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2016年01月21日 イイね!

トヨタ・セリカGT-FOURラリー 《2》

トヨタ・セリカGT-FOURラリー 《2》その後、「マタドール」(闘牛士)とアダ名される、このスパニッシュ・ファイターはWRCで3勝を挙げ、1987年から続いていたランチア・ドライバーによるWRCチャンピオン独占にストップをかけた。

この「3勝」のうちには、スカンジナビア人しか勝てないといわれていたフィンランド「1000湖ラリー」での勝利が含まれる。極めてハイスピードで、しばしばクルマが宙を飛ぶ。サファリとは別の意味のタフさと、ドライバーとクルマの両方に「速さ」が求められるこのラリーでの勝利は、新しいチャンピオンとしてのサインツのその実力の証明であろう。

そしてサファリと「1000湖」、その両方に勝ったマシンはセリカだ。日本製セリカのボディを用いて、ドイツにその本拠を置くTTEがラリー車に仕立てる。その組織を仕切るのがスウェーデン人のオブ・アンダーソンで、エンジンのチューニングを担当するのが日本のTRD。もちろん、そこに注ぎ込まれるノウハウにはトヨタの研究所の成果が注入され、つまりは、ワークス・チューン。そういうクルマと組み合わされるタイヤは、イタリアに本拠があるピレリーで、そしてステアリングを握るのが、スペイン人のカルロス・サインツ。

ギャランの場合は、これが、三菱・岡崎/オーストラリア人A・コーワン率いる英国ラリーアート/フランスのミシュラン・タイヤという組み合わせになるのだが、ともかく、ハードにせよソフトにせよ、世界トップの人材や集団、そのノウハウを組み合わせて、ラリーを闘う軍団が作られる。

これが今日のWRCの、もうひとつの側面である。これらの、文字通りに国際的な「コマ」は一つでも欠けてはならず、たとえば、1990年のサインツ/セリカの勝利(チャンプ獲得)には、ピレリー・タイヤの大躍進が大きく貢献した。「89年までは(タイヤがピレリーでは)ノー・チャンスだった」とは、ほかならぬアンダーソン代表の言葉である。

スペシャル・ステージ「1km」あたりのタイム差が、コンマ数秒……。これがいまのWRCのレベルで、だからこそ、タイヤも重要なファクターになる。仮に10kmのSSがあったとして、せいぜい1~2秒の差しかつかない。ズルズルのダートをクルマがドリフトしての結果である。このバトルの水準もまた、驚異的というしかない。

WRCのひとつのイベントでSSの距離を合計すると、約500kmになるとする。この時、首位と2位に1分ほどの差がついていると、そのラリーはもう「大差で」決まったといわれてしまう。事実そうであり、最終日のみを残しての1分差では、まず逆転は不可能だ。だが、ちょっと考えてみてほしい。500キロといえば東京~鈴鹿間よりまだ長い。それだけの距離を走って、なおラリーの闘いは「秒単位」の世界にあるというのだ。

カルロス・サインツは言った。「たしかに、サーキット・レースのようなコーナーでの競り合いのシーンはない。でも、ぼくらは『時計』と闘っている。あるスペシャルステージが終われば、誰が何秒だったかはすぐにわかる」

「これは立派なコンペティション(競争)だし、(ラリーには)競り合いがないなんて、まったく思わない。フラストレーション? そんなもの、あるわけがない。それに、ぼくらがやってるバトルには、“セナ/プロスト事件”みたいなことは決して起こらないしね(笑)」

……常勝ランチアに、ハチの“一刺し”だけではない闘いをトヨタが仕掛けた。“マタドール”サインツもいる。そういえば、ニッサンもパルサーで打って出るという。1991年のWRCシーンは、さらにおもしろくなる!

(了)

(「スコラ」誌 1991年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/01/21 08:37:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年01月21日 イイね!

