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2016年03月04日 イイね!

フォードの不在……《1》

フォードが突然、2016年いっぱいで日本におけるすべての事業から撤退すると表明したのは、この1月だった。この市場では「収益性を改善する合理的な道筋がなく、投資に見合うリターンが見込めない」ともコメントしており、日本市場にはもう関心を持てないと、フォードとして“三行半”を突きつけた。そのようにも受け取れる。

……というか、私は直感的に、そのように思ってしまった。そして、「誇り」という言葉もまた、同時に思い浮かんだ。その「誇り」が、この市場(日本)では活かされないし、また、とくにリスペクトもされてないようだ? それなら、もっと「フォード」を求めてくれる地域やマーケットで仕事をした方が、そのマーケットも潤うし、何よりフォードとしても気分がいい。彼らは、こう言いたかったような気がする。

日本市場でのフォード・ブランド車、その近年の販売台数は、約5000台/年間という。これに対して、中国市場では40万台とか50万台、そんな規模でフォード車が売れている。モノを数える際の単位が、ある市場では「10万」なのに、日本ではその単位が「1000」だというのか? こんなふうに、デトロイトの本社内で誰かが叫んでいそうでもある。今後にしても、その「1000単位」のマーケットが「縮小傾向」である(とフォードは言っている)のなら、そんなマーケットには、フォードはもう固執しない。

そして、この「撤退」を行なった──あ、まだ過去形で書いてはいけないか、「撤退」するとしているのが、同じ米国系でもGMではなくてフォードだというのが、ちょっとした感慨である。現在のフォード・モーター・カンパニーのトップは、マツダの社長を務めた時期もあるマーク・フィールズのはず。

つまり今回、日本と日本市場について「無知」のままに、何かの判断をしたのではないということ。逆に、ほとんど皮膚感覚までのレベルで、この市場のことを知悉していて、だからこそ、いまはフォードのトップとして、「日本」についてひとつの決断をした。そういうことなのだと思う。

         *

ここから先はもちろん、想像も交えての話になるのだが、彼ら(フォード)は彼らなりに、この市場について、知っているからこそフシギということが、いくつかあったのではないか。たとえば、この市場では「ミニバン型」のシルエットを持つクルマが、「大」はエルグランドから「小」はワゴンRまでの範囲で売れる。

その事実がどのくらいシビアかというと、フォードにとってのアメリカ市場でのライバルのひとつ、アメリカではアキュラも含んで、さまざまな車種と車型を展開しているホンダが、その母国のこの市場では、オデッセイとフィットと、そして軽のNシリーズという“ミニバン・シルエット”型を主力商品としている。(アメリカでは人気のシビック、そのセダンやクーペは、母国では売ってもいない!)

また、そうした“ミニバン・シルエット”タイプのクルマが、多人数乗車であるからとか、カーゴ積載には有利であるとか、そうしたユーティリティ性から選ばれているのではない……らしいこと。これまた「欧米人」にとっては、大いにフシギであったのではないか。

さらにはニッポン・マーケットでは、そうしたハコ型に、人々がもっぱら「独り」で乗っている。つまり、パーソナル・ユースとして“ミニバン型”を選んでいる。こうした現象もまた、彼らにとっては意味不明であったかもしれない。(日本には“チョロQ”というヒット玩具があることを、フォード側は知っていただろうか?)

いわば、知れば知るほどに、さらにわからなくなる……? 彼らにとっての日本市場は、ひょっとしたら、そういうものであったのかもしれない。それに加えて、00年代頃からだろうか、このマーケットに突如出現した(若者の)「クルマ離れ」なる日本語は、英訳してみてさらに驚いた! そういった言葉と現象だったのではないか。

米人にとって、さらにはフォード関係者にとっては、クルマとは「日用品」のはずだ。かのT型フォードは、自社工場で働く組立担当の職工、そんな「庶民」にも、20世紀になって登場した「自動車」をデリバリーしたい。そう念じたヘンリー・フォードによって生まれたといわれている。ヘンリーによって、新世紀の新商品である自動車が、アメリカ庶民にとっての“日用品”になったのだ。

たとえば“コーヒーカップ離れ”なんてジョークにもならないが、同様に、日用品であるクルマについて、「~離れ」といった言葉が出て来るのは、どういうことなのか。日本マーケットのこうした風潮も、彼らをして「投資に見合うリターンが見込めない」市場だと思わせることになったのではないか。

(この「クルマ離れ」というのは、ちょっと用語が乱暴すぎるように、私は思っている。たぶん正確には、クルマについて、1960~80年代と同じようなカタチの「熱意」とともに、今日の若い世代がクルマを語ることはない。そういう現象はおそらくあって、これは事実であろうが、ただ、こういうことは「差異」であるだけで、クルマについての関心やその必要度が、ムカシよりも薄れているということではないと思う)

         *

ただ、今回のフォードの撤退宣言で、これから先、つまり2017年以降に、フォードの新型車に日本マーケット上では乗れなくなる。どうもこうなってしまいそうなのは、クルマについて何か書く立場のひとりとしては、とても残念である。とくに私の場合は、告白すれば、実はフォード車をある“モノサシ”にしていたし、フォード車に乗ることはいつも興味深かったし、大いに楽しみであった。そんな「水準器」みたいな存在が、この日本市場から消えてしまいそうなのだ。

(つづく)
Posted at 2016/03/04 13:47:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | Car エッセイ | 日記
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