能にする全身的なバランス度と、その水準の高さである。

そしてもうひとつ、走りについての作り手としてのセンスも大いに問われる。そもそも、よき走りについてのイメージがなければ、挙動のセッティングはできないであろう。サスペンションからエンジンから、また乗り手から、互いに“手札”を見せ合って、みんなで一緒に“上がり”に向かう。それらの組み合わせである点数を、さらに高める。そのような有機的で高度なバランスのよさが、クルマというものにすぐれた「挙動」を与え、ドライバーにそれを操る楽しさを与える。

……そうか、もしかしたら、このようなクルマのことを「スポーツカー」と呼ぶのかもしれぬ。普通に育った筆者は(例外なく高価な)欧州製のスポーツカーの歴史と高性能については無知である。そうではあるが、1986年後半のいま、ニッポン製の小さな実用車のうちから、このような走りの魅力を発見できることを深く喜びとするものである。それも複数で、しかも、たった100万円前後の価格で──。

新しいホンダ・シティは、初代の粗暴な「イヌっころ走り」(開発担当者の弁)を彼方に捨て去り、ネコのようなしなやかな走りを超えて、俊敏なヒョウになった。フロントフェンダーの張り出しぶりは、小さな姿態に秘められた《走り》の主張で、その期待を裏切らない鋭さに、乗り心地のしっとりさを併せ持つ。

先代シティのターボ・モデルの後継モデルも兼ねているということで、新設計1カム16バルブ・エンジンとその足とは、ほとんどタイトロープを渡るかのような微妙で快いバランスを乗り手に実感させる。「零戦だ」と、開発担当の平松竹史氏は言った。

そして、マツダの手になるフォード・フェスティバのDOHCバージョン、GTとGT-Xは? これまた、ニュー・パワーユニットに対応して、足回りをきっちりとツメた。とくにスタビライザーや前ロアーアーム・ブッシュなどのチューニングによる横方向への剛性アップは、コーナリングの切れ味を磨き、曲がることそれ自体を楽しくした。

GT-Xのパワーステアリングが、これまた“使用感”のないもので、必要時のみにアシストを行なう(かのような)好フィーリング。シートも、一クラス上(ファミリア用)のものをオゴってあり、剛性感のあるボディ作りも昨今のマツダ風。また、このかたちにして結構なスペースのトランクがきちんと隠れて存在し、リヤシートの居住空間にも配慮があるのは、実用性への作り手の意志の高さを示す。

ともかく、この2モデル、ともに「挙動」において実にココロ楽しく、スペック少年やクルマ応接間青年、あるいは直進坊や、そしてステイタス中年には、決して見えることがないであろうクルマのおもしろさに充ちているのだ。

(1986/12/10)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
シティ(86年10月~88年10月)&フェスティバGT(86年10月~  )
◆ぼくは、スポーツカーに関する若き日の体験的な記憶を持っていない。(動かないフル・オープン車を“置いて”おいたことはあるが)スポーツカーとは何かということについては、かつての経験からは語れず、したがって、その分フリーでもある。そして、本コラムに記したようなドライバーとの関係が作れれば、それは十分に「スポーツカー」なのではないかと本気で思っている。「形態」ではなく、クルマで何が、どういうことができるか、である。
Posted at 2015/03/02 19:26:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2015年03月02日 イイね!

この二重人格を是とする。フェアレディZの宿命と大いなる達成

この二重人格を是とする。フェアレディZの宿命と大いなる達成§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

これは極めて「間口」の広いクルマだ。では「奥行き」の方はないのかというと、そんなことはない。相当に深い。この二重人格に近い要素を、ひとつのモデルに組み込んだというのがまず驚きである。

「間口」とは、乗り手に対してクルマがどのくらい寛容かという意味だが、このクルマはまったく(見かけと違って)人を拒むものがない。乗り心地だって悪くないし、AT版でなくても、エンジンはフラットトルクでクルマをしっかり押してくれ、まあ、実に乗りやすいのである。

一方、タイトターンが続くような日本の山岳路に持ち込むと、どうなのか。突如、このクルマは印象がコンパクトになる。小っちゃなクルマになる。意のままに動き回り、望むままに曲がってくれる。コーナリング・スピードは異様に高く、山岳路の短いストレート部分でスピードメーターを見ると、「!!」という速さに達している。

ラッシュアワーの通勤にも使えようという、居住性にもすぐれた「GT」と、峠でこそ真価発揮という「スポーツカー」と──。この二種類のクルマが、このモデルの中には棲む。内なる「CR-X」を抱えた「シーマ」とでも言うべきか。これはなかなかドラマチックだ。

このことを可能にしたのは、やっぱり、足の勝利なのだと思う。マルチリンク+スーパーハイキャスというのは、先にスカイラインで登場して、その接地性とスポーツ性の高さで強烈なインパクトを示したが、このクルマでも、その足の魅力はたっぷり発揮される。何といってもエンジンは3リッターV6ツインターボで280馬力(以上!)の出力を持つのだが、それをFRで受けて、つまり4WDとすることなく二輪駆動として、なおかつ、乗ってみると「足が余っている」という印象を残すサスペンションは見事というしかない。

新・フェアレディZは、以上のような好ましい“二重人格”を持ったニューモデルである。単なるGTでもなく、いたずらなコーナリング・マシンでもない。この二重性はおもしろい。

……スポーツカーに「間口」の広さなんか要らない! こういう説も一方にあるようだが、でも、常に“ひらかれた”クルマを作ってきたのが、わが日本の自動車史である。そのような歴史が生み出した、あるいはそうした歴史に要請された「日本のスポーツカー」として、今回のフェアレディZが示した二重構造という手口は、興味深いウルトラCであろう。

世にスポーツカー論ほど多様で、かつ身勝手な論議はないと思うが、あくまでも市販のスポーツカーとして、このフェアレディZのまとめ方というのは、これで良しと思う。繰り返すが、コーナリングの切れ味は十分にカミソリだ。安定しつつ、シャープだ。この足は、たっぷりとスポーツライク……。あまたのスポーツカー論を超えての、これは事実である。

(1989/08/22)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
フェアレディZ(89年7月~  )
◆結局、スポーツカー論というのは(高級車論もそうかもしれないが)論者の数だけあるのだと思う。俺はこういうスポーツカーが好き! そこへ行き着くのではないか。だから、ランボルギーニ氏みたいなリッチな人は、フェラーリに断わられたら自分でクルマを作っちゃうし。……ぼく!? 実はよくわからない(笑)。だから本書では、プジョー205GTIとかシティとかフェスティバGTとか、あるいはブルーバードまで、さまざまな意味とレベルで、みな「スポーツカー」になってしまっているのだが。

○2015年のための注釈的メモ
このコラムで、ひとつ抜けている視点があった。それはアメリカという風土とその市場ということ。フェアレディZは何よりアメリカで成功したかったクルマで、彼の地で「Zカー」として米人ドライバーに親しんでもらうためには、低中速域での快適性は必須だったはず。また、低中速域でクイクイッとすばやく曲がる感じも、速度制限が厳しいアメリカでクルマを楽しむためには重要なファクターであろう。

そのことを知っていた当時のジャーナリズム、またわが国に多く存在した“欧州志向”のクルマ評者たちが、そうした属性も含めて、このクルマをあまり評価しない気配があった。そんな中で、アメリカもヨーロッパも知らない(笑)コラムの書き手が、そうした雰囲気を感じつつ(日本で)乗って十分におもしろいぜ!……と謳ってみたのが、この一文だったと思う。
Posted at 2015/03/02 09:05:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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