• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

家村浩明のブログ一覧

2014年09月29日 イイね!

飽和状態か、3ドア・ハッチバック。ミラージュの試みを解剖する

飽和状態か、3ドア・ハッチバック。ミラージュの試みを解剖する§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

3ドア・ハッチバックを、いま作るということは、ずいぶんと困難であるようだ。何かよっぽどのことをしないとダメだ……このような一種の悲壮な決意、あるいは絶望感さえ、作り手の側にはあるかのようである。……というより、80年代後半、2ボックス3ドアは「混迷の時代」に入ったのだろう。

「トヨタのファミリア、ください」というのは、当時、カローラⅡを買いに来た客の台詞だったそうだが、そして今日でも2ボックス車はそれなりに売れているのだが、往時のような──つまり、80年代前半の勢いはもう望めない。時勢は「ファミリア」より「マークⅡ」なのであり、数量的にさえ、市場の主役が後者に奪われつつある。

じゃあ、後ろ(トランク)のないような格好のクルマを作るのはやめてしまおうか……というわけには、やっぱりいかない。とりあえず、他社は作り続けてるし、やめちまったというメーカーはない。海外市場のこともあるし、国内でも、入門車としてとか、お買い物用“スーパー・カー”(スーパー・マーケット用のクルマ)とか、その軽量を活かしてのスポーティ感覚いっぱいゲンキぐるまとか、これらを中心にした需要がある。……いや、「あるはずだ」ということにしようと、これが今日であろうと思う。

注意したいのは、ハッチバックはマルチパーパスであり、高度に実用的なクルマだとは、この国では誰も思ってないということ。いやヨーロッパ人の一部だって、いまや、そうだと思う。そのうちの超・過激派がジャン・トッドで、2ボックスこそ運動性において最適の素材なり! リヤシートのところにエンジンを置けば至上のラリー車になる……と、あのプジョー205から、常勝を誇った「ターボ16」というウイニング・ラリーマシンを作ったのは彼だった。

……と、ちょっと話が逸れてるが、そのような「混迷」に対する回答の例として、今回のミラージュを見ると、これはけっこうアタリと言えないこともないのだ。

4ドア(セダン系)のミラージュもいずれ登場するはずだが、こと3ドアにおいては、(1)女性訴求車、(2)主にワカモノ向きレジャー・ビークル、(3)スポーティ車、(4)ハイパワー・スポーツ車、以上の四種のみを作る。さらに、それぞれにネーミングして、“独立感覚”を出す。さらには、乗り味も四種類にする(事実、そうである)。

多様化、多品種化というニーズにもミートしていようし、愛称を付けるというのも今日風かもしれぬ。(筆者は、自分のクルマに“カブちゃん”という名を付けた女性の例を知っている。彼女の所有者はシティ・カブリオレである)

しかし、たとえばこの四種の新型ミラージュを目の前にして生ずる、ある種の疲労感は何なのだろう……? それは、あまりに正論であることを声高に主張された時に起こる反発の一種か。あるいは、広告屋のナマのまんまのマーケティングが、そのままクルマのかたちになっていることへの眩しさか。あるいは、メーカーはここまでやっちゃあいけないんだという、受け手としての「ようやるワァ……」という萎えか。

もしかしたらミラージュは、「混迷」に対して「混迷中」という答を出しただけで、何らの新回答を出していない。つまりは、模索そのものを目の前にすることへの苛立ちなのかもしれないが。

ミラージュの「意欲」は、87~88年はともかく、果たして90年代を突破できるか。そして、4ドア版としてはどのようなセダンが出て来るのか。併せて、注目したい。

(1987/11/17)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
ミラージュ3ドア(87年10月~  )
◆3ドア車を実用性から解放し、それもスタイリッシュにしてやろう! ここまではいい。他品種化もいい、ルーフが低くても、それもいい。ただ、ミラージュで解せないのは、フロント・ウインドーの寝方と、スラントしてないノーズ/グリルとの不協和である。ヌルッと丸っこいカタチにしたいのか、前屈した感じにしたいのか。マス(かたまり)としての主張が読めない。三面図で見た印象がすべてバラバラというのは理解に苦しむ。「混迷中」と思わせる因は、ここにもある。

