• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

家村浩明のブログ一覧

2015年10月27日 イイね!

初代インプレッサとWRC その3

初代インプレッサとWRC その3STi(スバル・テクニカ・インターナショナル)の向こうには、当然ながらプロドライブがいる。ラリー・フィールドにいる彼らは、「55N」という市販車に対して、どんな要求を出してきたのだろうか。ざっと列記してみよう。

まず、重量軽減である。そして、車体(全長)をもっと短くできないか。ボンネットにはエア抜きの穴を開ける。ターボのタービンはもっと大きくしたい。さらに、グリルもできるだけ大きく開けて、かつブレーキ冷却用の大きな穴も必要。また、燃料の冷却用に第5番目のインジェクターを付けたい。そして、ホモロゲーションに不利になるようなタイヤのサイズやブレーキの装着は絶対に不可──。

インタークーラーについては、「これはどっちが言いだしたのか……。ともかくぼくは空冷にしたくて、30項目ばかり長所を並べた報告書を書いた(笑)」とは小荷田の証言。軽量で、そして初期の応答性がいい空冷のインタークーラーは、こうして生まれた。なお、この第5インジェクターは、市販車でも装備はされているのだが(そうでないとレギュレーション違反になってしまう)市販モデルでは作動はしないようになっているという。

       *

以上のことからわかるのは、今日の「グループA車両」による高度なラリーでは、既に存在するクルマを「ラリー向け」にモディファイするのではなく、どういう素性のクルマでホモロゲーションを取るのが有利か、それがキーになっているということ。市販車からラリーへではなく、ラリーに適した市販車とはどういうものか。そこから企画してクルマ(市販モデル)を作っていく。まさに、ハンパではないクルマ作りである。

そして、インプレッサに加わった高性能仕様「WRX」の開発に、いかにプロドライブが深く関わっていたのかは、1990年の末にできあがった第一次試作車、つまりまったくの初期プロトタイプに、ドライバーのコリン・マクレーが乗ったことを記せば十分であろう。

マクレーはその時、「ハンドリングがすごくいい! 早くこのクルマを出してくれ」と言い、リチャーズは“軽くて小さなスバル”が現実化したことを大歓迎した。そしてこの時点で、クルマにはプロドライブ側の要求はほぼ入っていた。その上で彼らが求めたのは、ボンネット上のエアスクープの穴をもっと大きくすることと、リヤのダウンフォースのためにウィングも大きくということくらいだった。

このフロント・エアスクープの件では、すでにして、スバルの社内基準を超えそうなほどに前の下方視界が悪くなっているので、これ以上は無理。……ということで、サイズは同じのままで効率を上げるからと、彼らを納得させた。また、リヤのスポイラーについては、プロドライブも、そして小荷田も、当時ランチアがやっていた「可変式」を望んだのだが、これはコストの関係で見送られた。

このようなプロトタイプ車に外部のスタッフが乗るというのは、スバルの新車開発の歴史でも初めてのことだった。それは定期的に彼らプロドライブに見てもらうというほどには密接ではなかったが、しかし、事実として第三次の試作車にも彼らは乗っている。そして、この三次試作の段階で、ホワイトボディがプロドライブに渡った。そこから1年後にはWRCにデビューできるようにという準備である。

       *

ただ、「55N」つまりインプレッサは、ダート用のクルマとして作ったわけではないと小荷田は強調している。その証拠というわけではないが、インプレッサは「ニュル」(ニュルブルクリンク・北コース)でも二回のテストを行なった。ドライバーは、アリ・バタネンだ。

ラリーストのバタネンは、1991年の一回目のテストが、彼にとっては実は初めての「ニュル」体験だった。バタネンはドリフトさせながら(!)オールド・コースを攻め、数周回っただけでベストラップを叩いて、トップドライバーがどういうものかをスタッフに教えた。

翌1992年のテストはタイムアタックという趣旨になったが、この時にインプレッサWRXは、全長20km超に及ぶ「ニュル」のコースを、当時開発中だったスカイラインR32GT-Rの「9秒落ち」で周回してスタッフを喜ばせた。

       *

このようにインプレッサは、WRCを明確なターゲットとして開発された。ただスバル側は、レガシィで勝てないからこのクルマを出してきたのだというようには見られたくなかった。これは久世隆一郎も、そしてチーフエンジニアの伊藤健も、まったく同意見だった。

1993年のニュージーランド・ラリーで、レガシィは待望のWRC初勝利を挙げた。伊藤はこの時、やった!……と喜び、同時に(これで、インプレッサがラリーに出られる、そして勝てる!)と思った。強いレガシィの長所を伸ばし、ネガをつぶしていったのがインプレッサWRXであり、もって生まれたその実力の高さは明白だったからである。

インタビューの最後に、伊藤は静かに言った。「インプレッサは、WRCに出ることが目的ではなく、タイトルを取ることが目標でした。ずっとそれを信じてやって来たので、WRCでのインプレッサの成績に驚いたことは一度もありません」

(了)

(文中敬称略)(JAF出版「オートルート」誌 1997年)
Posted at 2015/10/27 15:54:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新車開発 Story | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2015/10 >>

    12 3
45 678910
1112 1314 1516 17
1819 20 21 22 23 24
25 26 272829 3031

愛車一覧

スバル R1 スバル R1
スバル R1に乗っています。デビュー時から、これは21世紀の“テントウムシ”だと思ってい ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation