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家村浩明のブログ一覧

2016年03月24日 イイね!

ティレル 019 《2》

ティレル 019 《2》この「ティレル019」のうち、シャシーナンバー「004」を刻んだマシンが、いま日本にある。1990年のカナダGPから、日本人で初めてF1ドライバーの座を得たサトル・ナカジマのために新たにおろされて、それ以後の九つのグランプリを彼とともに闘った、そのクルマそのものである。

「♯004/サトル」の9戦では、デビュー戦のカナダで11位。高速コースで知られるモンツァ、イタリアGPでの6位というリザルトが光る。そして「♯004」の10戦目にあたるポルトガルで、風邪で体調の悪かったナカジマは決勝前のウォームアップ走行でクラッシュ。「♯004」の役目はここで終了となり、以後は「♯007」の「019」がナカジマの愛機となった。したがって、鈴鹿を走ったティレルは7号機ということになる。

ちなみに、ティレル「019」は7台作られた。ラルースあたりの状況を思い起こせば、ティレルというのは資金的にもかなり豊かなチームであることがわかる。

さて、この「019」の開発を指揮したエンジニアの名前は、ちょっと長いが覚えておきたい。ハーヴェイ・ポスルズウェイト。1970年代からF1の世界へ入り、ヘスケスというオリジナル・マシン(ジェームス・ハントが乗っていた)を作った後に、1980年代は、イギリス人でありながらフェラーリに在籍していた。あのエンツォ健在の頃のフェラーリで、そこがイギリス人を雇ったというのはビッグニュースだった。

1982年、1983年と続けて、フェラーリにコンストラクターズ・チャンピオンをもたらし、1988年にジョン・バーナードがフェラーリ入りして、ハーヴェイはチームを去った。そして、仲の良かったミケーレ・アルボレートとともに、ティレルへ移籍。

そのミケーレに代えて起用したジャン・アレジが1989年後半と1990年のシーズンにティレルで大活躍して、1991年にフェラーリのシートを得たのはご存じの通り。ただ、1990年に “ハイノーズ革命” を引き起こしたハーヴェイ・ポスルズウェイトは、その後ティレルで役員までやったが、この「019」を残して、チームを去った。

そして、サトル・ナカジマは1991年のシーズン半ば、ドイツGPで、今年限りでF1ドライバーであることをやめると表明。ロータス、そしてティレルへ。チームメイトは、アイルトン・セナ、ネルソン・ピケ、ジャン・アレジ、そして今年はステファーノ・モデナ。こうして見ると、トップレンジのチーム/ドライバーとともに、中嶋はF1でずっと仕事をしてきたことがわかる。

1987年に、日本人として初のフル・エントリー・ドライバーとなり、その初参戦の年に早くも入賞して「グレーデッド・ドライバー」の地位を獲得したのは記憶されるべき戦績だ。

そして、はじめから志向がフォーミュラであり、その頂点には「F1」があることを知って、自身のレース活動を行ない続けた。この意味でも、中嶋悟は日本で初めてのレーシング・ドライバーだった。また、日本人でも「F1」が夢だけのことではないことをカラダで示してくれた。この事実も大きい。若いレーサーが、「夢はF1です……」と語ることができるようになったのは “ナカジマ以後” のことだ。

1991年10月の「鈴鹿」は、5年間の中嶋F1生活での、最後の日本でのステージになる。1991年のティレルに載っているのは、ホンダのV10エンジン。グッバイ、ナカジマ! そして、サンキュー・サトル! 

(了) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1991年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/24 21:38:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2016年03月24日 イイね!

