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2016年11月13日 イイね!

新ジャンル車としてのハイラックスとハイエース

新ジャンル車としてのハイラックスとハイエース書籍「トヨタをつくった技術者たち」(2001年刊行)から、今回は、1960~70年代、トラック系の主査として数々の製品を送り出し、商用車の分野で新境地を拓いた大塚隆之氏の談話を紹介する。

1970年代前半という時点、「RV」などという言葉はカゲもカタチもなかった頃に、既に「商用車」と分類されるジャンルに、大塚氏は「乗用車レベルの近代性」を持たせようとしていた。この証言には、やはりちょっと驚く。

○ハイラックス開発の経緯
「1トン積みのダットラが非常に羽振りを利かせていたので、(略)虎のシッポを踏むような正面衝突はしたくないということで、1トン積みトラックをプランニングし上程しても、何年も開発許可が下りなかった。ところが、ライト・スタウトとブリスカの二車種が生まれ変わり好評だったので、ボンネット型1トン積みトラック、ハイラックスの開発許可がやっと出た」

「ハイラックスの開発は、試作三号車まではトヨタ車体で作ったが、試作四号車から日野自工に切り換えた」

「ハイラックスは、トヨタが持っている乗用車を含めたあらゆる実績・経験に基づいて、新たな構想の下に基本設計からやり直し、生まれ変わった姿のトラックにした。トラックとしての資格は十分備えて、しかも乗用車レベルの近代性を持ったもの、使う人のことをよく考えた新たな正調1トン積みトラックだと思っている」

「ハイラックスという名前は、最初に販売部が辞書で『 HYRAX 』を選び、豊田英二さんも『それでいこう』と言われた。ウェブスターの大きい辞書で『 HYRAX 』を引いたら、昼間グーグー居眠りしていて夜ゴソゴソ歩くアメリカ産のヒグマと書いてあり、これではイメージが悪いから変えようと『 HIRAX 』にした。ラックスという石鹸があって心配したが、引っ掛からないという結果になって『 HIRAX 』が本物になった」

「ニッサンのダットラという牙城ができているところへ飛び込んでいくのは、構えている敵に攻め込むような難しさがあって、一番気を遣ったことは、ハイラックスを如何にして伸ばすかということ」

「特別に『王手』というようなことをしたわけではなく、オーソドックスにお客さんのニーズを掴み、それを反映したトラックを次々に提供していったということだと思っている」

「1969年に、アメリカ向けに3Rエンジン1900cc、1971年に12Rエンジン1600ccを搭載し、手頃なサイズと価格で輸出台数も順調に増加していった」

「内山田亀男さん(3代目クラウンの主査)に怒られたことがある。当時、エンジンキーをどっちから差し込んでも回せることが世界的な流行だった。ポケットから出して、どっち向きに差し込んでもドアが開き、エンジンが掛かる。うちの主担当員が『これをやりましょう』と言うので、『それはいいな』と採用した。ところが内山田さんに、『クラウンで最初にそういうことをしようと思ってアイデアを出したのに、先にやるのはけしからんじゃないか』と。申し訳ないことをしてしまった。

○ハイエースについて
「アメリカやヨーロッパでは、荷物運搬専用として代表されるデリバリー・バンがあって、このクルマが商売用のクルマとして使われていた。トラックのバン型化、屋根のあるトラックへの移行は世界的な流行だった。人間を尊重する乗用車的なムードを持ち、かつ積載もできる商用車が望まれるようになって来ていた。それまでは、標準トラックをベースに、多目的使用の変わり型ボデーを作っていたので、バン型としては構造的に使い難い面があった」

「こういう時代の変化を敏感にキャッチし、お手本があったわけではないが、家族で楽しみ喜ぶことができるバンにしていかなければと考え、バン型ボデーを標準型にして、ドアの開き方を前後方向の引き戸式にし、ヘッドランプを四つにしたものを開発した」

「人を乗せる機能と荷物を運ぶ機能を兼ね備えた、ほんとうの意味での貨客乗用車。全天候型の本格的な小型キャブオーバー商用車、デリバリー・バンは、トヨタが先鞭を付けた。その後、人員の輸送ということではコースター(マイクロバス)に発展していった」

「人間の常として当然の帰結なんでしょうけれど、これからのクルマは、ますます家族ともどもエンジョイするというものになっていくと思う」

○大豊工業へ転出
「たまたま跡継ぎが欲しいという話が出て、大豊工業へ行くことになった。野口正秋さんが、『大塚君はまだトヨタで使いたい。役員会の時に、“私は一年で帰ってきます”と言え』と言ってくれたけど、役員会で言えなかった。大豊工業へ行って、海外との技術提携などをやっていたら、一年のつもりが二十年になってしまった」

「お客様の本質的な要望が入っていなければ成功しない。お客様の要望、欲望というものを掴んで、原理的にこんなものができないかというユニークなことを先手を取って作り、『こんなもの、どうでしょうか』とお客様に呼びかけていけば、大半のお客様は信頼してついてきてくれる。抜け落ちているところがあれば、お客様とともに考えて、より良いものにしていけばよい」

「自動車の製品企画をしていた時にも、そういうことを大いに採り上げた。待っていては、お客様のニーズは滅多に入ってこない。上の方がマーケットに飛び込んで行って、お客様の声を聞き、何を望んでいるかを拾い上げて、先手を取って社内をそういう方向に向けていくようにしたつもりです」

「日本人には、みんなと打ち解けて、みんなと一緒に築いていくということが向いていると思う。妙にカリスマ性を出そうなんて思って、大それたことを言うと、よそよそしいことになってしまう」

○豊田少年少女発明クラブ理事長として
「自動車はまだまだ改良を続けなければならないものだから、『こういう自動車にしてほしい』という提言を子どもからも出してもらう。そのためには、子どもを啓発するテーマパークを、豊田市の鞍ヶ池を中心につくろうと提案している。一番いいのは、優秀な技術屋が考えるだけでなく、子どもを含めた国民とともに、もっと広い視野から自動車がどのようになっていけば良いのかを考えていくことだと思う」

◆大塚隆之
1915:東京都に生まれる。
1941:東京帝国大学工学部・機械工学科卒業。
卒業後、東大付属航空研究所でエンジンを研究。
1942:陸軍の航空廠に入り、朝鮮半島・平城に赴任。
陸軍では発動機工場と自動車教育隊の教育を担当。終戦後、ソ連領エラブカ収容所に抑留され、1947年に復員した。
1948:トヨタに入社。
1959:第1エンジン部で、アルミV8エンジン、3Rエンジンを開発。
1965:製品企画室・主査となる。
1967年から、トラック関係全車種の主査として、ブリスカ、ランドクルーザー、ハイエース、ハイラックスを担当。
1972:大豊工業社長。1983年に会長。
Posted at 2016/11/13 04:43:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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