
次姉から、分数の割り算とその答えを教えられた後か。おそらく何も納得しなかったであろうタエ子は、茶の間で、切り分けられたリンゴを食べ、なおもそのリンゴを「分けて」みたりしながら、おばあちゃんと一緒にテレビを見ていた。画面から聞こえてきたのは、「♪何も言わないで ちょうだい」という倍賞千恵子の歌。(「さよならはダンスの後に」)この時、タエ子はおばあちゃんに「この人の妹、宝塚?」と訊いている。すると、祖母はすかさず「SKD」と答えた。この一家、実は芸能界にはけっこう詳しいようだ。(妹とは倍賞美津子、そして彼女はSKD=松竹歌劇団の出身)
ここで思い出すのは、映画冒頭の休暇届を出すシーンである。上司から、旅行の理由として「失恋?」と、セクハラまがいのひと言を振られた際でも、“世慣れたOL”であれば、「そうなんですよぅ、課長。いい人いませんかぁ」などとウケてやるのかもしれないが、タエ子にはそれができない。旅行の行き先にしても、「今回はパリなんですぅ」とでも言えば無難なのだろうが、その種のウソもつけない。
タエ子は上司に、事実ではあるものの、実はとても伝わりにくい「田舎に憧れているんです」という答えを返してしまう。彼女は、自分でも気づかないまま、この時、ほとんど会話を拒んでいる。タエ子の言う「分数の割り算がスンナリできた人は、その後の人生もスンナリいく」(でも、私はそうじゃなかった)とは、たとえば、こういうことなのかもしれない。
……時制が現在に戻って、蔵王で並んで歩きながら、タエ子はトシオに言った。
「いま考えてみても、やっぱり難しいのよね。分数の割り算」
その後、スキーのリフトに乗っているタエ子とトシオ。二人は山を下りているようだ。そのリフト上で、トシオはタエ子に話しかけた。
「タエ子さん、スキーやるんでしょ」
「うん、会社の人に連れられて二~三回」
「じゃあ今度、冬に来ませんか。俺、教えますよ」
「スキー得意なの? トシオさん」
「いやあ、大したことないけど。冬はここで、指導員のバイトやってるから」
この時のトシオには、おそらく何の“下心”もない。半年先の予定が決まっていると、ちょっと嬉しいな! そんな程度の気持ちで、タエ子の「冬」を確認してみたのではないか。そういえばトシオの言葉には、ウケ狙いとか半分ジョークとか、そうした“ウラ”を探らなければならないような要素がほとんどない。オモテもウラもヨコもない、ただの一枚板。野球でいえば、直球しか投げない投手。タエ子はここまでの彼との接触で、このことは感じていたはずである。
山道を駆け下りて、二人を乗せたスバルは平地に戻った。トシオは、目の前に田んぼなどの田園風景が広がる路側にクルマを停めた。“田舎好き”のタエ子は、この景色にさっそく反応する。
「あー、やっぱり、これが田舎なのね」「本物の田舎、(リゾートの)蔵王は違う」
しかしトシオは、簡単には同意しない。
「うーん、田舎かあ……」
そしてさり気なく、しかし根源的なことをタエ子に語っていく。
「都会の人は、森や林や水の流れなんか見で、すぐ自然だ自然だって、ありがたがるでしょう」「でも、山奥はともかく、田舎の景色ってやつは、みんな人間がつくったもんなんですよ」
「人間が?」
「そう、百姓が」
「あの森も? あの林も? この小川も?」
「そう。田んぼや畑だけじゃないです。みんな、ちゃーんと歴史があってね。どこそこのヒイ爺さんが植えたとか拓いたとか、大昔からタキギや落葉やキノコを採っていたとか」
「人間が自然と闘ったり、自然からいろんなものをもらったりして暮らしているうぢに、うまいことでき上がってきた景色なんですよ、これは」
「じゃ、人間がいなかったら、こんな景色にならなかった?」
「うん」
スバルの車内に戻った二人は、さらに話し続ける。
「百姓は、たえず自然からもらい続けなきゃ、生きていかれないでしょう? だから自然にもね、ずーっと生きててもらえるように、百姓の方もいろいろやって来たんです」
車内には例のハンガリーの音、トシオの言う“百姓の音楽”が流れていた。
「まあ、自然と人間の共同作業っていうかな。そんなのが、たぶん田舎なんですよ」
日が変わって、水田で草取りをしていたタエ子は、一緒に作業をしているトシオにグチった。
「ああ、腰が痛くなっちゃった。有機農業、ちっともカッコよくないじゃない!」
「ハハハ(笑)カッコイイのは理念の方の話。前に言ったでしょう、生きものの手助けっていうのは、えらく大変だって」
そこに折りよく、本家のお母さんがやって来た。
「精が出ることなあ、タエ子さん。お茶にすねえか」
「ああ、助かった! ひと休みしたいと思ってたとこ」
その後、トシオに教えてもらったのか、トラクターを運転しているタエ子。そんな光景を、微笑みながらお母さんが見ていた。
ナレーション。
「トシオさんは、私に少しずつ、いろんなことを経験させてくれた」
「私は、すっかり田舎を知ったつもりになって、得意だった」
画面に、牛の乳搾りをするタエ子。そして、果物に袋を被せているタエ子の姿が映し出される。
(つづく)
○フォトは、山形県四ケ村の景色。web「やまがたへの旅」より。
◆今回の名セリフ
* 「でも、山奥はともかく、田舎の景色ってやつは、みんな人間がつくったもんなんですよ」(トシオ)
* 「人間が自然と闘ったり、自然からいろんなものをもらったりして暮らしているうぢに、うまいことでき上がってきた景色なんですよ、これは」(トシオ)
* 「百姓は、たえず自然からもらい続けなきゃ、生きていかれないでしょう? だから自然にもね、ずーっと生きててもらえるように、百姓の方もいろいろやって来たんです」(トシオ)