○2014年のための注釈的メモ
……というような時期を経て90年代に突入した「2ボックス車」は、日本市場では強力なニューカマーの攻勢にさらされることになる。1993年秋にワゴンRが出現して以後、その種のハイト系ワゴンが、この国では入門車としての位置を獲得したのだ。ただし車型としての2ボックスは、軽量であること、また欧州での確固たる地歩などから、2000年代以降もしっかり生き残った。今日の日本市場でも、たとえばスズキのプロダクトで見るなら、ワゴンRとスイフトが共存するという現実がある。リアルなベーシック車として、2ボックス型はこれからも消えることはなさそうだ。(クロスオーバー・コンセプトと組み合わせれば、可能性は無限でもある)
Posted at 2014/09/29 07:38:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2014年09月27日 イイね!

やり残したか?VWポロ

やり残したか?VWポロ「画竜点睛を欠く」とは、辞書などによれば、竜の絵を描く時にその「目」を描き忘れた故事に発する言葉であるらしい。つまり、何か決定的な部分、この場合は竜の目だが、それが(はじめから)抜けていた。クルマのデザインなら、フロントグリルやヘッドライト周りといった部分が「点睛」であるのかもしれない。(ちなみに「画竜」は「がりょう」と読むそうで、ウーン、なかなか、日暮れて道遠しであります……)

さて、そうであれば、これから書くような“些細なこと”にこの諺を持ち出すのは、ややハズレかもしれないのだが、ともかくVWポロである。そして、そのサイドミラーである。

* 

ポロが5年ぶりのビッグ・マイナーチェンジ(インポーターの言)で、1.2リッター+ターボの新エンジンによって、ダウンサイジングと強化を同時に行なった。さらに、ミリ波レーダー搭載などで安全対策を充実させ、「TSIコンフォートライン」とその「グレードアップ・パッケージ」の2仕様で登場した。このグレードはポロのベーシック仕様であり、今後、クロスポロやGTなどの車種展開も予定(公表)されている。

このニュー・ポロに、好天に恵まれた郊外の避暑地、周辺に山岳ワインディング路も含むという環境で試乗した。走り出して、程なく見えてきたのは、新エンジンがスムーズで、かつトルクがフラットで扱いやすいこと。特定回転付近での余計なトルクの盛り上がりもないので、「モア・パワー!」と思った時には、いつでも安心してアクセルを踏める。

そんなことを確認しつつ山岳路に入ると、そのエンジンがもたらす速さをものともせず、余裕の足まわりで、連続するコーナーを安定して駆け抜けた。軽快にして快適。密度の高いその「走り」(速さ)には、思わず、感銘という言葉を与えたくなったほど。

しかしワインディング路を降りて、前車に追随して走るようなトラフィックの状況になった時、あることに気づいた。どうも視界の右側あたりに“うっとうしさ”がある。それが何なのか、始めはわからなかったが、右のサイドウインドーに注目して、ようやく理由がわかった。

* 

前述のようにその日は好天で、陽光が遠慮なく初秋の避暑地に降り注いでいた。その光を受けて照らし出された室内の各部品が、左右のウインドーにたっぷりと映っていたのだ。つまり、室内の様子がそのまま窓に「映り込む」という状況。さらに、窓に映り込んだその“景色”のうち、ちょうどサイドミラーの鏡面部分に「光るもの」がある。

矩形に光っているそれは、エアアウトレットの周辺を飾るトリミングだった。ポロのインテリアは、エア吹き出し口が“光るパーツ”(アルミか)で囲まれている。それが陽光で反射してサイド・ウインドーに映り、その映った位置がサイドミラーの鏡面部分だったのだ。

……まあ、長身のヨーロッパ人が乗ればこういうことはなくて、すべては、当方の脚が短い体型(笑)のせいなのかもしれない。また、背もたれを立て気味にしてドライビング・ポジションをセットすることも関係があるかもしれない。ただ、そうであっても、サイドミラー鏡面と「余計な光りもの」が重なっていて、視界が煩わしいのは事実。そして、いったんこれに気づくと、もう、ずっと気になってしまう。この時に、「画竜点睛を……」というフレーズを思い出していたのだった。

それまでずっと、このクルマが「優等生」であったので、このネガティブ・ポイントの印象度は高まる。そして、こんなことも思った。何で、これが放置されている? テスト走行で、VWのドライバーは、左右の窓は見ないのか? (アジア人とは異なるポジションで運転するから、ノー・プロブレムだったのか?)

