
◆軽自動車の成熟
1973年に世界を襲った第一次オイル・ショックと、折から高まった自動車公害論は、クルマ世界を直撃した。自動車は、もはや単なる高性能だけでは商品として成立しなくなり、排ガスのクリーン度も求められ始めた。
しかし当時の排ガス規制の技術では、クリーンな排気と、パワー&ドライバビリティの確保は両立しなかった。そこから、排気量「360cc」という小さなエンジンではこうした時代の要請に応じられないと、1976年、エンジンをはじめとする軽自動車の規格が26年ぶりに変更された。軽自動車のエンジンは「550cc」となって、ここに新時代を迎える。
そして1979年、こうした“冬の時代”を吹き飛ばすようなモデルが登場して、ふたたび軽自動車の世界は活性化した。それがスズキの『アルト』である。(タイトルフォト)
このクルマは、ボディの後半部分を「商用車」の規格に合わせることにより、当時は商用車の税率が乗用車と異なっていたことを利用して、カシコく安価に軽自動車を使おうというアイデア商品だった。現実的に軽自動車は、ドライバーひとり+αで使用されていたのが大半だったから、商用車として後席が少し狭くても、とくに問題はなかった。
さらに、この『アルト』は、設定された価格が47万円だったこともあり、スズキが呈示した「軽」サイズの「ライトバン」は、乗用ユース車として大ヒットする。そしてもちろん、この「商用車作戦」は、すぐに他のすべての軽自動車メーカーに波及した。
こうして70年代を乗り切った軽自動車は、余裕が生まれた80年代半ば以降、パワー競争とアイデア合戦のバトルに突入していく。
ここで先陣を切ったのは、またしてもスズキだった。1986年に、その名も『ワークス』というハイパワーモデルを登場させるが、結局その時の『ワークス』の最高出力だった「64馬力」を上限として、軽自動車のエンジン・パワーが自主規制されることになる。また、パワー競争と同時に出て来たメカニズムが、ハイパワーはもはや前二輪だけ(FF)では受け止められないとしての4WDだった。
そして、90年代。今度は、軽自動車でもこんなコトできますよ!……というモデルがいくつも登場する。
1991年のホンダの『ビート』、スズキからの『カプチーノ』は、軽自動車サイズでのオープン・スポーツの提案であり、『ビート』と同様のミッドシップ車ではマツダ『AZ-1』もあった。一方では、三菱の『ミニカ・トッポ』はスペース・ユーティリティとその活用を“遊びっぽい”デザインワークで呈示した。当時、普通車にあって軽自動車にはないというジャンル(クルマのタイプ)はほとんどなく、軽自動車という枠を生かしての、さまざまな提案と機種がマーケットを賑わした。
(「カーセンサー」誌、2001年10月。軽自動車特集より加筆)
(つづく)
Posted at 2015/06/27 00:13:01 | |
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