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家村浩明のブログ一覧

2015年01月26日 イイね!

素晴らしき父とその娘 ~ 映画『アラバマ物語』 《3》

その3 「カラード・マン」の裁判

フィンチ家の夜。そこに、父の客が来た。迎えた父が「ジャッジ」と言っているようなので、来客は裁判所の判事なのかもしれない。その客は、トム・ロビンソンの弁護をしてほしいとアティカスに要請。そして、それを受けると答えるアティカス・フィンチ。

判事は「明日の審問に立ち会ってくれ」と告げ、「では、明日」と去ろうとする。その声に弁護士が応える、「イエッサー」。そして別れ際に、二人はもう一度、短い言葉を交換した。「サンキュー」「イエッサー」……。言葉が重い。おそらくこれは、ただの「サンキュー」ではなく、そして、ただの「イエス」ではないのだ。単語ひとつだけのやり取りであるあることが、さらにその重大さを伝える。(この段階ではまだ、それがどういう裁判なのか、観客には示されていない)

次の日、子どもたちは三人揃って、かつて“ブー”が閉じ込められていたという裁判所の地下室を探検に行くことにした。その途中で、兄ジェムは、父アティカスの職業が弁護士であることを、友人のディルに告げる。

しかし、彼らが裁判所に行ってみると、法廷には人があふれ、ただならぬ気配になっていた。三人の子どもは、その中で一番身体が小さいディルを残る二人が持ち上げ、窓から部屋の中を覗けるような態勢を作る。そして、首を伸ばしたディルが中の様子を報告した。
ディル「きみたちのパパと、黒人が……」「泣いてる、黒人が──。たくさんの男が怒鳴ってる」
(この時のディルは、黒人を「カラード・マン」と言っている)

裁判所には場違いな子どもの声が聞こえたのか、父アティカスが外に出て来た。
父「何をしているんだ」「すぐ、家に帰りなさい」

子どもたちを帰した後、弁護士フィンチは、彼のもとにわざわざやってきたひとりの白人男性に非難される。
「娘を強姦した黒人(ニガー)を弁護するそうだな。それは大きな間違いだ」

対してアティカスは「ただ責任を果たすだけだ」と答え、それ以上の言葉は発さずに「エクスキューズ・ミー」と、その場を去ろうとする。しかし、そのアティカスの背に、白人の男はさらに、ほとんど脅迫ともいえる言葉を投げつけた。
「それでも人間か! あんたにも、子どもがいるだろう!」

……1932年時点で6歳だった女性のナレーションに導かれるかたちで、この物語は進んでいく。そして、この“少女の目線”で世界を見ていく姿勢は、全篇を通して貫かれる。裁判所での一件にしても、少女が行動し、彼女と観客が一緒に、そこで何が起きているかを知るというように。

そして、“子ども目線”のドラマであるため、裁判所に行った日の夜でも、子どもたちは裁判のことなどすっかり忘れて(?)、隣家の“怪人ブー”の探検に行くことになる。この夜の冒険の時に、物音に怯えて慌てて駆け出したジェムのズボンが金網に引っかかり、仕方なくそれを捨てて逃げるしかなかったという事件が起きる。

こうして、少女スカウトにとっての「6歳の夏」が終わった。これは日本でいえば、3月が終わって4月になる感覚とおそらく同じで、9月から始まる新学期に、晴れて“スカウト”は「ジーン・ルイーズ・フィンチ」として学校に入学することになる。(彼女の名は「ジーン・ルイーズ」だった)

(つづく)
Posted at 2015/01/26 22:21:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2015年01月25日 イイね!

新技術を超えて、挙動が快だ。新スカイラインとの交感に奮える!

新技術を超えて、挙動が快だ。新スカイラインとの交感に奮える!§日付けのある Car コラム
§『アクション・ジャーナル』selection

事実として新技術満載の新型車でありながら、そのまとめとしてのクルマでは、それを見せない。技術を露見させない。ニュー・スカイラインとはおそらくそのようなクルマであり、その意味で画期的なニューモデルだ。

実際、今回のスカイラインには、カーマガジンなら決して小さくない特集を組めるはずのアイテムと量の、新しいメカニズムが盛られており、十分にそれはニュースでもある。しかし、だからと言って、極端な技術志向車、あるいは一種の実験車であるかのように印象づけられることを、ぼくは恐れる。さらには、そういうハイ・メカニズムのみが商品性であるかのようにイメージが浸透していくことも懸念する。(つまり、よくある国産車として片づけられてしまうことを)