ティレル 019 《1》

ティレル 019 《1》この「ティレル019」というF1マシンが人々の目に初めて触れたのは、1990年の春のことだった。これが、新ティレル……! こんな感じで、欧州のいくつかの雑紙を飾ったのだが、しかし、まったく本気にしない人も実はたくさんいた。そう、時は4月だったのである。

エイプリル・フールのための、ていねいなジョーク写真……。ノーズこそ繊細でトレンディだったけれど、それは見たこともないような格好で浮き上がっていて、そしてそのサカナのような鼻には “ヒゲ” がぶら下がっていたのだ。ともかく、これは奇抜であり、「冗談か、あるいは狂気か?」とまで書いた雑誌さえあったものだ。

そしてもうひとつ、「019=ジョーク説」を生んだ理由があった。それは、1989年シーズンを走った前年マシンの「018」が、1990年オープニングの時点でも十分な戦闘力があったことだ。フェニックスでの開幕戦、アメリカGPで、驚異の新人ジャン・アレジが「018」で首位を走り、結果としても2位でフィニッシュ(中嶋悟6位)。そんなティレルが、何もこんなヘンテコなクルマを作らなくたっていいじゃないか、というものだった。

でも、もちろん、このノーズ(アンヘドラル・ウイング)は本気だった。ティレルのテクニカル・ディレクターであるイギリス人、ハーヴェイ・ポスルズウェイトがこの “鼻” とフロントウイングの仕掛け人だが、彼は次のように語っていた。「もし、わがチームにセナとホンダ・エンジンがあるのなら、別のかたちのトライがあったと思う。ただ、現状はそうではない。だから、ラディカルな試みをせざるを得なかった」──

ホンダのV10(1990年)、あるいはフェラーリのV12、ルノーV10……。そのようなメーカー製の最新・多気筒ユニットに対して、ティレルが使えるのは、非力なV8のフォード・コスワースDFR。エンジン・パワー以外の別の何かで、戦闘力を高めねばならない。そのトライが「空力」だったのだ。

たとえば、この「019」は、どこにエンジンがあるのかというくらいに、V8エンジンが巧みにクルマの中に収納されている。印象はものすごくコンパクトだ。そして、エキゾースト・パイプさえも、リヤ・サスペンションの上下アームの間から出すという徹底ぶりで、エアの “流れ” を阻害するものをなくしている。

また、このようにノーズを「上げる」とどうなるかというと、マシンの先端部に最も集中するエアを、無駄なく、ラジエターを抱える両側のサイド・ポンツーン部へ引き込むことができるのだという。

さらには、その部分に流れてくる空気の量が多いため、ラジエターのエア採り入れ口を他車より小さくしても、冷却に支障を来たさない。……ということは、クルマの全体も、よりスリムに仕立てることができ、ここでも空気抵抗を減らせると、このようにハナシは循環する。この「019」とは、パワーのV10/V12勢に対して、究極の “V8エアロ・スペシャル” を作って対抗しようというレーシング・エンジニアの夢なのだ。

この “ポスルズウェイトのジョーク” は、1990年第2戦終了後のイモラのテストで「018」より速いことを実証。実戦でも、デビュー・グランプリの第3戦サンマリノで、ジャン・アレジは予選7位につけ、決勝も6位で走り終えた。マクラーレン、フェラーリ、ウイリアムズの「三強」(多気筒エンジン)に次ぐ実力を発揮し、時にはこれら「三強」を食った。

1990年のモナコでは、ジャン・アレジは予選3位。決勝でも2位で、彼よりも「前」にいたのは、マクラーレン・ホンダ/V10のアイルトン・セナだけ。雨のカナダ・グランプリでは、アレジが2位まで上がり、その後に惜しくもクラッシュした。

“ハイノーズ・レボルーション”が冗談でも狂気でもなく、いかに効果的だったかがわかるが、それは今年(1991年)のF1シーンを見ても明らかだ。ウイリアムズ、ベネトン、そして躍進著しいジョーダン、あるいはダッラーラで走るスクーデリア・イタリア。これらがみな、多かれ少なかれ、持ち上がったノーズと垂れ下がった(?)フロントウイングの組み合わせで、マシンの先端部を構成している。

1990年ティレル「019」は、空力が生んだ “風のF1” であり、その後の、今日のF1マシンのトレンドを創ったのである。

(つづく) ── data by dr. shinji hayashi

(「スコラ」誌 1991年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/03/24 11:12:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
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何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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