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家村浩明のブログ一覧

2014年04月29日 イイね!

レース好き、歴史好き、そして雑誌好きの方へ

レース好き、歴史好き、そして雑誌好きの方へレースの歴史とリザルトに滅法詳しい林信次さんが語るwebページがあります。
題して、「古いレース雑誌を開く愉悦…」。

その第一回は「オートスポーツ」誌の創刊号。以下、エポックメイキングな号をネタに、林さんがその博識を展開しています。

スタイルとしては古い雑誌を開いて、その掲載記事を語るということですが、その記事に関連するモロモロのことにすぐ話が飛びますので、その雑誌を見ていなくても、十分に読んで愉しい記事になっていると思います。
(ちなみに、ハナシを飛ばした聞き手役が私でした(笑))

各回には、以下のようなタイトルが付いています。

第22回 『“メリケン・レーシング”、そのエンタメな世界観を知る 2』
第21回 『“メリケン・レーシング”、そのエンタメな世界観を知る 1』

第20回 『1991年、華麗なる日本F3000の世界、そしてル・マンで...』
第19回 『レースに勝ってクルマを売ればエントラントが増えて...』
第18回 『王者ポルシェと、耐久マシンという名の俊足ランチアが対決...』
第17回 『天才的なレギュレーション!  “グループC”というエンジン...』
第16回 『スポーツカー・レースの新基準が上陸、日本レース界を“黒船”が...』

第15回 『モノクロ写真のクルマに“色をつける”方法、教えます!?』
第14回 『60年代“モータースポーツ・ソサエティ”と女性たち』
第13回 『飛べ“オートマチック・ドリーム”、シャパラルとジム・ホール...』
第12回 『幻の《東京サーキット》はどこに消えたか?』
第11回 『“エンジン・サプライヤー”ヤマハにナゾあり!?』

第10回 『“はかない”アメリカン・ドリーム……、でも「スカラブ」って...』
第9回 『レース名勝負物語、舞台はニュルブルクリンク、主演はファンジオ...』
第8回 『英国の誇り、“サー”スターリング・モス』

第7回 『朝霧に包まれたマラネロ、“美しすぎるレーシングカー”は、その...』
第6回 『“風土とF1”、欧州&豪州。そして“ノン・チャンピオンシップ...』
第5回 ムスタングGT! ホンダ“エスハチ”! “スカG-B”!』

第4回 『66年デイトナの“華”たち! フェラーリ、そして突如出現の...』
第3回 『“デイトナ”の青い空、バンクを駆けるプロトタイプ!』
第2回 『“クルマがナナメ”のインパクト!』
第1回 『表紙にナゾだらけの“創刊号”』


連休でゆったりとした時間をお過ごしの方、また、ヴィンテージな“時”に触れたいと、ふと、思った方。よろしければ、林さんナビによる歴史探訪をお楽しみになっては如何でしょうか。

(「古いレース雑誌を開く愉悦…」で、検索なさってください)
Posted at 2014/04/29 13:50:07 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2014年04月26日 イイね!

 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦

 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦エピローグ

時間って大事だ。ル・マン24時間レースを闘い終えて、橋本健はしみじみ思った。NSXはポルシェより速い。しかし、ラップタイムだけが耐久レースではなかった。

24時間のうち、ポルシェ・カレラRSRは止まっている時間が1時間とちょっと。つまり、ほとんど23時間、ポルシェはサルテを走り続けていた。対してNSXは、走っていない時間が2時間から3時間。これでは、周回タイムが何秒違っていたって追い切れるものじゃない。24時間をどう使うのか。ル・マンは、この競争なのだ。

時間の使い方といえば、チームメイトのヨーロッパ人たち、その巧みなリラックスの仕方も忘れることができない。耐久レースという過酷な闘いをしながら、彼らはいつも、どこか愉しんでいた。レースはバトルであり、と同時に“祭り”で、そして、それらのミクスチュアでもある。レースの捉え方が、彼らヨーロッパ人はどうも“単眼”ではない。オレはまだ、愉しんでないな……。橋本は自分に呟いた。

* 

そしてもちろん、「負け」はたっぷりと悔しかった。エンジンはもっと軽くして、レスポンスも上げたい。そして例のドライブシャフト、あるいはミッション回りでは、やり切ってないという不安が見事に的中した。これはクルマを栃木に引き取り、自分の見える範囲に置いて根本的に対策するつもりだ。そして、栃木で作っているレーシングNSXの熟成もある。94年ル・マンについては、あまりにも時間がなく、車体作りはTCPに一任する格好となったが、栃木製のレーシングNSXもあるのだ。これをもっとツメたい。

ただし、この日本製マシンでル・マンに挑戦するということは、橋本はまったく考えていない。そういう技術の比べっこよりも、もっとやりたいことがある。

栃木で、レーシングNSXを作る。そしてヨーロッパで、あるいはアメリカで、NSXをモディファイしてレース仕様を作る向こうのレース・エンジニアたちがいる。それらのNSXをより良くするための、より速くするためのアイデアやクリエイティビティを、うまく融合できないか。

そのようにして、レーシングNSXがひとつの完成形になったとき、NSXがもっと強いクルマになったとき、世界中のレーシング・チームがそのNSXでレースをしたいと望むようになるかもしれない。そして、その時のためにも、エンジンはあくまでも量産ベースのままにしておく。そうしておかないと、カスタマー(レーシング・チーム)が「購入」できないクルマになってしまうからだ。

自動車メーカーのエンジニアとして、レースをする人々、そしてそれを観に来てくれる人々に、そういうかたちでサポートができたら──。これが橋本健の夢なのだ。

* 

しかし、ともかく、94年のル・マンは、きっちりと負けた。この“借り”はハッキリ返したい。レースの魅力、あるいは魔力を知ってしまったエンジニアとしての意欲も、同時に、強く湧き上がって来た。限りのないターゲットを目の前に、橋本健は心で呟いた。(オレは二階に上がってる。そして、ハシゴはもう、なくなってる……)

(了)


○解説:『 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦 』

この記事は、1994年に雑誌「レーシングオン」、No.174~NO.180に連載されたものに加筆・修正し、1995年3月に、(株)グラフィティより刊行された小冊子、『ル・マンへ……1994レーシングNSXの挑戦』を再録するものです。本文の無断転載を禁じます。
2014年04月24日 イイね!

なぜ、いま「ル・マン」を ~ レース情報をもっと!

なぜ、いま「ル・マン」を ~ レース情報をもっと!このブログに、不定期連載というかたちで掲載しております『 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦 』ですが、ある方から「何でいま、ル・マンなの? それもホンダで94年というのは?」と問われました。サルテでのレースは6月(夏至の土曜日)だし、今年の世界耐久にトヨタは出場していてもホンダは出ていない。また、94年にル・マンでホンダNSXが好成績だったわけでもなく?……ということですね。

まあ、ごもっともな疑問かもしれません。ただ、私がこの一文を web 上に再録することを決めたのは、ル・マンという場、あるいは参戦メーカーといった具体的な部分からではなく、何というか「レースとその世界」の広さと深さですね。これを私なりに、より多くの方々に知っていただければと思ったからでした。

レースって、どうやって行なわれているのか。
また、どんな人がどんなことを考えながら、このスポーツを闘っているのか。

レース以外のスポーツの場合、野球にしてもサッカーにしても、「あの一球!」とか「あの瞬間はこうだった」とか、プレーヤーの心理面、また、このスポーツにはこういう側面があるといった類の記事や番組がしばしば作られます。しかし、モータースポーツそしてレースは、きわめて複雑なスポーツでありながら、その種の情報がそんなに多くない。そんな感想を、私は常々持っていました。

もとより私はモータースポーツの専門ライターではなく、レースについてはわからない部分がいっぱいあります。でも、モータースポーツがもっと多くの方々の興味の対象となって、そして、いま以上に盛り上がることは、もちろん大歓迎。モータースポーツの広報を……とはおこがましいですが、でも、手持ちのネタ(文章など)が、もし、それに少しでも貢献できるのであれば、公開には何の躊躇もありません。

この記事『 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦 』は、第7章まで、レースがスタートしません。そして、24時間の決勝レースが始まったその第7章が事実上の最終章で、後はエピローグがあるだけです。なかなか“ヨーイ・ドン!”が始まらない記事で苛々されていた方もおられるかと思いますが、ただレースの世界には、日曜日のグリッドに並ぶ前に、すべては終わって(決着がついて)いるのだという言葉もあります。

ともかく「レース」については、人も事象も、こうやってこのスポーツは行なわれているという情報がもっと必要。ほかのスポーツに比して、観客向けの情報が足りてない。

もし、「レースって何なんだろ?」というように、このスポーツに関心を持ちかけている方がおられて、そしてお時間がありましたら、レースのためのベース車作りをその出発点とするこのドキュメントに、いま一度、ご注目いただければ嬉しく思います。

そして末尾になりましたが、こんな“字だらけ”の愛想のない(汗)ブログを読みに来てくださるすべての方々にお礼申し上げます。どうも、ありがとうございます。
Posted at 2014/04/24 21:20:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2014年04月24日 イイね!

 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦

 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦第7章 完走! part2/2

橋本は、それまで座っていたピットウォールの“監督席”を初めて離れた。そして、歩いた。独りになりたかった。誰もいないところって、どこだろうか。ピット裏に、NSXを運んできたクレマーのトレーラーがあった。ちょっと覗いてみた橋本は、その中ががらんどうであることを発見する。

何にもないトランスポーターの空間に身を潜めて、橋本は、まず目をつぶった。10分くらいもそうしていただろうか、そして、そのトランスポーターの中を歩いた。歩き回って、また腰を下ろした。(こりゃ、檻の中を歩き回る熊だな……)橋本は、ひとり苦笑いをした。

先ほどのクレマーの助言が頭をよぎる。その通りなんだろうなと思う。ドライブシャフトのスペアなんて、そう何本もあるものじゃない。ミッションという走りの中枢部がトラブったのも痛い。完走は、むずかしいかもしれない。1台に集中し、止めた2台はスペアパーツとする。これは長いこと24時間レースを闘ってきたクレマーの、当然のノウハウだった。正しい……、きっと正しい。

でも……と、橋本はあることに気づいた。3台のNSXの“症状”はそれぞれに異なっている。この3台がこれから走り続けていくと、クルマはどうなるのか。エンジニアとして、それを知りたくなったのだ。

また、こうも思った。ここでオレがクレマーに「イエス」と言えば、2チームのレースは終わってしまう。栃木から来ている五人のメンバーは、誰もこの状況に不平を言ってない。止めたくない! 

もし、クレマーが言う通りに3台リタイヤとなったら、自分が判断ミスをしたと責任を取ろう。いま一番大切なのは、できるところまで“やり切る”ことだ。(オレは、やりつづける!)

橋本は、トレーラーを出て、ふたたびピットウォールに戻った。橋本がチームやクルーの視界から消えて、およそ1時間が経っていた。橋本がスタート時と同じように“監督席”に収まったことが、クレマーへの返事だった。

(どのNSXも、止めないぞ!)

* 

「チーム国光」47号車のドライブシャフトは、その後も折れ続けた。いつも左側だった。要するに、一時間ほどコースを走ると折れるのだ。そのたびにドライバーは巧みにNSXを操り、なだめすかしてピットに帰り着く。ドライバー交代とドライブシャフト交換が同時という、これは凄まじい“ルーティン”だった。

テストあるいは練習でクルマの様子を探りつつ走るのと、本番レースとでは、負荷がまったく違っていた。またバンピーな路面は、しばしば、一瞬クルマを浮かせる。そして着地した時には、突然の大負荷がかかる。さらにサルテ・サーキットは右コーナーが多い。

さまざまな条件に、47号車のドライブシャフトは耐えられなかった。長いピットストップで、47号車の周回数が見る間に減っていく。ル・マンの「完走」とは、ひとつはチェッカーを受けることが最優先だが、もうひとつ、大きなハードルがある。それは首位車の70%以上のラップ数を走り切ること。そうでなければ「完走」にならないのだ。

遅い(!)ポルシェは、しかし、着々と周回数を重ねていた。止まらない。首位車の「70%」というクリアすべきバーが少しずつ上がっていく。

午後2時50分、つまり、残り1時間10分。「圭ちゃん、行ってよ」。高橋国光はチェッカーまでの最後のドライブを、自らの意志で土屋圭市に譲った。(ル・マンっていいよ、凄いよ。フィニッシュすると、それがわかるよ)。国光は圭市に、心で言った。

* 

ガショー組の48号車、清水組の46号車は、それぞれミッションと新しい燃料配管系を移植してからは、ほぼ順調だった。完走はできそうだった。問題は3台目の47号車だ。だが、そのNSXのドライブシャフトは、残り40分でふたたび折れた。またしても左側だった。

NSXのドライブシャフトは左右不等長で、折れるのはいつも左側だった。これまでに2台のNSXが、実に7本のドライブシャフトを“消費”していた。そして、この時に47号車に換装されたドライブシャフトは最後の一本というか、橋本健と丸谷武志のアイデアから生まれた超スペシャルのパーツだった。

スペアパーツとして、右側用のドライブシャフトは山ほど残っている。橋本が丸谷に訊く。「これ、左には付かないのか? カバーの長さは確かに違うけど、インナーだけなら、左用として付くんじゃないか?」

そのパーツを付けた土屋圭市の47号車は、午後3時45分にピットを後にした。残りは15分だ。

* 

ファイナルラップを迎えた土屋圭市は奇妙なことに気づいた。オフィシャルが旗を振っているのはわかるが、その旗の動きが変なのだ。それは、「行け、行け」とも「ほら、押すぞ」とも取れるような、そんな合図を圭市に送ってきていた。ヨタヨタとチェッカーに向けて走り続けるNSX。止まるなよ、行くんだぞ。旗は、そう語っているようだ。

(このオフィシャルの人たち、オレのクルマがどういう状態なのかを知っている!)

圭市は、思いっきり驚いた。首位なんかじゃないぜ、こんな、完走するかどうかもわかんないようなクルマだぜ。でも、こんなクルマのことまで、この人たちは、24時間、しっかり見ててくれたんだ……。このことに気づいたとき、もう、旗はぼやけて見えなかった。ヘルメットの中で、土屋圭市は泣いていた。

* 

(ああ、やったあ……。完走だあ……)ピットウォールの“監督席”から、橋本健は立ち上がった。諦めなくてよかった。この8ヵ月、そしてこの24時間。ともかく、ル・マンを“やれた”、終わった。そして、完走した。

やったあ! 安堵と満足感で大きく息をついている橋本の方へ、外国人メカニックの一人が握手を求めて近づいて来た。あ、あいつ! 全然寝てないはず。壊れちゃ直し、壊れちゃ直しで、ずっとやり続けて。あいつだけじゃない、みんな、みんな……。そして、栃木の連中も……。

(あ、ヤバいよ、来ないで。そんな顔で、こっちへ来ないで……。だって、オレ……)

メカニックの顔がかすんで、そして歪んだ。一度噴き出した涙は、もう止まらなかった。橋本さん……と、誰かの声がする。橋本健は、精いっぱいの声を張り上げた。「泣いてねえよ、目から汗だよ」

(つづく) ──文中敬称略


○解説:『 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦 』

この記事は、1994年に雑誌「レーシングオン」、No.174~NO.180に連載されたものに加筆・修正し、1995年3月に、(株)グラフィティより刊行された小冊子、『ル・マンへ……1994レーシングNSXの挑戦』を再録するものです。本文の無断転載を禁じます。
2014年04月24日 イイね!

 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦

 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦  第7章 完走! part1/2

1994年ル・マン24時間レースのスタートを、ホンダ栃木研究所の橋本健はピットウォールで迎えた。3台のクレマー・ホンダNSXがストレートに帰ってきて、そして1コーナーへと消える。それを「総監督」として見守り続けるのに、最もコースに近い場所がここだったからだ。3リッターV6のエンジン音も、ここならナマで聞ける。直線でのクルマの挙動も見える。

そしてもうひとつ、スタート以後も橋本がピットロードに居続けるのには理由があった。走り去るNSXを見送り、ホッと一息つこうとピット裏へ橋本が休みに行く。すると決まって、何かトラブルを抱えたNSXが、あたかも彼を追うようにピットインして来た。それが三回続いた時、橋本は決めた。(よし、オレは動かない。ここにいる。オレが動くから、何かが起きるんだ)

レースはエンジニアリングの競争でもあるが、一方では勝負事だ。良いリザルトのためには、ツキも要る。不運のタネかもしれないことは、少しでも排除する。これはレースを闘ってきた者としての、単なる縁起担ぎではない行動だっただろう。橋本はNSXが走っているほとんどすべての時間を、ピットウォール上の小さなチェアの上で過ごした。

* 

ル・マン24時間レースを、ここまで61回仕切ってきた主催者、フランス西部自動車クラブ(ACO)の古株役員が、レースウイーク中のある日、橋本に言った。「初めてル・マンに来て完走するというのは、まず不可能だ」と。ま、そうだろうなと、橋本も思った。でも、そうでもないかもしれないとも同時に思った。時間はたしかに、今回は足りてない。しかし、その中では十分に仕事はした。これはメーカーのエンジニアとしての自負だった。

* 

決勝レースは、まずはマイナー・トラブルの連発から始まった。46号車はミッションのリンケージ、足回りのセッティング(オーバーステア)、そして燃料配管の不具合。47号車はバッテリーとスターター。さらに48号車もタイヤがブローし、ラジアスロッドとフューエルポンプの交換を余儀なくされた。これが序盤だった。橋本健がピットウォールに居続けようと決心したのも頷けるというものだ。ただ、3車のトラブルは一様ではなかった。それなりの個性があった。

ル・マンは、クルマに何も問題がなければ、ピットワークは給油とタイヤ交換とドライバー交代だけで終わり、クルマはふたたびコースへ出て行く。これがルーティンのピットワークで、これだけならピットストップの時間は3~4分で済む。ブレーキパッドやディスクを交換すると、これにさらに2~3分が上乗せされる。

スタートしてから5時間まで、このルーティンのピットワークのみでコースに復帰していったNSXは一台もなかった。

* 

94年のル・マンは暑かった。陽が出ているうちはシャツ一枚でもよかったし、暗くなっても、例年のような“冬武装”をする必要はなかった。

もうひとつ、例年のル・マンと違っていたことがある。それは路面状態だった。毎年たくさんのCカーが走り回り、コース中に、その軟らかいタイヤ滓を貼りつけてくれる。だが、今年はそれがなかった。各車は自分のタイヤを減らしながらグリップさせて、周回を続けなければならない。グループCモンスターの時代は終わり、この94年ル・マンはCカーが走れるラスト・イベントだったが、しかし最早、そうしたレーシング・カーは数えるほどしか世に棲息していなかった。

高温、ドライ、グリップしないサーフェス。このようなファクターが、94年ル・マンのすべてのエントラントに、少しずつ、ボディブローのようなダメージを蓄積していった。むろん、NSXがその例外であるはずはなかった。

* 

午後4時に走りはじめて6時間後、夜10時頃。3台のNSXは初めて、給油とタイヤ交換とドライバー交代というルーティンのピットワークのみで、相次いでコースに戻っていった。橋本健は、例のACO役員の顔をフッと思い出した。(ほら、順調じゃないか!)そして周回タイムは、ポルシェ・カレラRSRよりNSXの方が速いことを、もう一度確認した。(やれるな、これは。完走だってできる!)

──と思えたのは、一瞬だった。夜中の12時を過ぎると、走りはじめてから8時間が経ったことになるが、しかしル・マンでは、まだ三分の一が終わったに過ぎない。

まず、ガショー組48号車のドライブシャフトを交換するが、出ていった周にすぐ折れて、ふたたび交換となる。「チーム国光」の47号車は、これより先にドライブシャフトを換えていたが、それは取りあえず保ったものの、今度はギヤがどこにも入らなくなり、ついにガレージの中でミッション交換の作業に入った。

もう一台、日/欧混成の46号車も燃料配管系をチェックしながらの走行で、3時過ぎ、ついにその交換を決定した。そして、この作業に1時間を費やす。一方ミッション交換は約2時間を要する大仕事だが、このトラブルは国光車だけではなく、ガショー/ハーネの48号車をも襲っていた。このクルマも、午前3時から5時まで、ピットに止まったままになった。

24時間レースで、この時間を過ぎてからのトラブルは、もう初期トラブルではない。そして、しばしば致命的なダメージとなる。ホンダのル・マン挑戦を観戦していた日本人ジャーナリストの何人かも、この時点で、(NSXは、もう終わりだなと思った……)と証言する。

総監督・橋本健のところに、ドライバーのベルトラン・ガショーが来た。「ハシモト、これがル・マンだよ」。マネージメントを預かるクレマーも来た。そのサジェッションは、より具体的だった。「もし完走させたいなら、2台は止めろ。そうでないと、このクルマ、完走は無理だ」

時刻は午前4時頃、スタートしてから12時間が経っている。クレマーがこのように言うのも、実にリーズナブルなことだった。46号車も48号車も、ピット内で大手術中で止まったまま。47号車も、交換後のミッションの様子を見ながら、飯田章が大事にNSXを走らせているところだ。そして4時過ぎ。飯田から国光にドライバーが代わって何周もしないうちに、47号車もドライブシャフトが折れた……。

(つづく) ──文中敬称略


○解説:『 Le Mans へ…… 1994レーシングNSXの挑戦 』

この記事は、1994年に雑誌「レーシングオン」、No.174~NO.180に連載されたものに加筆・修正し、1995年3月に、(株)グラフィティより刊行された小冊子、『ル・マンへ……1994レーシングNSXの挑戦』を再録するものです。本文の無断転載を禁じます。
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