
このクルマの開発コンセプト、その「志」は「次の時代のスタンダードを創造する」ことだという。そして、「あらゆる走行性能、あらゆる場面での使いやすさを追求したサイズとパッケージング」にしたという。
パッケージングとは、人とクルマがどう関わるかということであろうが、まず着座位置として「理想のアイポイント」があり、それがマツダによれば、地上からの高さ、約1250ミリ。この高さ(どのくらいの数値にするか)については、高い/低いでそれぞれにメリットと短所があり、これに「乗降性」はどうなのか、人の身体に負担は掛けないかという問題が絡んでくる。さらに、日本の都市内での使用を考えると、車体が機械式のパーキングシステムに収まることも重要で、そこからクルマの全高にも制限が出て来る。(CX-3は全高を1550ミリに設定した)
そして、以上の要素をすべて勘案すると、乗員を車内にどう収めるか。地上からどのくらいの高さで、人を座らせればいいか。そんな「スイートスポット」も同時に見えてくるという。そこから、着座位置=ヒップポイントの数値も出て来て、シート座面の高さは地上から約600ミリ(正確には599ミリ)とした。これがマツダCX-3のパッケージングの基本だと、開発担当の冨山道雄主査は語る。
……その通りだと思う、この考え方に全面的に賛同する。HP(ヒップポイント)600ミリは、人がクルマと関わる際に、また車室内に出入りする際に、高くもなくて低くもないという絶妙のポイントだ。ちなみにこれは前席の話で、後席はこれより高くするのが一般的なクルマの作り方であり、CX-3の場合は、後席HPは前席の「600」に対して、37ミリのプラスになっている。
また、人とクルマの関係性について、こうした「配慮」を行なったクルマであるからこそ、このクルマを「次世代のスタンダード」として提案するのだという考え方と姿勢にも、全面的に賛成する。今日とこれからの人とクルマの関係は、このようでなければなるまい。
つまり、いいクルマ、カッコいいクルマを作った、さあ、その格好に(人が)合わせて座りなさい、使いなさい……という方法を、このクルマは採っていない。そうではなく、人とクルマとの関係は、このようであれば人が快適である(だろう)というコンセプトが先にあり、そこからクルマのレイアウトや造型を考えている。CX-3はこうした“人優先”で構成されたクルマで、この戦略と方法についても、全面的に賛成する。
この「クルマが先か、人が先か」という問題は、ちょっと極論だが、フォーミュラ・カーを持ち出すと、逆にわかりやすくなると思う。これが空力的には最も優れたカタチだ……というのがフォーミュラ・カーで、ドライバーはそれに合わせて、人が収まるように辛うじて(?)設けられたスペース(運転席)に潜り込む。フォーミュラの場合、その目的は、より速く走ること。そしてレース距離だけ走れればいいので、多少窮屈であっても構わない。いいクルマを作ったから、それにキミが合わせなさい……という方法の極致は、こういうことになる。
もちろん、これはこれで、ひとつのクルマの作り方ではある。そして、こうやって性能を向上させ、進化してきたのがクルマの歴史だとも思う。だから、こういう作り方(アプローチ)を否定はしない。ただ、人々がその生活をより豊かにしようとして使うタイプのクルマに、この“フォーミュラ方式”を適用するのは、この21世紀、もう時代錯誤なのではないか。
さて、そうやって、車内への「人の収め方」を決めたこのクルマは、デザインやマーケット用語で分類すれば「クロスオーバーSUV」という格好で登場した。スバルの「XV」のように、もう少し都会っぽくというか、シティ方向に振った外観とはしなかった。これは兄貴分のCX-5との連携もあっただろうし、また“ぼやけたクロスオーバー”よりはわかりやすいということもありそうなので、この作戦も悪くないと思う。
要するに、これからのクルマは、もうセダンやクーペだけではないこと。“非・セダン”と分類できるようなクルマが「次の世代のスタンダード」になるという提案を、ここでも行なっており、これについても同感だ。そして、受け手としては、こんなことも思う。CXの「5」があって「3」があるなら、さらにコンパクトな「CX-1」あるいは「1・5」くらいのポジショニングのクルマも、今日の市場では大いに商品性を持つのではないか、と──。
(つづく)
Posted at 2015/03/16 09:57:49 | |
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New Car ジャーナル | 日記