
朝、目覚めた少女は、庭にある柱に二枚の旗を掲揚した。すると海上では、それに呼応してか、制服を着た少年が、自身が乗って来たタグボート(引き船)に答礼と思われる信号旗を揚げた。映画『コクリコ坂から』は、旗によるこんなメッセージの交換で始まる。
旗を揚げると、少女は庭から台所に戻り、食事の支度に取りかかった。年少ではあるが、彼女はひとりで下宿屋を切り盛りしているのか。大きな釜の中には、既に研いだ米が準備されているようで、少女はマッチを使ってガスに点火した。炊飯の開始だ。マッチは“徳用マッチ”と呼ばれた大きな箱に入っている。付け加えれば、このガス・コンロは、何らかの方法で外から炎や火花を与えないと火がつかない。
一方タグボートの少年は、船が接岸すると自転車を降ろし、それに跨って走り出した。抜けようとした路地の脇には、軽三輪が駐まっている。(あ、マツダのK360か)と思う間もなく、大通りに出た少年の前を、初代コロナ(タイトルフォト)、車種不明のライトバン、外国車のセダン、そして小さな三菱500などが走っていく。さらに初代クラウンをやり過ごすと、少年は大通りを渡った。
下宿屋では、朝食をサーブするジョブと洗濯を終えた少女がセーラー服に着替えて、外に出た。そこに、オート三輪の助手席に乗った家政婦が出勤して来る。運転者は「乗ってくかい?」と声をかけるが、少女はそれは断わり、歩いて学校へ向かった。オート三輪に乗っていたのは米屋で、この時には車種はわからなかったが、後に「くろがね」のバッジが映し出される。「くろがね」はダイハツ、マツダと並んで、戦前からのオート三輪“御三家”メーカーのひとつだ。
そして、大通りは別として、少女が歩いて学校へ行く道は、まだ舗装されていない。また、ここまでに登場したクルマは、トヨタ車でいうなら、初代のクラウンと初代のコロナ。この二車種はそれぞれデビューが1955年と1957年で、また、車道を行くクルマ群の中にいたスバル360の登場は1958年、そして三菱500は発表が1960年だった。
まあ三菱500は、この映画のように「街」で姿を見かけるほどの販売台数には至らなかったはずだが、それはともかく、これらのクルマからも、この映画の「時制」がだいたい見えて来る。映画の中盤では、「1964 東京オリンピックを成功させよう」という掲示がある東京の街・新橋へ、主人公たちが出向いて行く挿話がある。
さらには、画面に映るバスが「いすゞ」のボンネット型で、スクーターはラビットやシルバーピジョンが走り、リヤビューを見せて日野ルノーが坂道を登って行くシーンなど。そのルノーの後継モデルだったコンテッサも、サイドビューを見せて走り去る。
TVのブラウン管の中では、巨人軍の長嶋茂雄が三振し、坂本九が「上を向いて歩こう」を歌っていて、「もうすぐ、舟木一夫が出るのよ!」というセリフがある。「上を向いて…」は1961年にリリースされた曲、そして舟木一夫が「高校三年生」でデビューするのは1963年だった。
……ということで、この物語の舞台となるのは、東京オリンピック開催の前年で、第二次大戦の終戦から20年近く経った「1963年」であった。そして、前述のように東京に“遠征”もしたが、主人公たちが暮らしているのは、1963年の横浜。少女が切り盛りする下宿屋・コクリコ荘、また彼女が通う私立高校の港南学園は、ともに横浜の“港が見える丘”に建っている。
そして、主人公の少年がタグボート(引き船)に乗っていたことは記したが、「横浜港」もまた、物語の重要な舞台である。山下公園には氷川丸が泊まっているし、そこに建つ「TOYOTA」の看板を付けたマリンタワーも画面に映る。神奈川はイメージ的にはニッサンの勢力圏なのに、そのマリンタワーにトヨタの文字が出現したとして、これはいっとき話題になったはずだ。そして映画のエンディングも、「横浜港と船」がそのステージになる。
映画は、二つの挿話を交錯させながら、物語を進めて行く。そのひとつは、主人公たち、つまり高二の少女「松崎海」と高三の少年「風間俊」のラブ・ストーリー。そしてもうひとつが、彼らが通う港南学園の一角にある文化部系の部室が集まる古い洋館、通称“カルチェラタン”の存続がどうなるか、である。学校側は、この古すぎる建物の改築……というより取り壊しを企図しており、そして港南学園の一部の生徒はそれに強く反対している。
さて、ヒロインである「松崎海」の名は「うみ」。三人姉弟の長女で、妹の「空」と弟の「陸」がいる。ただ、親しい人や級友たちは、彼女を「メル」と呼んでいる。何故「メル」なのかという説明のセリフは一切用意されていないが、ただ、文化部の面々がタムロする建物を“カルチェラタン”と呼んでいる学校であり、ここではフランス語が半ば“公用語”化しているとするなら、「ラ・メール」(=海)から無理やり付けたアダ名かもしれないという想像は一応できる。
そして、タグボートに乗っていた少年の名は「風間俊」。港南学園・文芸部の一員で、「週刊カルチェラタン」というビラ一枚の雑誌を発行している。松崎海が毎朝「旗」を揚げていることは、風間は知っていて、主宰する「週刊カルチェラタン」に「少女よ、なぜ、君は旗を揚げるのか」……で始まる小文も掲載していた。
「ねえねえ、これ、メルのことだよね?」と、松崎海が級友からそのビラを見せられた後の昼休み。友だちと一緒にお弁当を広げていた海の目の前で、事件は起きる。生徒会長・水沼の合図で、「カルチェラタンの取り壊しに反対!」という垂れ幕が掲げられると、抗議のためのパフォーマンスとして、建物の屋根から防火水槽に風間俊がジャンプしたのだ。
(つづく)
Posted at 2016/11/18 10:15:30 | |
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クルマから映画を見る | 日記