2014年12月01日
~『最速GT-R物語』 史上最強のハコを作った男たち(双葉社・1996年)より
実験部の「評価ドライバー」。社内の仕事上の役職名では、ひとくくりでこうなっているが、R33スカイラインの主管・渡邉衡三は“ヒロヨシ”こと加藤博義を、この評価ドライバーという語で呼ぶことを好まない。渡邉は言う、「彼は『開発ドライバー』です。乗って、実際にクルマを作っていける、そういうドライバー。だから(R32につづいて今回も)ヒロヨシがほしかった」。
もっとも当の加藤は、実験部という立場は、あくまでも与えられた材料で、どれだけ旨い「料理」を作るかだけだと、抑えた言い方をする。自身の仕事を正確に説明しようとすれば、そのように言うしかないのだろうし、シャイな彼の性格もあるかもしれない。
ただ、加藤の「料理」発言は、クルマ作りで実験部の果たす役割についての一般論であり、ことGT-Rにおいては、彼は単なる調理人ではなかった。とりわけ今回のR33GT-Rでは、なかなか旨い料理ができないとわかるや、その料理人としての職域を大きく超えることになる。
ただし、この加藤は「べき」がないドライバーだという。クルマはこうあるべしといった「べき」である。加藤は、ここを直せばこうなるということがわかるドライバーで、その意味で「作る」能力もあるのだが、実は徹底した実務派タイプなのだ。
だから加藤は、「どうしたいの、どういうクルマにしたいの。ここ、こうしたら、こうなるけど? ……そういう風には言いますけど、たとえば、あなたにとっての理想のFRはとか言われても、そういうのないなあ(笑)」と言うのだ。そばから、僚友の川上が付け加える。「だって、自分用にコロがしてるクルマなんて、ローレルのディーゼルですからね」
このR33GT-Rの開発に、主管の渡邉衡三は、この加藤のほかに、もうひとり評価ドライバーを設定していた。その神山幸雄は、スカイラインのプロジェクトには属していない。神山は外部に置いておき、そこから、シニア・エクセレント・ドライバーとしての中立的な評価を折りに触れてしてもらう。こういう渡邉の作戦であった。
そしてこの神山は、逆に「べき」で来るドライバーなのだという。こういう旨いものが食べたい(こういう走りをしたい)という“グルメ”なのが神山で、加藤は、「目の前に素材があって、初めて物事は始まるというタイプ。そういう意味では、まったくグルメじゃない(笑)」。
そういう加藤が、プロトタイプのR33GT-Rに対して、「30点」というこれ以下はないような辛い点を付けた。このきびしい採点の理由のひとつは、かつて自身がテストドライバーとして作り上げたR32GT-Rを、その基準としたからである。
加藤はR32GT-R関連の仕事をやり終えて以後、少しの間だが、スカイラインのプロジェクトから離れていた。R33のGT-Rで、ふたたび呼び戻されてスタッフに加わったが、それだけに新型への期待値も高かったのだ。あれから時間も経っているし、新しいデバイスも加えられているという。さあ!と思って乗ってみたら、これがあまりにも未成熟に過ぎた。
(何で設計の連中というのは、アタマだけで考えたような、こういうクルマを平気で持ってくるんだ?)
実験屋として、厚木=設計へのこのような反発も、加藤の中にはあったはずである。
同じく実験部で、加藤とともにR33を仕上げる役割の川上慎吾にしても、厚木、つまり技術陣は「何をやってるんだ!」という気分だった。すでに「先行」で、かなりのテストをしたはずの技術を入れてきて「このレベルかよ?」ということだ。単に技術が寄せ集まってるだけじゃ「クルマ」にはならない。そのことは、スーパーハイキャスなど多くの新技術を入れて作ったR32スカイラインとそのGT-Rを担当した川上には、よくわかっていた。
ただし、このプロトタイプは、栃木の実験部も合意してできあがったものである。いくら初号車(試作一号車)が「30点」でも、やめるわけにはいかない。加藤と川上の“ハードジョブ”は、こうしてスタートしていた。
R33GT-Rの専任主担である吉川正敏は、この栃木(実験)の不満というか開発のための要求を、厚木(設計)の代表として、すべて受けて立つ役回りとなった。でも吉川は、もともとそんなに簡単に『R』が作れるとは思っていなかったし、そのことはまったく苦ではなかった。主担として、より良いクルマにしていくために加藤をサポートし続けたし、また、社内を動かすための作戦として「加藤発言」を利用したりもした。
そういえば……と吉川は述懐する。栃木側の不満のホコ先は、ついに見た目(デザイン=厚木)にまで及び、「加藤は、グリルなんか、自分で勝手に切ってましたね(笑)」。そして、なぜ、加藤の採点がまず「30点」だったのかということについて、エンジニアとしての分析もしている。
「たとえば、アクティブLSDという技術があるとして、その制御の幅が、かなりの大きさである。それだけの幅があれば、その中から選べば“解”は必ずあるはず、絶対大丈夫だと、エンジニアは思っちゃうんですね」
「でも(挙動で)妙な変化があると、人間の感覚では、それはダメってことになっちゃう。人の感覚に合わないよと、加藤は言うわけです」(吉川)
そのへんが「先行開発」の限界ということかもしれない。吉川は感じている。そして、だからこそ、加藤のような男が貴重なのだ。
それに、このR33GT-Rというクルマは、R32よりも速くというのは前提だが、それだけではなく、もっと自由に操れるようにとか、もっと「意のままになる」領域を拡げていく。つまり、コントロール性を高めていくことが、単なる速さの獲得よりも重要ではないかと、吉川はイメージしていた。
「ニュル」でより速く!……というのも、単にパワーだけじゃなく、クルマを十分にコントロールできることによって、はじめて可能になる。いや、逆だ。高度のコントロール性だけが、「ニュル」のようなところでの速さを生むのだ。
「GT-R」とは、そのような意味で、次世代の高速安全車の先行車という役割も負わされているのではないか。そうであるからこそ、会社(ニッサン)としても多大のコストを費やすことを恐れないのだ。吉川正敏は、このように自身の仕事を認識し、R33GT-Rをものにするのだという意欲をさらに高めた。
(第7章・了) ──文中敬称略
Posted at 2014/12/01 08:29:33 | |
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90年代の書棚から 最速GT-R物語 | 日記