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家村浩明のブログ一覧

2014年05月28日 イイね!

こんにちは、新車のミニ。そして、さようなら60年代

こんにちは、新車のミニ。そして、さようなら60年代§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

自動車に乗るという行為は、明らかに「冒険」の一種である! 

ミニ・メイフェアで走っていると、こんなフレーズが浮かんで、ひとり笑ったりしてしまう。むろん、この「冒険」とは恐いという意味ではない。快く、不断に、或るコンセントレーションに充たされるといったほどの意味である。(そうだ、バイクに乗っている時の感覚に近いかもしれない)

もっともシニカルには、たとえば東名高速をミニでクルージングする時、「そりゃ冒険だよな」と言いたくもなる。90㎞/h を超えると、かなりのうるささであるし、せっかくトラックが追い越し車線を空けてくれても、ビッと抜けないもんだから、またトラックが目の前に戻ってきたりして……。あるいは、ストロークの極端に短いサスペンションと、これまた短いホイールベースは大きな路面のうねりに弱く、本気でハネちゃったり……。

何しろ、これで走ってると、東名高速がものすごく広く見えて、路面がこれまた、ひどく近い。もう、脇の下のすぐそばにある。

しかし、そのダイレクト感! これこそが「冒険」の素なのだ。その感覚は、路面との距離といった物理的なレベルにとどまらず、ミニがその全身、全挙動から発しているもので、ひとたびそれを「快い緊張」と認識するや、このクルマは果てしなくおもしろい存在となる。気分はスポーツではなく、もうフィジカルにスポーツである。

エンジン・パワーの多寡は、この場合、まったく問題にならない。とくにタイトコーナーが連続する山岳路などを走ってると、実感として、血の巡りが速くなってくる。身体のリズム感が変わる。この場合もまた、コーナリングの速度の数値はまったく問題にならない。

ミニというクルマは、1986年の半ばという時点でも、以上のような昂揚感覚をドライバーにもたらすという意味において貴重な存在である。それも、たった159万円で手に入り、スポーツカーでは得られぬ、十分な居住性や実用性を付加されている点において──。(本稿では、現代に溢れるFF2ボックス車の原点というミニの歴史性への敬意は、あえて無視して語る)

では、ミニ・メイフェアは素直に“買い”か? いや、ちょっと待ってもらいたい。とくに、ファッショナブルだから買いたいワ、という方々に言う。あなたは腕力が強いか? 左足の蹴りのパワーに自信があるか? あるいは、腕が長くて足が短い体型をしているか? 

……つまり、ステアリングは重く、クラッチはこれまたさらに重く、そして極めて変則的なドライビング・ポジションを取ることをクルマが求めてくる。これらを、しっかり覚悟してほしい。ヘビー・スモーカーも、ミニ・オーナーとしては不適である。要するに、日本車的・親切極致設計愛好症候群から遙かな地点にミニは在るのだ。(クラッチの問題は、AT版を選べばクリアできるが)

そして、このような“素朴な自動車”は、そのスタイリングも含めて、もう永遠に生まれまい。スポーツカーのライトウェイトなやつというのが登場すれば、あるいは意図して、そんな味付けをする可能性はあるが、実用大衆車という枠ではもうあり得ないだろう。

そういうクルマが、いま、まだ新車で手に入る。そう思ったなら、ミニはやっぱり“買い”である。そして、「何を言う、この格好だけで十分に“買い”だ、文句あっか!」という人に、ぼくはまったく文句はない。今日の路上でも、ミニは機能美にして愛らしい見事な造型を示す。たしかにこれは、エバーグリーンである。アレック・イシゴニス氏に脱帽する。

(1986/05/14)

○単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
ミニ・メイフェア(85年~  )
◆いつまで経っても見慣れない、あるいは見飽きないミニは、たしかにグッドデザインであり、1950年代的クルマ造型の原型にして究極というかたちでもある。そして「エンジン横置きFF」自動車革命の始祖として尊敬を惜しむものではないが、今日の目で、身体で、このクルマに乗れば、これはやはり“博物館の世界”である。一種の旧車趣味であり、88~89年頃の人気ぶりが、ぼくには不思議だ。もっとも、友人で買うっていうヤツがいたら買わせて、後ろからついて行って眺める気はあるから、そういう意味か?
Posted at 2014/05/28 20:53:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2014年05月27日 イイね!

