
近年こそ対決色がやや薄れた感はあるが、1966年以降の日本クルマ史で、最も激しいライバル・ストーリーを繰りひろげた組み合わせのひとつ。それが、ニッサンのサニーとトヨタのカローラだった。
1960年代半ば、「モータリゼーション」という風潮が一気に盛り上がり、そんな中で「大衆車」という言葉とともにデビューしたのがこの両車である。この時、人々はクルマというものが身近になったことを強く実感した。
そして、当時の“ビッグ2”であったトヨタとニッサンがコンパクト車=大衆車を作ったというインパクトもあった。この二台が登場したことで、一般カスタマーにも“クルマ世界”とその魅力が一気に浸透したはず。日本におけるクルマの大衆化と一般化において、この2モデルが果たした役割はとてつもなく大きいと見る。
そして、1970年代、この両モデルともに第2世代となった。初代でエンジン排気量に「100ccの差」があることを強調されて、カローラに遅れをとったサニーは、搭載エンジンを1200ccにスケールアップする。その後に、とくにレーシング・シーンで“名機”と呼ばれることになるA12型の登場だ。そしてスタイリングでも、初代の「直線主義」から脱して、やや丸みを帯びた“豊かさ”をアピールするものとした。
ただし、スタイリングとしてはマイルドなイメージになったものの、このサニーは、折りから第2世代からはじまったカローラとの“スポーツ度”競争では、激しいチャージを見せる。
デビュー後すぐに、サニーは、キャブレター(燃料供給装置のひとつ、当時はまだ「燃料噴射」は一般化していなかった)を強化した「GX」というスポーティ・グレードを、セダンとクーペの双方に加えた。これが、トータル・バランスにすぐれ、扱いやすく、かつ俊足のマシンとしてヒットした。トヨタからのリトル・モンスター、あのレビン/トレノは、このGXへの対抗策という意味が含まれていた。
さらにサニーは、1972年、そのレビン/トレノ登場とほぼ同時期に、今度は「GX5」を投入する。この「5」は、マニュアル5速ミッション搭載車であるを意味していたが、しかし、これは並みの5速ではなかった。
当時もまた今日でも、5速のシフトパターンは、1~4速をH型にして、そして5速を右上などの別立てに配置するのが普通だ。しかし、GX-5の5速シフトはそうではなかった。H型に配されていたのは2~5速で、別立てになっていたのが1速だったのである。
これは、いったん発進してしまったら、1速まで落とすことはまずない。それなら1速を発進専用として別に置き、2速から5速を使いやすいように配した方がいい。ドライバーは、クロスレシオにした各ギヤを駆使して走ってほしいというコンセプトとアピールで、そのシフト・パターンがレーシング・マシンと同じということでも、サニーのファンを喜ばせた。
トヨタのレビン/トレノが、いわばストリート・ファイター的な押し出しだったのに対して、サニーのスポーツ性とそのイメージは、サーキット・レースと結びついていた。そんな「レーシーな」スタンスとストーリーも、この「GX5」には似合っていた。
(2002年 月刊自家用車「名車アルバム」より 加筆修整)
Posted at 2016/11/30 11:25:16 | |
トラックバック(0) |
00年代こんなコラムを | 日記