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2016年11月26日 イイね!

映画『コクリコ坂から』~1963年的「細部」とクルマが気になる 《5》

映画『コクリコ坂から』~1963年的「細部」とクルマが気になる 《5》全学集会での白熱した討論の最中に、突然、生徒会長が歌を歌いだし、しかし何故か、それにみんなが素直に唱和した──。そんな生徒集会があった夜に、コクリコ荘の茶の間で、「空」がその様子を報告した時のことを思い出したい。下宿人のひとりで、港南学園の卒業生である北斗女史は少しも騒がず、「相変わらずねえ」と笑い飛ばした。

そういえばあの時、「海」や「空」はフシギそうな顔もせず、「白い花の咲く頃」を歌っていた。つまり、何らかの状況になれば、みんなで歌を歌う。これは集会参加者の共通の認識だったのだ。そこで歌われたのは、音楽の授業で教材になるような歌ではなく、NHKの「ラジオ歌謡」の曲だった。NHKの同番組でその曲「白い花が咲く頃」」がリリースされたのは、1950年のことであったという。

そんな古い曲を、いま風に言うなら13年も前の“Jポップ”を、リーダーがイントロ部分を歌っただけで、どうして、そこにいた生徒みんなが唱和できたか? これはつまり、“そういうこと”をするのが初めてではなかったからであろう。

この生徒集会、思えば彼らは手慣れていた。討論会場となったの講堂だと思われるが、その外にしっかり見張り番を立てていた。もともと生徒間で意見が対立しているのだから、討論が白熱するのは想定内。怒号が飛び交うだろうし、乱闘寸前という状況もあるかもしれない。

しかし、だからと言って、学校側がそれを理由に、生徒の“集会の自由”に立ち入ってくるなら、それは断固、阻止する。おそらくこの学校には、そうした「生徒の自治」をめぐる“抗争”の歴史があって、それを繰り返しているうちに、生徒側に、ひとつのアイデアが生まれたのだ。生徒集会・会場での“騒音”を聞きつけて、学校側が見回りの教師を派遣してきたら、その時は「合唱」をしていたことにする。──あ、音が聞こえました? 歌の練習ですよ、ほら、お聞きの通り……。

そうした「合唱」によって学校側の介入をやり過ごすという作戦は、昨日今日に思いついたものではなかったはずだ。「対学校」の交渉ごとや闘争の中で、この学校の生徒会がさまざまな戦術や作戦を行なってきたうちの一つがこれだったのだろう。そして、この「合唱」作戦は、既に1950年代に確立されていたもの。ゆえに、みんなで合唱する際の歌が「白い花の咲く頃」だったのだ。

“その時”に歌うことにした曲が、音楽授業での曲やスコットランド民謡などではなく、いかにも通俗的な「ラジオ歌謡」からの歌だったというのは、これまた、1950年代当時の生徒たちの反骨精神だったであろう。その夜のコクリコ荘で、卒業生の北斗女史が「相変わらずねえ」と笑ったのは、「まだ、同じ曲なのね!」という驚きも混じっていたと推察する。

こうした港南学園の校風は、北斗女史の送迎パーティにやって来た学園OBたちの会話からもうかがい知ることができる。彼らは語り合っていた、「校長はタヌキだからなあ」「孤立を怖れず。だけど、戦術には知恵が要るなあ……」「戦術? タカが知れてるぞ」……。

そんな北斗女史のための送迎パーティが始まる、その少し前。コクリコ荘へ続く坂道を、リヤビュー見せて、紺色のクルマが登っていくシーンがある。ルーフに表示灯らしきものがあるので、これはタクシーか。ファストバックのリヤ、そのエンジンフードには「スリット」が切られていて、クルマがリヤ・エンジン仕様であることを窺わせる。

このクルマは、フランスの「ルノー4CV」を日野自動車がノックダウン(KD)生産していた「日野ルノー」。当時のクルマとしては俊敏な走りをすることで定評があり、ドライバーにも人気があったと聞く。ただ当時は、一般ピープルが自分のクルマを所有するというのは、夢のまた夢だったので、この場合の運転者とは、主にタクシーのプロ・ドライバーを指す。

「日野ルノー」は、軽い車重と、それなりにパワーのあるエンジンがリヤに積まれていた。おそらく、けっこうテールヘビーなバランスであったはずで、その結果、このクルマはテールを「振り回して」曲がるという走りができたようだ。そんなことから、ルノーは運転者に、これは fun であるとして好まれた。その頃に非難も含めて、速くて動きが俊敏(乱暴?)な自動車のことを“神風タクシー”と呼んでいたが、こうした粗暴な動きをするクルマのほとんどは、車種でいうと、どうもこのルノーであったらしい。

当時、この「日野ルノー」は日本の街を元気に走り回っていたが、それを反映して、映画ではこの時の坂道シーンだけでなく、街を切り取ったほかの場面でも、ルノーがその姿を見せる。付け加えると、この映画は「日野ブランド」のクルマをけっこう重用していて、同社がルノーのKD以後に、自社オリジナルとして開発・生産した「コンテッサ」も、何度か画面に登場してくる。

初代のコンテッサ「900」は、この映画の時制である「1963年」より2年前の1961年のデビュー。そして、1960年の三菱500とマツダR360、1961年のトヨタ・パブリカなどが画面の中を走り、さらに、重要なキャストとしてトヨペット・クラウンの初代が登場するが、このクラウンについては稿を改めて採り上げたい。

なお、この映画は「歴史」をきちんと描きたいという意図からか、「耳をすませば」や「おもひでぽろぽろ」のように車種を露わにしない描写のスタイルではなく、登場するモデルは基本的に、バッジ類も含めてリアルに「絵」にされている。

(つづく)
Posted at 2016/11/26 07:09:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
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