
この映画は、二つの物語が併行して進行する構成である。そのひとつは、古い建物の“カルチェラタン”が取り壊しの危機にさらされているのだが、それがどうなるかということ。もうひとつは、松崎海と風間俊が「父の写真」として持っているものが同じである。つまり、二人はともに「沢村雄一郎」の子であるかもしれないという問題だ。
その“カルチェラタン”だが、松崎海の提案で始まった大掃除は、ビジュアル的に愉しめるシーンがいっぱいだ。まずは、隊列を組んでターゲットに突入する女子生徒の軍団が微笑ましい。そして、そこで先頭に立つ「海」は、下宿屋の女将としての勝負服なのか、他の生徒のようにエプロン姿ではなく、ただひとり割烹着を着ている。その女生徒たちに感謝の言葉として、水沼生徒会長が「ヴォランティーア」と大仰に発音するのも笑いどころか。
ただ、着々と「お掃除」が進み、“カルチェラタン”という場で毎日顔を合わせている松崎海と風間俊なのだが、どうも俊の行動がおかしい。メルと一緒の場にいることをさり気なく避けているようであり、また、メルには下校時の挨拶をしなかったりもする。「何かあったのか?」、繊細な水沼が気づいて親友を問いただすが、俊は何も言わない。
風間俊の様子がおかしいことに気づいた松崎海は、ついに行動した。意を決して雨の中、校門のところで待っている松崎海。自転車で通りかかった風間俊は、もうこの問題から避けられないと思ったか、メルと一緒に歩き始めた。二人の脇をクルマが通り過ぎて行く。このサイドビューはコンテッサであろう。
“意志的”な少女・松崎海は、正面突破で風間俊に問う。「嫌いになったのなら、ハッキリそう言って」。言われた俊は、胸ポケットから、写真を取り出した。「沢村雄一郎、俺の本当の親父」。言われて立ち止まる松崎海。
「まるで安っぽいメロドラマだ」「どういうこと?」「市役所に、戸籍も調べに行った。確認した」「じゃあ……」「俺たちは、兄妹(きょうだい)ってことだ」「……どうすればいいの?」「どうしようもないさ。知らん顔をするしかない」
そして、「いままで通り、ただの友だちだ」と言い残して、風間俊は自転車で去って行った。雨の中、立ちすくむしかない松崎海──。その晩、松崎海は寝込んでしまった。「空ちゃん、学校で何かあったの?」、心配するコクリコ荘の人々。布団の中で「海」は、アメリカに行っている母、いまは亡き父に、夢の中で会っていた。
パジャマ姿で階下へ降りた「海」、台所からは炊事の音が聞こえ、ご飯と味噌汁ができている。振り向いた母が、優しく言った。「よく眠れた?」。そして父は「海!」と呼び、航海の無事を祈るあの二枚の旗を持って両手を広げる。そんな父の胸に飛び込む「海」の耳に、父の声が聞こえた。「大きくなったなあ!」
……というのは、すべて夢だった。涙を拭いて「海」は起き上がり、着替えて、階下の台所へ。お釜には、既に米が入っている。マッチでガスに火を点け、花の水を取り替えた。そして旗を持って掲揚柱へ行き、いつもの旗を揚げる。
傘をさして、学校へ向かって歩く「海」を、スクーターが追い越して行く。これはシルバーピジョンだ。そして、風間俊と松崎海の間はモヤモヤしていても、“カルチェラタン”の清掃は着々と進んでいる。時計台も復活し、鐘の音が鳴り響いて、生徒たちが拍手した。
しかし、そこにニュースが! 生徒会長の水沼が報告する。「緊急集会だ。理事会が夏休み中に(カルチェラタンを)取り壊すと決定した」。
急遽、対応策を協議する生徒たち。風間俊は、港南学園の校長なんかは飛び越えて、「理事長に、直談判したらどうかな」と提案する。「徳丸財団の理事長だぞ。会うのはむずかしい」と言う水沼。しかし、生徒たちの後押しを受けて、風間俊が言った、「行こう、水沼。東京へ」。それに応えた水沼は、松崎海を指名した。「行くか! “海”も来てくれ、三人で行こう」──
こうして翌日、三人の高校生がJRの……ではない「国電」の京浜東北線、その桜木町駅に集合するが、ここは「クルマ」も含んで、いろいろと愉しめるシーンになっている。
まず、駅前の広い通りを、市電やバスと並んでクルマが行き交う様子が描かれる。トヨタのパブリカが行き、続く小型のセダンはヒルマンの旧型(“ダルマ”と呼ばれたマークⅣ、PH10型)だろうか。そして、マツダの大型オート三輪が行き、それに続く赤い小さなクルマはR360クーペのようだ。
駅には、風間と水沼が先に来ていて、そこに松崎海が合流した。駅構内には広告の看板が並び、パイロット万年筆、赤玉ポートワイン、そして山猫軒のシュウマイといった文字が見える。横浜のシュウマイと言えば有名な老舗があるが、パイロットや赤玉が実在のものであるのに対して、ここで「山猫軒」とフィクションになっているのは、何か理由があったのか?
また、集合した三人の背景として、切符売り場と「30円区間」の自動販売機が映る。「1963年」当時の最短区間の切符は30円で、そしてこの切符だけは、無人による自動販売が行なわれていたようだ。チラッと映った路線図から、彼らが横浜駅ではなく、桜木町駅に集合したことも、それとなくわかる。
そして、彼らを乗せた栗色の京浜東北線が東京へ向かうと、やがて画面は、東京の市街の「絵」になる。桜木町駅前以上に多くのクルマが走っており、その中で目立つ青いコンパクト車はフォードのアングリアだろうか。そして初代のクラウン、そのマイナーチェンジ版のサイドビューが、目の前を過ぎていく。
新橋に着いた彼ら三人は、アポなしで、徳丸ビルに突入した。受付で四階に行くように指示されると、そこに秘書がやって来る。「社長は忙しいんです、予約なしで来ても、会えないかもしれませんよ」。言われて、水沼が応えた。「申し訳ありません、あらかじめお願いしてはお会いしていただけないと思い、押しかけました」
(つづく) (タイトルフォトはパブリカ初代、トヨタ博物館にて)
Posted at 2016/12/04 18:16:03 | |
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クルマから映画を見る | 日記