「技術」とは、これまでしばしば、それ自体が主張であり、時にはエクスキューズであった。こういう新しい技術が達成され、このたびめでたく、新作のニューカーに搭載することになった。ぜひ、賞味されたい。あるいは、こういう新技術導入の結果、現状ではここまでだが、でもそれは「新」である故をもって、了解と寛容をいただきたい……。

クルマと新技術の相関関係は、これまで、概ねこのようであったと総括できるのではないだろうか。人がハードに随(つ)いて行く。そして、そのような方向性と現実は、日本車批判の格好のネタでもあったと思う。ハイ・メカもコンピュータも何もない欧州車Aの方が、最新鋭の日本車よりずっと良いではないか……といった評がその例である。

技術に制圧されることを、われわれ日本人はむしろ好むのではないか? そのような分析はこの際措くとしても、ことクルマに関しては、先ほどの日本車批判の一例は、当たってる部分もあるだけにキツいところがあったものだ。

新スカイラインに乗ってみて、感ずること。それはクルマの走りと挙動に関する作り手のイメージの確かさである。こういう風に走りたい、クルマがこう動き、こう反応してくれると嬉しい。そのモチーフを実現するために、(日本車得意の)ハイ・テクノロジーのうち、使えるもの、役目を果たすものは採り入れてみよう。このような姿勢が鮮やかであり、「人」と「技術」の関わりに新しい展開をもたらしたと評価したい。

たとえば、サスペンションである。四つのタイヤを、常に地面に対して垂直に近いままでキープし続けることはできないか。このような「接地」の要求がまずあり、結果として、全輪マルチリンクという新メカとなった。あるいは、ニッサンの四輪操舵方式であるハイキャスは、よく曲がってくれること(FRらしく!)以外の、不自然さにつながる余計な感覚をドライバーに体感させないよう、新しいスーパー・ハイキャスとして、ここに出現した。いわば、「技術」を「人」に奉仕させているのだ。

……というような評言というのは、これは単にレトリックだろうか。いや、やはり、そうは思わない。ハンドリングの良否というのは、技術では計れない、数値化できないものの代表だが、これは実に快にしてナチュラルというフィーリングを達成している。走りをチューニングしてまとめ上げることのできる、優れたテスト・スタッフの存在を確信せざるを得ず、そのようなスタッフによってのみ、たとえばスーパーハイキャスの仕上げも可能だったと思われるからだ。

新スカイラインは、よく走り、よく曲がる。速さもさることながら、クルマを動かすことが愉しく、そのクルマの動きがまた、乗り手に歓びを返す。そういう循環をするクルマだ。新技術は隠れたままで、その循環を静かに増幅する役目を果たしている。速いから凄いのではない、そういうクルマとの「交感」がおもしろいのだ。

スカイラインに試乗する前日、ぼくは半日間を、たまたまメルセデスの190Eと過ごした。ハンドリングの軽快さと確実さは大いに魅力的だったが、いかんせん非力であり遅かった。シャシーはエンジンより速く……というのはいいが、この場合、その差があり過ぎた。そんなことを言うなら、2・5リッターの16バルブ搭載モデルがあるというのがメルセデスの立場なのだろうが、このスポーティ190はご承知の通りに信じがたく高価である。

スカイライン体験を経たいま、速いエンジンを積んだ“190並み”(ハンドリング)のクルマは、この世にあるんだというのが、今日の試乗での発見だ。そして、「技術的」なのではなくて「人間的」なのだというのが、スカイラインへの評価である。またひとつ、嬉しいモデルが出現したね! これが8代目の同車に贈る讃辞だ。

(1989/06/20)

○89年末単行本化の際に、書き手自身が付けた注釈
スカイライン(89年5月~  )
◆“噂のGT-R”は、基本的にFRでありながら、必要に応じて前輪にもパワーを伝え、クルマを前からも引っ張って安定させて速く走ろうという意図の四輪駆動車である。そういうチューンもあって、確かにこのクルマは速いのだが、その速さの質は、敢えて言えば「鈍い」。いわば、ナタの速さ。走りや挙動における鋭さ、快い緊張感、このようなものをスカイラインに求めるなら、GT-Rである必要はないと筆者は信ずる。競走したら、それはGT-Rの勝ちかも知れないが、スポーツカーとしてなら、瞬間ごとの歓びとカミソリのシャープさを採りたい。
Posted at 2015/01/25 13:38:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 80年代こんなコラムを | 日記
2015年01月24日 イイね!

私の“ニュル”ノート 《2》

私の“ニュル”ノート 《2》その2 クルマがいつも“傾いて”いる!

そんなに速くは走らなかった(走れなかった!)「北コース」の一周だったが、それでも、いくつか見えてくることはあった。それはたとえば、クルマ(車体)に対する、コース側からの「入力」の複雑さだ。

コーナーひとつを取ってみても、どうもここは、一回ステアリングをスッと切ればそれで済むようなコーナーになっていない。曲がってみたら、さらに何らかのステアリング操作が必要だったとか、コーナーの先というか出口がいきなり下っていたとか。とにかく、走りながら、(おおー、こうなっていたのかぁ!)というようなコーナーが多い。

言い換えると、ひとつのコーナーを抜けるだけでも、クルマ(とドライバー)に何らかの“ストレス”を掛けてくるのが「ニュル」だった。それにしっかり対応し、何とか答えを出していかないと、次には行けない。そんな一種の“意地悪ゲーム”みたいになっているとも思った。

そして、笑ってしまったのは、たくさんあったコーナーをようやくクリアして、たしか最後になるはずの直線にさしかった時だった。それまでずっと、曲がるたびに左右に傾き、ダウンヒルでは前下がりに……と、絶え間なくクルマが姿勢を変えて来たのだが、ようやくたどり着いたストレートでも、それは同じだったのである。

最後の直線を走りながら、どうもクルマが傾いているなあ?と思った。かすかではあるが、ストレートを突進しながら、ここでも右側が沈んでいるように感じた。(ああー、ここでも、傾いてるんだ……)苦笑しながら、「ニュル」はどこまでも「ニュル」であり続けるんだとも思った。

このような「ニュル」における、コースからのクルマへの「入力」については、「北コース」を実際に走ってみる前から、何度か、複数のカーメーカーの開発陣から話を聞く機会があった。本ブログにも掲載した「 Le Mans へ…」でも、ホンダのスタッフがプレリュードとNSX(プロトタイプ)を初めて「ニュル」に持ち込んだ時のことが描かれている。(注1)

まずプレリュードで走った時には、そんなに大変な“道”だとは思えなかった。しかし、プレリュードから、3リッターV6搭載のスポーツカー、NSX(プロトタイプ)で走りはじめた時、いきなり様相が変わった。コーナリングでのこれら二車の速度差は、およそ30~40㎞/hほど。しかし、その差によって、北コースとクルマ(車体)との関係が一変したのだ。

速度が上がった時、「ニュル」は、それまでとはほとんど別のコースになったという。高速で、プロトタイプだったテスト車の足は、いきなり暴れ始めた。ジャンピング・スポットも、もちろん機能し始める。それまで何でもなかったところで、クルマが宙に浮き、そして着地して、そこでまたクルマが落ち着かない。コースに翻弄されるその挙動があまりにもラフであったため、そのプロトタイプは大変更を余儀なくされた。

また、スカイラインGT-R開発でのボディ設計者も、この「北コース」について、改めて「凄い場所だ」だとして、「コースがクルマにさまざまに『入力』してくる、そのレベルが、まるでケタ違いだった」と語っていた。ニッサンの場合は、それまでテストで走ってきた北海道・陸別のコースとの路面状態の違いも作用していたかもしれない。陸別のコースは(知る限りでは)「ニュル」ほどには舗装が荒れていないからだ。

これらの証言でひとつ気づくのは、この「ニュル」(北コース)は、どんな速度で走るかによって、その様相が異なるということ。そして、「ニュル」が牙を剥いて、クルマやドライバーに襲いかかってくるのは、ある速さ以上という条件が付き、そのフェイズになって、コースと闘うという意味でのドライビングのシビアさ、そしておもしろさも生まれてくる(らしい)こと。

しかし、だからと言って、それまである程度以下の速さでしか走れなかったドライバーが、いきなり、その“ニュルがおもしろくなる”速度で走ろうとしても、それは無理な話である。時速何キロ以上で進入すればクルマは飛ぶよ!などと、仮に、ジャンピング・スポットとのバトルの仕方を聞いたとしても、そんなことはすぐにはできないし、また、スキルの高くないドライバーが、それを試すべきでもない。

しかし、世の中にはアタマのいい人がいるものだなと思った。何のためのセダンか、何のための二座席スポーツか。クルマには、ドライバー以外にも人が乗れるではないか──。まあ、コロンブスの卵というか、この「北コース」が基本的にオープンな“有料道路”であることを活かしてのアイデアだが、ともかく「ニュル」には、手練れのドライバーが運転する速いクルマに一緒に乗れるという同乗サービスがあるのだ。クルマは、ダッジ・バイパーであったり、BMWのM5であったり、はてまたVWのトゥーランであったり……。

ジェットコースターにカネ出して乗る人がいるのなら、「北コース」を走るBMWに乗りたい人だっているはず?……という発想で生まれたのかどうかは定かでないが、「ニュル」という“道”が、誰もが簡単に速く走れるコースにはなっていないだけに(彼らの営業をPRするわけではないが)、この“ニュル・タクシー”というサービスには、やはり価値があると思う。

(フォトは「北コース」走行チケットの販売機)

○注1:「 Le Mans へ……1994レーシングNSXの挑戦」第1章。
「2リッター級4気筒のスポーツクーペと、3リッターV6の純スポーツカー。この両車では、メーター読みでたった40km/hしか走行速度は違わない。しかし、その40キロ差がもたらすものが凄いのだ」
「車速が上がった途端、いきなり、ボディがよじれ始める。クルマが空を飛び始める。『G』が横方向だけでなく、縦にも斜めにもかかる。車体は浮き、ハネるが、それが予測不可能なため、ドライビングしてるという感じにならない。どう浮くかわからないのだから、どう落ちるかはさらに読めない」

https://minkara.carview.co.jp/userid/2106389/blog/c919308/p13/
Posted at 2015/01/25 00:04:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | Car エッセイ | 日記
2015年01月24日 イイね!

素晴らしき父とその娘 ~ 映画『アラバマ物語』 《2》

その2 フィンチ家の家政婦

そして観客は、ここで女の声を聞く。「お兄さんを呼んで」。それに少女が反応し、「ジェムは木の上。フットボールの試合に(父が)出てくれると言わなきゃ、降りないって」と応える。

これを聞いた父が、木の上で“ストライキ”をしている(らしい)息子に、「キャルパーニアが美味しい朝食を作ってくれた。あったかいビスケットもあるぞ」と声をかける。少女には兄がいて、その名はジェムという。そしてこの家には“キャルパーニア”なる女性がいて、彼女は料理もしているようだ。

そして父アティカスはもう一度、樹上の息子ジェムに声をかけ、カバンを持って、仕事に(?)出かけて行った。彼が歩くその道に、クーペ型の小型のクルマが一台走って来る。父アティカスは、仕事場には徒歩で行くようだ。

父が出かけたので、娘=妹は、朝食よりも、兄のいる木に登ることを選んだ。スカウトはそんなお転婆少女であり、そして、彼女は兄が好きなのだろう。

すると、その木の下に、ひとり、子どもがやってきた。小柄な少年はチャールズ(ディル)と名乗り、「ぼくは本が読めるんだ」と主張する。しかし、彼に年齢を訊ねた兄のジェムは「7歳なら、そんなこと(できるのは)不思議じゃないよ。スカウトは、もっと前から字は読めた。学校に行ってなくてもね」と言う。

彼の妹はお転婆だけでなく、なかなか賢い少女であるらしい。そしてここで、父だけでなく兄もまた、彼女を(たぶん本名でなく)“スカウト”と呼んでいることがわかる。そのスカウトは小柄少年なディルに質問した。「ママは死んだけど、パパはいる。あんたは?」

そこにキャルパーニア(キャル)が来た。おそらくフィンチ家の家政婦である彼女は黒人女性。スカウトはすぐに、彼女を少年ディルに紹介する。そしてスカウトは、キャルが持ってきたシャツに着替えた。

そんな彼らの前を、隣人の(?)中年男が通りかかったので、兄のジェムが二人に言った。「怖い人なんだ。“ブー”っていう息子を鎖でベッドにつないで、家に閉じ込めてる」。そして、まだ見たことがない“ブー”の姿を、怪物のようなイメージで描写し、ディルに語る。しかしディルは「ぼくは信じないな」とクールだ。(注1)

そこに、ディルの伯母が来た。フィンチ家の隣人であるこの伯母の家に、夏休みなのでディルが来ているということか。そしてディルの伯母は、“ブー”が父親の足をハサミで刺したこと。精神病院ではなく、裁判所の地下室に拘束されていて、死ぬ間際になって、家に連れ戻されたこと。それ以来、ハサミを持ったまま、ずっと座っている……といった“ブー”に関する噂を子どもたちに語る。「何をしてるのか、何を考えてるのか、誰にもわからない」

そして、夕方の5時になった。年長のジェムが「行くぞ」と、二人に声をかける。ディルが少女に、二人は何をしようとしているのかを訊く。
スカウト「アティカスを、迎えに行くのよ」
ディル「なぜ、お父さんを名前で呼ぶ?」
スカウト「ジェムが、そうしてたから」
ディル「彼は、どうして?」
スカウト「わかんない、ジェムは小さい頃からずっと──」

そのアティカスが、二人に向かって歩いてきた。駆け寄って、父と手をつなぐ子どもたち。父はやはり、仕事には徒歩で行っていた。三人は隣人に挨拶した後に、家に入って行く。隣接して建てられているガレージには、スペアタイヤを背中に抱いたセダンが一台収まっている。こうして、フィンチ家の「ある夏の日」が暮れた。

フィンチ家の中、寝室。ベッドに横になったスカウトが本を読んでいる。声を出しているので、“読み”の練習かもしれない。それを見守る父アティカスは、“ブー”について訊いてきた娘に、「人の噂はよくないぞ。そっとしておくのが思いやりだ」と諭した。

お休みのハグをして、父が去った後、スカウトは同室の兄ジェムに訊ねる。
スカウト「ねえジェム、母さんが死んだとき、私はいくつ?」
ジェム「2歳」
スカウト「ジェムは?」
ジェム「6歳」
スカウト「いまの私と同じだね。ママはキレイだった?」

さらにスカウトは、質問を連発する。「ママは優しかった?」「ジェムはママを好きだった?」「私も、ママを好きだった?」「ねえ、ジェムは、ママがいなくて寂しい?」。父には、その声が聞こえている。

観客としてはここで、いろいろな想像ができる。まず、母の死の時スカウトは2歳だったというから、母についての記憶は何もないのだろう。また「アティカス」というのは、亡き母が夫=父を呼ぶ時に、きっとこう言っていたのだ。そしてそれを、6歳の長男がマネした。しかし父アティカスはそれを咎めず、母の死後、父をファースト・ネームで呼ぶのがジェムひとりになった時に、成長した妹のスカウトも兄に倣った……。

(つづく)

○注1:映画「アラバマ物語」の原作「モノマネ鳥を殺すには」の作者はハーパー・リー。彼女の少女期が、この映画でのスカウト。そして、夏休みに遊びに来た友人のディル少年は、のちにドキュメント・ノベル「冷血」を書く作家、トルーマン・カポーティがモデルとされる。彼が「冷血」を書くまでを描いた映画「カポーティ」には、カポーティの友人、かつ重要な役として、ハーパー・リーが登場しているという。(未見)
Posted at 2015/01/24 09:02:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2015年01月23日 イイね!

私の“ニュル”ノート 《1》

私の“ニュル”ノート 《1》その1 これは「峠」だな!……

ささやかながら、実は私にも「ニュル体験」がある。あのニュルブルクリンク、そのオールド・コースである。ここは近年は「北コース」と呼ばれることが多いようだが、このコースに初めて乗り入れた時の記憶は、いまも鮮やかだ。

取りあえずコースインして、ソロソロと走りはじめる。すぐに気づくのは、コースが恐ろしく「狭い」こと。コース幅は、ほとんどクルマ二台分であり、仮にファースト・インプレションを言葉にするなら、(え!? ほんとかよ。ここを“サーキット”として走るのかよ?)……であった。

この北コースの「狭さ」については、こんな話も聞いた。ここでレースをして、そしてイエローフラッグなどオフィシャルの指示に従わないドライバーがいた場合には、ガードレールの外からオフィシャルが、手にした棒で、そのクルマのルーフを叩くというのだ。これはまあ、よくできたジョークかもしれないが、しかし、ガードレールはほんとにコースのすぐ脇にあり、いわゆるランオフエリアも基本的にないので、これがウソとも思えないのだ。

そして、その「狭さ」をさらに強調するのが「見えない」ことである。北コースのコーナーはすべてブラインドであると言って過言ではなく、曲がった先がどうなっているかは、実際に曲がってみないとわからない。また、普通「ブラインド」というと、右か左かどっちに行っているのかわからないということだが、「北コース」ではこれに「上下」のブラインドというのが加わる。

そういえば、そもそもこのコースには、平らなところがほとんどないという印象だ。どこでもいつでも、上ったり下ったり……という状況であり、“道”が上りの場合には、頂上から先がどうなっているのかは見えない。そして下りにしても、その先には「左右」のブラインドが待っているから、「見えない」ということでは事情はさして変わらない。さらに、コースの半分は森の中という感じで、これについてはある英人ドライバーが「グリーン・ヘル」(緑の地獄)と言ったそうだが、たしかに、いやでも目に入ってくる木々の緑が、視界を遮るように、不慣れなドライバーに襲いかかってくる。

気が弱くて、ついでに余計な想像力がある私は(笑)、これはうっかり走ってはいけない“道”だと、すぐに思った。何しろ、コースから少しでもハミ出したら、即、ガードレールの餌食になるはずだからだ。ゆえに、慣れるまでは何もせず、アクセル踏むのは、ある程度コースを知ってからにしよう……と思ったものの、このコースは一周の長さが20キロ以上。そして、コーナーの数は170を超えるといわれる。アクセルを踏めるまでには、いったい何年かかるのか。

そんな状態なので、トロトロとコースを辿っていくしかないのだが、そんな“走り”をしていても、もちろん誰も咎めない。逆に、そんな“走り”しかできない素人ドライバー(たとえば私)に、こんなコースを走らせていいのか? そんな疑問さえ浮かぶが、しかしここは、実は走行フィーさえ払えば、誰でも走っていい単なる“有料道路”。フィーを払う入り口でのライセンス・チェックなどもなく、係員に「ヘイ、行きな」と手で合図されるだけだ。

そして、その「誰でも走れる」は徹底していて、車両でいえば、二輪から観光バスまで、何でもアリである。F1ドライバーでさえ敬遠してボイコットしたという(だから「GPコース」が造られたのだが)このコースを、本当に、どんなクルマであっても走行することができる。

このコースで、そんなことをしていたら危ないだろう!?……という意見がありそうだが、しかし、自分自身で、この北コースで“素人走り”をしてみて、苦笑とともに、実感した。遅く走っている限りでは、ここでは何も起きない、と。ウワサの“ジャンピング・スポット”にしても、そういうドラマチックなことが起こるのは、ある程度以上に速く走っているクルマだけ。トロトロ走っている限り、いつでもどこでも、四つの車輪は地面にくっついている。

そして、そうやって、やむなくゆっくり走っているうちに、少しモノゴトも見えてきた。……というか、速く走ってないからヒマであり(笑)いろんなことが頭に浮かんだ。そうして思ったことのひとつ、それは「ここは日本語では『峠』というなあ!」だった。そう、ここをサーキットだと思うから、いろいろと“文化摩擦”も生じる。そうじゃなくて「峠」と見なせば、ブラインド・コーナーも当然だし、激しいアップダウンにしても、そもそも「峠」とは山越えのための道だ。

そうなると妄想はふくらみ(笑)、あのH山の、何本かある山岳ワインディング路を全部つないで、さらには裏道の見通しの悪いところも加えて、ついでに、近くのFサーキットの長いストレートを付け足して、一本の道にする。そして、その道からセンターラインを取っ払い、各コーナーにゼブラを施して、さあ、全開で行っていいよ! それが「ニュル」なんじゃないか!? こんな《if》まで浮かんでいた。

こうして何とかラストの直線までたどり着いたが、しかし、哀れなビギナー・ドライバーはもうヘトヘトであり(笑)、ストレートでも何台ものクルマに追い越された。そのまま、何とか私は「ニュル北コース」初体験を終えたのであった。

(タイトルフォトは、ニュル北コースの入り口)
Posted at 2015/01/23 15:44:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | Car エッセイ | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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