オーストラリア産の三菱マグナで、「日本」を計る試み

オーストラリア産の三菱マグナで、「日本」を計る試み§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

オーストラリアの国内市場で高い評価を受け、人気も赤丸急上昇中のマグナというモデルがある。ミツビシ・モーターズ・オーストラリア Ltd が「生産」するそれは、要するに幅が65ミリほど広い三菱シグマである。

彼の地には、日本の5ナンバー枠の規制なんかないから、何らハンディキャップなく、ワイド化によるメリットだけが生きて来るのだろう。他の(幅の)狭い日本製車、あるいは日本車のKDモデルに較べれば、土地もゆったりと広いことだし、彼らにとってはいいことだらけに違いない。(“外国人サイズ”のデカいシートだって、ゆうゆうと収められるし!)

ついでに言うと、自動車産業急成長中の韓国にも、全幅1700ミリという税制の枠は存在しない。したがって、フリーにクルマを設計でき、現代(ヒョンデ)のポニーの上級車であるステラは、1.8リッター級ながら、日本法規で言えば堂々たる3ナンバーの横幅を持つ。この点においては、日本車に対する大いなる競争力となるだろう。

──てなことから、税制がクルマを“奇形化”させているという類いの論議もあるが、しかし、クルマというのは草創期はともかくとして、そんなに社会的に「自由」であったことは実はない。むしろ、手カセ足カセ(レギュレーションですね)があったからこそ、クルマはここまで発展し得たというのが歴史的事実だし、そのカセの存在が各国ごとのクルマに特有の色合いを与えてきたのも、また事実。

クルマ本来の姿をなんて、よく言われるけど、それを本当に実体として考えたことがあるのだろうか? 「本来」は時代や状況と無意識的にリンクして、その規制内にあり、また「本来」とはしばしば、その語を発する人のごく個人的な嗜好である。

クルマには「本来」はなく、「現在」しかない。

そうであり続けたから、100年以上も生き延びたし、時代(次代)の「現在」という衣装をまとえなかったメーカーは消えていった。クルマの歴史にはちっとも革命がない(唯一例外がロータリー・エンジンか)とワルクチめいて言われることがあるが、1世紀にわたって“現在探し”をやり続けたエネルギーというのも貴重であると、一方で思う。

……でありまして、マグナに試乗しての感想は、税制談義よりも、唐突だが、わが内なる日本人の自覚であったのだ。どういうことかと言うと、このクルマ、豪州カー・オブ・ザ・イヤーであると聞くが、われわれが乗ると、何ともアラが目立つのである。

乗り出してすぐに感じてしまうのが、クルマ全体の何とも言えない締まりの無さ。クルマ組み上げの各部の精度が、各箇所でコンマ数ミリずつ、ズレたりユルんだりしている感じの総合体──と言っちゃうと誤解を招きそうだが、感覚としては、たしかにそれに近い。何てったって、小さな突起に遭遇するたびに、ボディのどこかがギシュッとかいってキシむからね。(サス部分だけで処理してくれない)

それから、各部の仕上げの、悪いというのではないが、デリケートさは皆無だという点も……。そういえば、この「仕上げ」という言葉は、日本車への評言においては死語になりましたなあ! でもマグナには、そういう言葉が出て来ちゃうわけなんですね。

豪州ではこのクルマでいいんだなあということは、日本人はこれじゃあバツだなあということであり、われわれ素人でもそう思ってしまうことが、今度は日本車の水準を作ることになる。また、日本人ってクルマを組むことが巧いんだなあと、実感したりもする。いや、ほんとに! とくにこのクルマは、日本車のノックダウンという意識があるから、なおさらその感が深い。

ただ、クルマにそれほどまでの要求を出すこと、また、そのように感応してしまう「日本人」という在り様が、果たして、シアワセであるのかイジョーであるのかは、はて、どっちなんだろうか? ともかくも、これまた日本人の、クルマに対する日本的「レギュレーション」だ。やっぱりこいつは、クルマを鍛えるのである……。

(1986/04/30)

○単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
ミツビシ・マグナ(86年~  )
◆まずサンプルとして入ってきたのはセダンだったが、その後、大柄ボディを活かしてのワゴンにシフトして、日本市場への食い込みを図っている。こうしたエステート・ワゴンと呼ばれる形状のクルマの方が、5ドアよりは、おそらくこのマーケットでは未来があると思われる。つまり、これ(ワゴン)であれば、もはや“折衷車”ではなく、確固たる意志が感じられる。必要性が見える、要はセコくない、さらにはリッチに見えるから……。こんな理由が、ニッポン市場ではけっこう重要だったりするのです。
Posted at 2014/05/27 09:02:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2014年05月22日 イイね!

【F1】合掌、ジャック・ブラバム

ジャック・ブラバムが亡くなった。88歳ということなので、むしろ見事に天寿を全うしたというべきなのかもしれない。オーストラリアのゴールドコースト、自宅ベッドの上での、静かで穏やかな旅立ちだったという。合掌。

ドライバーとして、またコンストラクターとして、その双方でF1のチャンピオンになったのは、彼だけだったはず。「ヨーロッパ人」という立ち位置でなくても“あの世界”を制覇できる。そのことをレース史に刻んだ南半球の偉大な“レース屋”だった。

コンストラクターとしての「ブラバム・レーシング」は1962年に始まるが、F1のエンジンが新レギュレーションとなった1966年、ジャック・ブラバムは「レプコ・ブラバム」を駆ってチャンピオンになる。なぜ、そのクルマで勝てたのかという話には、いろいろな要素が絡んでいて、ものすごくおもしろい。

それは、たとえば、オーストラリアは南半球にある、季節が北半球とは逆。フォーミュラ・ワンのレースは、一国に一つだけの「GP」とは別に種々行なわれていて、それを「ノンチャンピオンシップ」のフォーミュラ・ワンと称していた。そして、1966年のF1新レギュレーション、などなど。

こうしたいろいろな要素、いわば歴史の“ジグソー・パズル”を最も巧みに組み合わせたチームが1966年のチャンピオンであり、それがジャック・ブラバムと「ブラバム/レプコ」だった……というようなディープな話を私が知ってるわけは、もちろんなくて(笑)これはみんな、レースの歴史家としてその名も高い林信次さんから聞いたことである。彼がその博識を遺憾なく発揮しているトーク記事、『古いレース雑誌を開く愉悦…』の第5回と第6回で、この「レプコ・ブラバム」が採り上げられている。

ちなみに「レプコ」とはオーストラリアのチューナーで、市販オールズモビルのアルミブロックを使って、ブラバムのF1マシンのために仕立てたエンジン。それは出自からして、ピュアなレーシング・エンジンであるBRMやフェラーリやホンダの相手ではないのだが、しかし、レースを決めるのはエンジン・パワーだけではない。

1966年のリザルトでもわかるように、レース(実戦)を走らせると、この非力なエンジンは強かった! なぜかというと、上記の「南半球」その他の“ジグソー”が……ということになって、やっぱりちょっと要約不可能。ともかく、66年と67年は、F1界を「南半球」というカウンター・カルチャーが席巻した年。そして、そのプロデューサー兼主演俳優であったのがジャック・ブラバムだった。グッジョブ・レプコ! そして、もう一度。さようなら、ジャック・ブラバム……。
Posted at 2014/05/22 13:46:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2014年05月22日 イイね!

欧州の地に道を求めて。マツダ626の後ろ姿が愛しい

欧州の地に道を求めて。マツダ626の後ろ姿が愛しい§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

その実験課のスタッフは、ヨーロッパの各所で、路面に糸を張りわたし、道の起伏の度合いを計りつづけたという。幾度かの誰何と、不審者を見る視線にもめげずに。

また、石を敷き詰めた舗装、いわゆるベルジャン・ロード用の石を探しまわり、ようやく、彼の地で不要になっている材料を見つけて、数千個持ち帰ったという。ついでに、昨今では純粋ベルジャン路は減っており、その上にアスファルトを流すことが多いが、それが剥げかけ始めている事実も重視。そのミックスの度合いも注視してきたとの由。

これ皆すべて、ヨーロッパの人とクルマはどのようなアンジュレーションとサーフェスの上を駆けているかを知るため。そして、そのような道路を、自社のテストコースにおいて再現せんがためである。

道はできたか? できた、広島の三次(みよし)に、それはある。マツダのテストコースである。そこにはちゃんと、アスファルトが剥げたベルジャン・ロードさえあった! 

──発想として、あまりにも箱庭的、盆栽的だろうか。そうかもしれない。しかし「熱意」の具現ではある。涙ぐましいとも思う。

西独で最も人気のある外国車として、マツダ626が選ばれたことは、このようなメーカーにとって、おそらくこの上ない喜びであろう。626、すなわちカペラに改めて試乗した。仕様こそ少し違うが、日本人としてカペラを評価してみる。

果たして、これはあまりにも生硬なクルマであった。無表情に過ぎた。おそらく、ハード主義的に西ドイツ車を追究してツメすぎたのだと思われる。本物の西ドイツ車だって、こんなに無味乾燥とはしていない。

ゲルマン人は機械作りに長けてもいるが、同時にベートーベンやルートヴィヒ、果てはヒトラーという存在すら生んだ民族である。クルマでいえば、ポルシェは、いわば狂気の商品化である。メーカーにとっての西ドイツ車の研究は、そろそろ、このへんまでも突っ込む必要性が出て来たのではないか。

事実、RX-7は低中速での旋回における微妙な挙動というのを、ポルシェの暴力性に抗して盛り込んだスポーツカーになっている。このように『日本』をカウンターにするか、それとも、より深く『ゲルマン』に入り込むか……。

