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家村浩明のブログ一覧

2016年01月06日 イイね!

リヤビューの物語 《4》

リヤビューの物語 《4》そして、1990年代。その半ば以降の日本市場は「脱・セダン」の時代になった。カタチやレイアウトはさまざま、とにかくセダン(&クーペ)ではない格好の自動車に乗りたい。一種のバラエティ志向もあったのかもしれないが、こうした「多様化への意志」が日本マーケットを急激に覆う。そんなカスタマーの意向に呼応して、ミニバン、SUV、それらのクロスオーバーが市場に登場。さらには、セダンが新時代に対応して変形する……というように、メーカー側も動いた。

クルマは大雑把にいえばすべてが「ハコ型」になり、それまで歴史を作ってきたセダン(3ボックス/ノッチバック)やクーペが市場でマイナーになる。そしてミニバン・タイプにせよSUV風にせよ、ことリヤビューに限れば、そのほとんどが平板なテールゲートを持つため、セダンやクーペと較べれば、リヤ部分のデザイン代(しろ)は大幅に減った。

せめて……ということで、残されたリヤ・コンビランプで何か“芸”をすると、ランプだけが妙に目立つという結果にもなる。そんな時代、リヤビューはもう、かつてのような「雄弁さ」は持ち得ないのかと思い始めていた。しかし、さすがはカー・デザイナーである。「ハコの時代」に、ハコゆえのカタチも活かしつつ、大胆にしてヤンチャな提案をしたメーカーがあったのだ。

「ハコ」ゆえの新提案、それを行なったのがニッサンである。彼らは自動車のデザインにおける左右対称(シンメトリー)という根本原則を故意に無視した。クルマのデザイン史に残るであろうそのモデルが、2002年に二代目としてリニューアルしたニッサンのキューブだ。

このクルマのボディ・デザインは、ルーフに向かって「絞り込まれて」いなかった。むしろ、上に向かって拡がっているかのような印象の真四角造形だった。そして後方に回ってみた時の、もうひとつの驚き──。それは、このモデルのリヤ、その右半分と左半分の造形が同じではなかったことだ。

そして、もうひとつ。キューブの静かな主張は、自動車を「ダイナミズム」でデザインしないことだった。走っている姿こそ、あるいは、走りそうな格好が「いい」カー・デザインであり、それがダイナミック(動的)で美しい。これが欧州で行なわれ、好まれるクルマの造形とデザインのやり方だとすれば(モデルに「風」の名前を付けたがるメーカーがヨーロッパにはある)キューブはその方法を採らなかった。

むしろ、クルマが静止した状態で、そこで最も落ち着きがあって綺麗に見えるような“佇まい”を探す。そんなスタイリングでまとめたい。このクルマの場合、そうした評価軸でデザインしたものと筆者には思える。

クルマの造形、デザイン・イメージに「動的」要素を持ち込まない。これは、なかなか画期的だ。このキューブについて、ジャーナリズム側が「何だかこれって、お地蔵さんみたいだな」と、ダイナミズムに欠けたデザインについて、精一杯の悪口を書いたところ、それを知ったニッサンのデザイン部署が躍り上がって喜んだ。そんな伝説も、このキューブでは生まれた。

「静」としてのカー・デザイン。クルマの造形イメージを「動」から「静」へシフトする。この静かな主張は、日本から、あるいはアジアから「クルマ」というものを見た際に派生した、すぐれて21世紀的な新潮流であろう。

また細部では、このキューブの目立たないリヤ・コンビランプの処理に、逆にワザを見る。ボディの下部にひっそりと収まったランプ類は、もしリヤビューの新しさを主張したいなら、それは異形のランプなんかではなく、リヤビューの全体、つまりコンセプトの変革で行なうべし。このように、静かに語っているのではないか。

(つづく)

( JA MAGAZINE 2010年 Jan vol.44 より加筆修整)
Posted at 2016/01/06 20:56:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2016年01月06日 イイね!

リヤビューの物語 《3》

リヤビューの物語 《3》ところで、リヤビューが「いい」クルマには長く乗れる……だろうか? 体験的には、これは事実のような気がする。ただ、リヤビューが気に入らなければ、そもそもそのクルマを購入してはいないだろうから、何をどう比較するのかというのがなかなかむずかしいところではあるが。

では、リヤビューさえよければ購入に至るのかと問われれば、それはノーだ。また、いま気づいたが、クルマの売り場でカスタマーの側にリヤを向けて展示している例はない。クルマは、何よりもフロントグリル(顔)をアピールするもの。その顔が好みであって、初めて、そのクルマについての検討も始まる。

では、なぜ、リヤビューが重要なのだろうか? まずはフロントが気に入ったとしても、同時にリヤも好みでなければ、そのモデルを購入して生活をともにするには至らないこと。そして、クルマと暮らす限り、リヤビューは折りに触れて目に入ってしまう。そのたびごとに(何だかなあ……)と感じていたら、日常が楽しくない。駐車してクルマから離れる時に、ふと振り向いて、(うん、いい格好だ)とニンマリできるクルマ。こういう瞬間があれば、そのクルマには長く乗れる。

ゆえに、リヤビューも含めて、すべてが気に入ったクルマをお買いください……と、購入ガイド風には、これがアドバイスになる。映画が主役だけでは成り立たないように、そして「いい映画」は必ずいい脇役に恵まれているように、クルマもまた、リヤビューが「いい」と気持ちがいい。そのクルマをいい感じで「見続ける/使い続ける」ためにも、リヤビューとの交歓は欠かせないのだ。

さて、そんなことがわかってきたところで、リヤビュー話に戻ろう。1970年代はその初頭に、リヤビューについての新提案を行なったモデルが登場した。ホンダからデビューした初代シビック(1972年)である。デキはともかくとして、当時のヨーロッパ車がやっていたことはすべて採り入れた……とは、この初代シビック開発担当者のコメントだが、その通りに、このクルマは当時の日本車では例外的な、極めて“ヨーロッパ臭い”コンパクト車だった。

そして、商用車ではなく純粋の乗用車で(当時はこういう区別はけっこう重要だった)ありながら、このシビックには、多くのヨーロッパ車と同じようにテールゲートを持つ仕様があった。それが「3ドア」で、他のセダンのような「ノッチ」がないそのリヤの造形も人々を驚かせた。

後に「ハッチバック」と呼ばれるボディ形状を、量販車として日本マーケットに最初に示し、乗用車の新しいカタチとしてカスタマーを納得させたのは、このシビックではなかったか。このクルマが開いた日本でのハッチバック・カルチャーは、後にマツダの“赤いファミリア”の大ヒットとなって、1980年代に開花することになる。

この2車での「背中」は、やや丸っこいシビックと直線的なファミリアという違いがあったが、後ろから見た場合にキレイな“かたまり”(マス)になっているということでは、両車は共通していた。

(つづく)

( JA MAGAZINE 2010年 Jan vol.44 より加筆修整)
Posted at 2016/01/06 00:08:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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