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家村浩明のブログ一覧

2016年09月12日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《11》

本家を飛び出して、夜の田舎道を歩きながら、タエ子は言っていた。「農家の嫁になる。思ってもみないことだった。そういう生き方が私にもあり得るのだというだけで、ふしぎな感動があった」

しかし、こうした「歓び」以上に、この時のタエ子には「羞恥」があったであろう。彼女は、とにかく(自分が)恥ずかしかった。だから、縁談話のその場にいることができずに、外へと走り出た。

(ナレーション)
「自分の浮わついた田舎好きや、真似ごとの農作業が、いっぺんに後ろめたいものになった」
「私には何の覚悟もできていない。それをみんなに見透かされていた」「いたたまれなかった」

この時の自分自身について、タエ子はこのように説明する。ただ、ここで彼女が言うように、「みんな」、つまり本家の人たちが彼女を「見透かしていた」かどうかはちょっと疑わしい。農家の嫁として農繁期の忙しさがわかってるの? 山形の冬の寒さに耐えられるの? あの時の彼らはタエ子に対して、たとえば、こんな問い詰めをしていたわけではなかった。

そもそも、ばっちゃんや本家のお母さんは、そんなに意地悪ではない。それにタエ子は、「嫁に参ります」とは言っていない。だから「何の覚悟」も(まだ)「できてない」のは当たり前であり、そしてタエ子は前にも見たように、相手が山形の農家であれ東京の会社員であれ、「結婚」を具体的にイメージしたことがない。

したがって、この時の彼女の「説明」(ナレーション)には、ちょっと「?」な部分があるのだが、ただ、タエ子が「縁談」「農家への嫁入り」というキーワードに触れた際に、自分自身についてはこういう解釈をした。ここでは、その点が重要なのだろう。

あるいは、以下のような見方は可能かもしれない。私(=タエ子)が山形に来て、農村はいいところ、農家の仕事は大好きです、というフリをしてしまった。だから、本家の人たちは、それなら「ここに、嫁に来なさいよ」と親切にも誘ってくれた。でも、実は自分にはそんな「覚悟」なんてない(正確には、想像したことがない)。私の軽率な行動が、みなさんに誤解を生じさせた。私は何ということをしてしまったのか……。

ただ、どちらであっても、突然の縁談話によって、タエ子の中に浮上した言葉はひとつであった。ナレーションには登場しない、つまり彼女自身はこの言葉を使ってないのだが、それは「偽善」である。

タエ子は自問していた。私は、自分に対して正直だったか。自分自身にウソをついてないか。さらには、私はいつだって「偽善者」で、今回もまた、こんなに良いところで、こんなに良い人たちに、またまた偽善的な行動をしていたのではないのか。

そして、この「偽善」という言葉が、タエ子が最も思い出したくないことのひとつ、ココロの奥底にずっと封印していたトラウマを掘り起こすことになる。それが雨の中に突如出現した小汚い少年と、彼の一言だった。「お前とは、握手してやんねえよ!」……

夜の路上で、タエ子が雨に濡れ始めた時に、折りよくヘッドライトを光らせて、トシオのスバルが走ってきた。
「どうしたんですか、こんなとこで」
「何でもないの、ちょっと歩きたくて」
「濡れちゃってるじゃないですか、とにかく、早く乗って」

スバルの助手席にタエ子を導き、さらに、お袋が作ったというお土産の入ったビニール袋を見せるトシオ。今夜はタエ子の最後の晩なので、本家にそれを届けに来たのか。

車内で、タエ子は、慌てて言った。
「あの、本家には行かないで」
「え、どうして?」
「お願い! どこでもいいから走って」

クルマの中でトシオと肩を並べたタエ子は、堰を切ったように、小学5年生の時の“おもひで”(トラウマ)を語り始める。

「私の友だちに、アベ君ていう男の子がいたの」
「転校してきたの。私の隣の席になったの」

(つづく)

◆今回の名セリフ

* 「お前とは、握手してやんねえよ!」(アベ君)
Posted at 2016/09/12 11:36:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年09月12日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.10 カリーナ1600GT

【 70's J-car selection 】vol.10 カリーナ1600GTカリーナ1600GT TA12(1971)

1960年代後半から1970年代、ハードウェアとしての日本のクルマはまだまだ発展途上で、また、それ故にマーケットもホットだった。DOHCエンジンとか「四独」(四輪独立懸架)といった新メカはニュースであると同時に、装着車ともども「新しさ」は常に歓迎された。その一方で、メカ的にはそんなに先鋭でなくても、コンベンショナルな方式を採りながら、その「まとまり」の良さや総合バランスで、好感とともにマーケットに受け入れられるモデルがあった。これもまた、当時もいまも変わらぬ図式である。

このカリーナも、「新メカ」よりも実質性能において「良し」とされた機種のひとつだった。とりわけ「足」については「四独」ではなかったが、そのステディなフットワークが高い評価を得た。まあ「足のいいヤツ」という巧みな広告コピーに、マーケットやカスタマーがリードされたという側面は多分にあったかもしれないが。

スタイリングは、流行の「四つ目」ヘッドランプというトレンドを採り入れつつ、どこかクラシカルな雰囲気もある“オトナ”のフィールでまとめられ、ひと味違うセダンとして、当時のちょっと「うるさ型」のカスタマーに好まれた。シャシー的には同時期のセリカと同じで、ただ日常車としては派手なクーペボディ(セリカ)ではなく、目立たぬセダンに乗りたいという層にも、このクルマは浸透した。

ただ、そうはいっても爆発的に売れたクルマというわけではなく、そしてテールランプは「縦型」で、今日にまで至るトヨタのジンクス、「縦型ランプのクルマは売れない」というデータの確認に、このカリーナもやっぱり“貢献”することになったようだ。

基準車の登場(1970)から一年後にGTが追加され、セリカGT系と同じ1600ccのツインカムエンジンを搭載。足のフィールだけでなく、動力性能的にも十分以上のものがあるグレードとして、改めて注目と評価を受けた。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)(フォトは基準車)
Posted at 2016/09/12 10:37:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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