サーフェスからインナーへ。

“箱庭的研究”を責める気はまったくないが、いま求められつつあるのは、ここまでの研究と踏み込みであろう。「ヨーロッパ」というのは、おそらく、そのくらいまでしたたかなのだ。けっこう、深いのだ。

そして、これはべつにマツダに限ったことではないのだが、日本のクルマというのは、あまりにも「理科系」的にのみ、作られているのではないだろうか。エンジニアリングという語に囚われすぎてはいないだろうか。

「文科系」という異分子の、クルマ作りへの導入。このようなミクスチュアとシェイクが、これからの日本のクルマを大きく動かし、そして展望を開いてゆく。このように思えてならない。

次期カペラ──いや、マツダ626が持つべきテーマは、おそらくこれだ。

(1986/04/23)

○単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
カペラ(82年9月~87年5月)
◆トヨタはセルシオのためにコース(道)を作ったというが、いわば密室としてのテストコースでひたすらクルマをツメる。一方で、未発表車を割りと気軽に路上に持ち出し、人目も構わず、じっくりとセットアップする。日・欧のクルマ作りの差異はこのへんにもあるが、これは「スクープ!」に飛びつく習性と、「あれが次期の△△か」で済ますマーケットとの違いでもあると思う。情報過敏症なのだ、われわれは。80年代後半、日本車も海外では路上テストを、ニューモデル熟成の手だてに使うようにはなってきたが……。
Posted at 2014/05/22 08:40:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2014年05月20日 イイね!

スポーツcolumn 【ゴルフ】イ・ボミのプロフェッショナリズム

アマチュア旋風が吹き荒れる今季の女子ゴルフと、メディアが囃す。実際に、15歳の高校生・勝みなみは4月のトーナメントで優勝した。その時の(アマに敗れた)2位がイ・ボミで、5月18日の最終日・最終組、彼女は二日目まで首位のアマチュア、柏原明日架選手と同組で回ることになる。メディアは格好の物語を見つけ、さっそく、プロとして負けられない、リベンジ! プロ vs アマ、プロの意地は……などと書き立てた。

しかし当のイ・ボミは、まったく別のことを考えていたようだ。LPGA(日本女子プロゴルフ協会)の web 記事によれば、二日目終了後、ボミはまず「すごいですね、自分も参考にしたい」と首位のアマ選手をリスペクトした後、次のように言ったという。

「アマチュアは全部攻撃的にいけます。プロはセーフティーにいくところと攻撃的にいくところを使い分けています」

これは凄い! 要するに、プロとアマでは「やってるゴルフ」が違うってことですね。ゲーム(試合)の精神というかプレーヤーの意識というか、それが根本の部分で異なっている。ゆえに、そもそも“違うこと”をしているのだから、アマチュア選手はイ・ボミにとっては勝負の対象ではない。

勝利した試合でのアマチュア・勝みなみ選手のゴルフは、パッティングの「強さ」が特徴的だったという。「すべて、ラインを消して打っている」と、観戦していたある女子プロは驚愕した。曲がる前に、入れてしまえ! こういうゴルフは、いったんハマれば爆発的なスコアになる。そのようにして勝みなみは(リザルトでは)イ・ボミを上回った。

敗れたこの時にイ・ボミは、「2位でも(このトーナメントは)いっぱい賞金もらえますから」と微笑んだと報じられている。賞金稼ぎこそがプロなんだと解釈もできるが、それ以上に、私たち(プロ)には(アマと違う)私たちのゴルフがあると言いたかったのだろう。

18日のサンデー・バックナイン。その出足の10番ホールで、イ・ボミは、おそらくセーフティに行こうとしたことが裏目と出て、ティーショットでOBする。この時、「よし、ここはボギーで上がる!」と彼女は決めたという。そしてその通りに、1打だけのダメージでこのホールを終えると、以後は“攻め”に転じた。18番を終えた時には、2位に4打差、圧勝だった。

“スマイル・キャンディ”は優勝スピーチで、博多のギャラリーに「元気しとっと? 頑張ったとよ!」と博多弁で挨拶した。「日本語って、関西弁とか博多弁とかあってオモシロイですよね」(LPGAwebより)。彼女のプロフェッショナリズムには、こんなサービス精神も含まれる。

ただ、韓国語でインタビューすれば、もっと「細部」についてのコメントを聞けるのではないか。LPGAには、韓国プロは日本語ができるから……という現状判断があるのだろうが、しかし、欧米人ゴルファーには英語で聞くのと同じように、韓国人選手にも韓国語通訳を介すということを時にはやってほしいと思う。
Posted at 2014/05/20 08:01:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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