このモデルが、サイズから言えばけっこう高価というか、安価ではない(基準車で223.9万円)ことは、試乗前のプレゼンテーションで知っていた。またポロは、「ハイ・スタンダード・コンパクト」というポジションにあるともいう。そこから、エアの吹き出し口は、並みのコンパクトのように簡素であってはならないと、“光りもの”で武装したのだろうか? そうだとすれば、これは余計で不要なオシャレであろう。付け睫毛じゃなくスッピンで……とは、ちょっと違うハナシになりそうだが。

* 

もうひとつ、郊外の一般路を流していると、シートも気になってきた。「硬さ」はVWの持ち味で、それはいいとして、このポロのシートは、座ってみて、どうも“ポイント・レス”な形状に思える。もちろん、日常使用を大事にしたクルマで、あまりにもビタッとピンポイントで座らせる(スポーティに過ぎる)シートは困る。だからと言って、どこに身体(ヒップ)を収めるべきかがはっきりしないシートもまた、気持ちのいいものではない。

こんなモードでクルマを降りてドアを閉めた時、耳に入ってきたのが「ベシッ」という「閉まり音」だった。この音質は“ハイ・スタンダード”とは言えまい。やり残したか、VWポロ? 「映り込み」とともに、これもまた、ちょっと気になるポイントではある。
Posted at 2014/09/27 22:46:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | New Car ジャーナル | 日記
2014年09月25日 イイね!

ペダルの踏み間違いで、もうひと言…

クルマが停止するとエンジンが止まる。いわゆるアイドリング・ストップのクルマが増えてきましたが、そうした最新仕様のモデルを実際にお使いになっていて、カタログに書いてあったようにエンジンが止まることもあるけど、(あれ、止まらないこともあるな?)……といった経験をされたことはないでしょうか?

このシステムも、いま各社が研究中でして、どういう「条件」であれば、クルマが止まった時にエンジンも止めるか。この設定と作動は、各社で微妙に違っています。ブレーキペダルを、ある一定以上のチカラで踏まないと(ペダルに大きな「入力」をしないと)エンジンは止めない。こういう制御を入れているクルマもありますし、一方で、クルマがある速度以下になったら、それはもうエンジンは止めようね……と、いわば割り切った仕様と制御にしているメーカーもあります。

これとも通じますが、アクセルとブレーキの「踏み間違い」による事故に対応する各社の対策も、あくまで、ある条件下でアクセルが「不当に」踏まれているなら、その場合は、ドライバーのその動作(入力)を無力化するということ。……そうですよね、仮にいつも、アクセルを踏んでもエンジン回転が上がらないなら、クルマとして役には立ちませんから。

その「条件」とは、この場合、ブレーキのつもりで、ドライバーがアクセル・ペダルを「ベタッ」と踏んでいる。しかしクルマが止まる気配がないので、さらに踏み続けている……です。それに対して、そうした状況を検知したら、エンジンが上まで回らないようにハードウェア的な制御を行なう。

しかし一方、見方を変えれば、これはある条件下以外では作動しないということです。そして、その「条件」とは、アクセルを(ブレーキと間違えて、ブレーキと信じて)ベタッと床まで踏んでいる。したがって、ゆ~っくり、そしてジワーッとアクセルを踏んでいると、多くの場合、その「制御」は働きません。

これは体験談ですが、このシステムを搭載した試乗車で、テスト用に設定された障害物と、その手前に置かれたクルマ留めに向かって、アクセルを踏んでいったら、何と、クルマ留めを乗り越えてしまったことがありました。

もちろん、ジワッと、そしていつでもキャンセルする前提でペダルを踏んでいましたから、乗り越えたといっても飛び越えてしまったわけではなく、よっこらしょという感じでクルマ留めを越えただけでしたが、ともかく、せっかくの「安全対策」は、この場合作動しませんでした。まあ、開発スタッフには注意されましたけどね、「あ、もっとベタッと踏んでください」と。

そういえば、前方の障害物を検知して、自動的にブレーキングするという新型車で、ディーラーでの試乗会でユーザーがテスト走行したら、クルマが停止しなかったという事故がありました。この場合は、進入速度が速すぎた──つまり、そのクルマの自動ブレーキが作動する速度域は、時速※※キロ以下と限定されていたのに、それ以上の速度でテスト走行をしてしまった……ということだったようです。

この例でもおわかりのように、メーカーが設定した種々の対策とは、ほとんどの場合、「ある条件下で」という“シバリ”が付いています。したがって、安全対策バッチリの新型車を購入した、もう安心だ……ではなく、そのクルマが持っている能力というか、どういう時にどういうサポートをしてくれるのかということについては、しっかり把握しておく必要があります。

「ペダルの踏み間違い」に話を戻せば、あくまでもジワーッと、そして、いつでもキャンセルするという前提でペダルを踏んでいれば(「入力」していれば)、クルマが暴走してしまうことはおそらくない。また、そういうドライバーにとっては、いまメーカーが行なっているような「踏み違い対策」も、実は必要がないことだった。そういうことは言えるのかもしれません。

しかし、パニックとは、いつどこで、そして誰を襲うか、わからないものであるはず。クルマを運転している間だけは、自分自身と、そして周辺の状況を観察するようにしたいですね。
Posted at 2014/09/25 11:29:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 茶房SD談話室 | 日記
2014年09月23日 イイね!

もう欧州に「青い鳥」は探さない。発見、挙動の快!──ブルーバード

もう欧州に「青い鳥」は探さない。発見、挙動の快!──ブルーバード§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

難がない……ではなくて、いわば積極的に、走ること・曲がることが気持ちのよいクルマ。サスペンションが魅力的なクルマとは、そういう存在である。

それは直感的にわかり、なお、走るたび、曲がるたびにわかる。つまり絶えざる悦びであり、気持ちのいい“瞬時”が連続する。そういうクルマに出会うと、ぼくらは端的に「いいクルマだなあ!」と思い、走ることをやめたくなく、コーナーをこそ待ち望む。

ただし、これは単にコーナリングの限界性能が高いということを意味しない。絶対的な限界比べであれば、たとえばレーシング・サスペンションとスリックに近いタイヤの組み合わせこそ最上ということになろうが、これはカミソリの鋭さであり、限界以上ではおそらくパッキンと折れるだけでなく、取り扱い上でも普段に要注意であるシャープさである。それは、快さを含む疲労感ではあっても、日常的に抱え込めるような快感ではない。

だから、たとえば限界性能でいうなら、それは穏やかに乗り手に知らしめてくれた方がよく、唐突さ、激しさは、ぼくらの望むものではない。いまのはちょっと攻めすぎた……となれば、次のコーナーは少しだけ緩めればいいし、あるいは、そのわかりやすい軽度のドリフト振りをもう一度楽しむ手もあるのだ。

思えば、「足まわり」とは素晴らしい日本語である。以上のようなことは、そういえば単にサスペンションだけでなく、ブレーキやステアリングのフィール、バランスなども含んだ総合性能であった。そのような「足」の良さに、さらにシートまでも含んで、いい走りをするクルマというのはあり、足のいいクルマは気持ちいいと、身体の深い部分で実感するのだ。

いくつかの優れたヨーロッパ車は、しばしば、このような評言を受け、その挙動そのものの魅力でファンを得てきた。

欧州メーカーは《何か》をわかっており、日本メーカーはそのサムシングに到達しない……。このような説も可能だった。とくにシートの良否までも評価基準に入れた場合には、欧州車の総合フィーリングにおける高得点には、日本車はたしかに及ばなかった──エンジンだけ、またシャシーだけなら、欧州車に勝っていると言えるクルマはあっても。

それは、ひょっとしたら、求めつつも手に入らないという意味で、われわれにとっての“青い鳥”であり続けるのではないか……!? そんな悲観論すらも、けっこうリアルであったと、ぼくは思う。

新しいニッサン・ブルーバードが“青い鳥”という名を持っていることは、不思議な偶然である。同車はついに、その“青い鳥”を手に入れた。われわれもまた、その名を持つクルマによって、冒頭に述べたような走りの魅力を獲得できることになった。

おそらく、いくつかの欧州車を走り込んだ結果の(データ化できない)体感をもって最重要なセンサーと成し、そのセンサーからの数値ではない報告を、あくまで目標を高度なところに置きつつ、集約してまとめる。その際に、シートの持つ重要性を決して軽視しない。このようにして創り上げたと思われる足まわりの良さが、新しいブルーバードには体現されている。快挙である。

とりわけ、「エルゴノミック・シート」と名付けられた大型のシートは“独仏混血”の美女とでもいうべき出来であり、ぜひとも搭載車種を拡大すべきスグレモノである。「ノン・スポーティ感覚」(広報資料)なんて言わず、SSS系にもあっていいと思う。フラットな形状に見えて、サイド方向のサポートも悪くないからだ。決して、ハードな走りには不適なシートなんかではない。

センターデフにビスカス・カップリングを組み合わせた「アテーサ」という名の4WDシステムがクローズアップされそうだが、ブルーバードは、そのような“新機構趣味”のクルマというより、クルマの下側の見えない部分に感心すべき点の多いニューモデルである。極めてよく「曲がる」4WDの出現もたしかにニュースだが、走りそのものの魅力は2WD=FFのブルーバードにこそ、たっぷりと詰め込まれている。

このクルマは、とくに欧州車好きの方に試乗を奨めたい。日本車でクルマは十分だという向きも、われわれが得た新たな走りの水準を体感してほしい。

青い鳥は、いたのだ。

(1987/10/27)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
ブルーバード(87年9月~  )
◆ニッサンの“青い鳥”は同社だけでなく、この国の乗用車の「走り」の水準を確実に上げた。その契機となった現行スカイラインをまとめる際に、「テストドライバーの声は神の声と思え」という合意があったといわれているが、そのような人間の感覚を重視したクルマ作りへの自信を生んだのも、ブルーバードの成果の良き遺産であろう。いま乗ると、ボディが(西独的でなくて)少々ヤワであり、また日本車としては静粛性も高くないことにも気づくが、その走りと挙動は、やっぱり高く評価したいと思う。
Posted at 2014/09/23 12:31:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2014年09月21日 イイね!

ペダルの踏み間違いを考える その2

ペダル踏み間違い事故の原因のひとつは、どうやらパニック? そこから、パニックにならないように、それなりの対策をしてみる。そんな中身だった前回につづいて、この種の事故を起こさないため、ともかく「入力」をジワッと行なうようにしたらどうかと提案するのが今回です。

この「入力」には、ちょっと説明が要るかもしれません。えーっと、クルマを「動かす」ためにドライバーができることは、実は三つだけ。ステアリング(ハンドル)を操作する、アクセルペダルをオンに、そして、ブレーキペダルを踏む。運転とは、いろいろ面倒なことをいっぱいすることと感じておられるかもしれませんが、まとめてみれば、この三つです。ここではそれらを、クルマへの「入力」と呼ぶことにします。

コンピュータ系の場合は、キーボードとマウスが「入力」のためのギアですよね。……あ、最近は“タッチパネル”という「入力」もあるか。ともかくコンピュータ関連では、「入力」という言い方はお馴染みかと思います。クルマの運転も、この「入力」というキーワードから見ていくと、案外わかりやすくなるかもしれません。

ただクルマの運転には、全方向から入ってくる情報を認知したり判断したり……という“ジョブ”が加わります。それはたしかに厄介ですが、でも情報を得て判断した後に、ドライバーができることは上記の三つだけなのです。

ここから、この三つの「入力」のすべてを「ジワッと行なう」ようにする。どういう運転をするべきかとか考え始めると“ぼやける”ので、この一点のみ。また、こうすることによる不都合やデメリットは、何もありません。こうすると、何よりクルマの動きの全体が滑らかになり、同乗者にも喜ばれる。アクセルペダルをジワッと操作すれば、燃費の向上も期待できます。

……あ、付け加えますが、この「ジワッと」とは、操作をエンエンとゆっくりやれ、ということではありません。要するに、いきなり大きな「入力」はしない。ステアリングにしてもアクセルにしても、ジワッと動かし始めますが、その時に必要な分は確実かつ十分に操作します。

