
フェアレディ240ZG HS30(1971)
初代のセリカ(1970)もそうだったが、この頃は各メーカーで「高性能車」の数が限定されていたせいか、いまなら、こんなクルマで何で?……と思うようなモデルが、いきなりラリー・フィールドで走っていたりする。フェアレディZもそのひとつで、アフリカのサファリ・ラリーで勝利する輝かしいリザルトまで残した。
ただ、今日の私たちは「ランチア・デルタ・インテグラーレ以後」のラリー界を知っていて、“軽自動車にターボ”とでもいうべきか、前後オーバーハングの少ない小さなボディにハイパワー・エンジンを組み合わせたクルマが“強いラリー車”だというイメージを刷り込まれた。そのために一瞬、(え、フェアレディZがラリーに?)……と思ってしまうのだが、1970年代は、あのポルシェ911もラリーの世界にとって重要なモデルだった。その意味では、ニッサンが「Z」をラリー界に送り出しても何のフシギはなかった。
また、そもそもニッサンは、1950年代の終盤から「ダットサン」ブランドのセダンで海外ラリーに参戦していた。その「DATSUN」(米人は“ダツン”と呼んだ)のラインナップに、スポーツカーの「240Z」が加わったのだから、その高性能車でサファリ・ラリーに参戦するのは当然! これが当時のメーカーのスタンスでもあっただろう。
もちろん、この「Z」は(911と同じように)ラリーだけでなく、国内外のサーキット・レースでも活躍。世界中の人々が、このクルマをリーズナブルな価格のピュア・スポーツ車として愛し、とくにアメリカでは「Zカー」として高い人気を得た。本国(日本)で「Z」が初登場したのは1969年。そして1971年には、フロントに“Gノーズ”を付けた「240ZG」が加わって、さらにファンを増やした。
パワフルな直6エンジンをフロントに搭載するオーソドックスなFRだが、このクルマは、このレイアウトから可能な限りの“切れ味”を生み出すよう、巧みにチューニングされた。とりわけアメリカ向けの仕様は、そのシャープさの度合いがいっそう高かったといわれる。当時の米国のスポーツカー乗りは、過剰なまでに俊敏なクルマ(たとえばコルベット!)を乗りこなすことをもって「スポーツ」と考えていたからである。
(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/04 13:48:58 | |
トラックバック(0) |
00年代こんなコラムを | 日記