トヨタ・セリカGT-FOURラリー 《1》

トヨタ・セリカGT-FOURラリー 《1》「サーキットを走るのに較べて? それは、ラリーの方がずっとおもしろいよ。単純だよね、サーキットは」「ラリーは違うぜ! 時々、ビッグ・サプライズもあるし(笑)。路面もいろいろ、天候も変わる」
「そういう刻々と変わっていく条件の中で、インプロビゼーション(即興的対応)でドライビングしていくんだ。このおもしろさは、レースの比じゃないよ」

スペイン生まれの若きラリースト、カルロス・サインツは、こう言ってニッコリした。このカルロスを自チームに引っ張り、シーズン2年目にしてチャンピオン・ドライバーに仕立てたトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)の代表で、自らも優れたラリー・ドライバーであったオベ・アンダーソンは、次のように付け加えた。

「レースは、ある程度『学ぶ』ことができる。練習で、どうにかなるという要素がある。しかし、ラリーは違う。ドライビングに天性のものが必要だ」

そのような天才たちが、合図とともにSS(スペシャルステージ)という名の“戦場”に飛び出していく。土煙や雪の中でのタイムバトル。完璧なドリフト・コントロールと、ほとんど動物的なドライビング・センスが要求される。クルマは、こんなふうにも動くことができる! 人はクルマを、このようにも操ることができる! それが「WRC」である。

ただ、「走り」の面だけを見るなら、このような“動物的天才”たちの祭典ということになるラリーだが、その「走り」を支えるバックアップ態勢というのは、いやになるほど大仕掛けだ。まず、飛行機が舞っている。スペシャルステージ(SS)の上空を旋回するそれは「サテライト」であり、ここをステーションとして、チームの全車が連絡を取り合う。そしてサービスカーは、ほとんどクルマ一台分のパーツを積んで、SSからSSまでを全開で駆け巡る。

タイヤの話が、また凄い。何と、各SSの状態に合わせて、すべて違うものがラリー車に装着されるのだ。……ということは、SSのスタート前に、どこかでタイヤを履き替えておかねばならない。そのためには、タイヤの確実なデリバリーが必要。そのこと以前に、どのSSではどのタイヤを履くかという選択がなされているわけで、そういうテストも事前にやった。また、そうしてタイヤを選ぶ(決める)ためには、競技タイヤという現物が各ラリーの前にできあがっていなければならない。

一日の競技時間内に10ヵ所を超えるSSがあり、以上のようなかたちでその闘いを行なうために、スタッフやハード&ソフトのサービスをどのように動かすか。そのことだけをプランニングする役(ラリー・コーディネーターという)がチームにいるのは、まったくフシギではないし、また、それは必須でもある。4日間にわたる競技期間のどれかのSSで、何か一つが欠けても勝負にならないのだから──。

そして、以上が主としてサポートとソフト面だとすると、ラリー車というマシンもまた“停滞”していてはならない。WRCの各戦は、それぞれに、闘う環境や性格が異なっている。それらに対応して、いちいちクルマ(シャシー)とエンジン、そしてタイヤは、ベストマッチを求めて作り直していく。

したがって、ご覧のトヨタ・セリカ「GT-FOURラリー」は、あくまでも、“サファリ・スペシャル”である。欧州スタイル(前述)のSS主体のタイム競争というよりも、4000キロ以上の悪路を、ともかくタフに走りきること。そしてストレートでは、時速200キロ以上で走れること。この両立が必要となるクルマで、またナイト・ランなどでは動物との衝突への対応も非常に重要だ。

そのため、ほとんど超高速の装甲車という雰囲気になってしまうのが“サファリ仕様”なのだが、その一方で、泥道を走り続けることを考慮して、水圧ポンプでラジエターを洗うシステム(オーバーヒート対策)装着という小ワザも盛り込まれている。

1990年WRC第4戦の「サファリ」で、このセリカは、B・ワルデガルドのドライブでウイナーとなった。そしてこの時、サファリ初体験で4位となったのがカルロス・サインツである。

(つづく)

(「スコラ」誌 1991年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/01/21 00:53:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
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