こうしてジワッと操作すると、できることも見えて来ます。こういう「入力」の仕方であれば、場合によってはキャンセルできる。何かの「入力」をした → あれ、これは何かヤバいか? 一瞬でもこう感じたら、すぐに「入力」を止めます。キャンセルや緊急避難を前提としつつ、クルマには「入力」したい。この「ジワッと主義」なら、それが可能になります。

そして、もうひと気づいたこと。それは、ペダル踏み間違え事故の多くは、コンビニ前とか駐車場とか、そうした低速走行時に起きている。その場合、事故が起きる直前、そのクルマはどうやって動いていたのか? これはおそらく「クリープ現象」によってです。

そこから、クルマを動かす際の「右足」に注目します。たとえば右足でアクセルペダルを踏んでいて、そこからブレーキペダルに踏み換えた。こういう場合は、たぶん確実にブレーキを踏めます。一般路や高速道路では、アクセルを踏んでいないとクルマは進みません。そうやって進んでいて、必要があってブレーキングしたという「踏み替え」操作なら、おそらくトラブルは生じてない。

問題は、右足がどっちのペダルも踏んでいないという状態から、「さあ!」という感じで、右足を振り下ろした時ではないでしょうか。そのケースで、たまたま右足の下にあったのが、その時には踏んではいけないはずのアクセルだった! そこで「えっ!?」とパニック状態になり、「何で止まらないの?」と、さらに強く踏み込んで……。



さて、以上を踏まえて、ひとつ提案です。それは「右足」に、いつも何かしらの動作をさせておくこと。操作として“空白”の状態からペダルを踏みにいくから、(あれ、どっちだったかな?)ということになる。そうならないように、右足の操作をあらかじめ確立してしまうのです。

具体的には、右足の置き場所、つまりカカトとフロアが触れる位置を決めます。右足はいつもここに置くのだという決定ですね。それは、そのまままっすぐにペダルを踏めばブレーキングになる位置がいいと思います。そして、カカトの位置はそのままに、右足つまさきだけを「12時」から「14時」くらいの方向に動かすと、アクセルペダルを踏む態勢になります。

こうして右足の場所を固定すると、右足にとっての“空白”状態が基本的になくなりますよね。固定された右足は、もう、どっちかしかできません。「12時」か「14時」か、ブレーキングかアクセル・オンか。

「右足カカト」の位置が決まったら、ついでに、マッスル(筋肉)にもこれを記憶させます。右足の筋肉やら神経やら、それらをまとめて「感覚」ということですが、その感覚に、ブレーキングするためにペダルを踏む場合は右足はこんな感じだ……と記憶させる。そこから、「14時」のポジションに右足つまさきを持っていったらアクセル・オンである。この感覚も一緒に憶えさせます。

そしてクルマで(さあ、走るぞ!)という時には、この「14時の記憶」をよみがえらせます。クルマを(止めるよ)という際も同様で、右足のマッスルが「12時」で憶えたのと同じように動くなら、作動は正しいわけです。そうなれば、安心してブレーキングができますね。ATの「クリープ」でクルマを動かそうという場合は、右足は「12時」のかたちでペダルは踏み込まない“入力なし”状態。これで静々とクルマを動かせばいいと思います。

こうしてクルマが動いている時に、右足の感覚だけでなく、クルマ全体の動きが想定(イメージ)通りであるかどうかを観察すれば、さらにベターです。また、この段階でもう一度、すべての「入力」は「ジワッと」であることも思い出します。

たとえて言うと、ドアはノックしてから開ける。いきなり全開にはしない。このノックにあたるのが「ジワッと」で、ノックして何か反応がおかしかったら、ドアは開けずに、その「入力」はいったんキャンセルします。

……とまあ、こんなことを思いながら運転すれば、ペダルの踏み間違いによる事故やパニックからは何とか逃れられるのではないか。ひとりのドライバーという立場から、現時点ではこんな風に考えています。

(了)
Posted at 2014/09/21 18:16:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 茶房SD談話室 | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2014/9 >>

  12 34 56
789 1011 1213
1415 16171819 20
2122 2324 2526 27
28 2930    

愛車一覧

スバル R1 スバル R1
スバル R1に乗っています。デビュー時から、これは21世紀の“テントウムシ”だと思ってい ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation