
~ 映画『マドモアゼル』その凄絶と静寂
そして、先刻から「彼女」「女教師」「マドモアゼル」などと書いているのには理由がある。この映画では、彼女の名前が明かされることがついにないのだ。映画のヒロインが名前(役名)を持たないのは、『七年目の浮気』のマリリン・モンローと『猟奇的な彼女』のチョン・ジヒョンだけだと思っていたが(私が知った)三人目がこの映画だった。
彼女が演じる女教師は、村人から、ただ「マドモアゼル」とだけ呼ばれる。英語でミセスに対比しての「ミス」に当たるこの言葉には、未婚という意味が含まれる。そして映画には、以下のようなシーンがある。
──学校の教室に女教師がいて、ひとり教壇に座っている。教室には、生徒はいない。この日、学校は休みなのかもしれない。ふと立ち上がって、窓から外を見る女教師。その時、村人の夫婦と目が合い、互いに会釈。そして、女教師は窓から離れる。
教室の外では、既に中年を越えた年齢の夫婦が、歩きながら、次のような会話をする。
妻「かわいそうな娘だね」
夫「なぜだ」
妻「わかってるくせに」
雨が落ちて来たらしく、二人は傘をさす。
夫「純潔は美徳でもある」
妻「苦悩にもなり得るわ」
夫「すべては、神のご意志だ」
妻「あなたがそう言えるのは、私がいるからよ」
この後、学校から自室に戻った女教師はカーテンを閉める。そしてハイヒールを取り出し、それを小さなテーブルの上(!)に置いて、ひとり、髪をいじりはじめる……。
この女教師は、名前だけでなく、年齢も明らかにされない。ただ、若い女に見えないことだけはたしかであり、仮に女優の実年齢をここで持ち出せば、1966年時点でのジャンヌ・モローは38歳だった。
さて、“光る靴”である。この女(マドモアゼル)の自室にある粗末なクロゼットには、高いヒールのある靴が数足収められていた。そしてその中には、輝くエナメル素材のものもあった。ピカピカに光るハイヒールが、こんな鄙びた村の暮らしに要るのか? そう、彼女には必要なものだった。「ヒールの靴」、「黒いメッシュの長い手袋」、そして「化粧」。彼女がこの三点を揃えた時、この村では事件が起きた。洪水、火事、そして、家畜の死……。
前述の、小さなクーペに乗った獣医がこの村に来たのは、この家畜の死という事件の時だった。村の警官は、砒素ならすべての農家にあると、その獣医に言った。しかし獣医は、今回、家畜の致死に使われた砒素は、そういう農作業用とは違う種類のものだと告げる。
一方でこの時期、村には来訪者があった。村はずれの森に「木こり」として出稼ぎに来ていたイタリア人の男二人である。そのうちの一人、体格のいい方の男には息子がいた。その男は、村で事件が起きるたびに、溢れた水をかき分けて家畜を救出したり、あるいは、燃えさかる火の中に飛び込んで家具を持ち出したりという活躍を見せる。
そのように立ち働く大柄なイタリア人は、しばしば服を脱ぎ、人々の前に逞しい上半身を曝した。そんな男を見る、村の女たち。そして、女教師の“マドモアゼル”もまた、気づかれないようにしながらも、事件のたびに動き回るその大柄な男に密かな視線を送っていた。
そして村では、たび重なる事件と手がかりの無さに、ついに男たちが焦れはじめる。とくに、大切な家畜の死(家畜が飲む水に砒素が入っていた)で、その怒りは頂点に達した。こういう場合には、さしたる根拠なく「外国人」が疑われるのが世の常だが、この時のこの村ではもうひとつ、ほかの理由もあった。それは大柄なイタリア人に、人妻も含む、村の多くの女たちが魅せられていたこと。それだけでなく、実際に行動を起こす女もいたのだ。
イタリア人の大柄な男をめぐって、村の女たちにそういう動きがあることは“マドモアゼル”も知っていた。そしてある日、彼女は、ついに自分を動かす。モノクロ映画なので色はわからないが、明るい色の薄物ワンピースを身につけた彼女は、木こりが働いている森に向かった。そして、次のようなことが起こる──。
(つづく)
Posted at 2014/11/01 16:11:24 | |
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クルマから映画を見る | 日記