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家村浩明のブログ一覧

2015年06月29日 イイね!

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《5》

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《5》◆軽自動車の飛翔 ~世界基準への旅

軽自動車の税制その他での「恩典」は、少しずつ剥奪されつつも、まだ残っている。一方で軽自動車は、1998年に「恩典」はほとんどそのままで、安全性を理由に、新規格の全長と全幅を手に入れた。また2000年には高速道路での最高速度が普通車並みに引き上げられた。

そして近年、あのメルセデスによる『スマート』には、日本の軽自動車関係者は秘かに快哉を叫んだのではないか。「軽規格」など知らない、それに囚われる必要はないはずの欧州メーカーが新時代のスモールカーを作ったら、それは日本の「軽規格」とほとんど同じだったのだ。軽自動車としても登録できますよ……という『スマート』が示していたのは、そういう事実である。

さまざまな紆余曲折がありながら、日本の軽自動車は「トール型」というジャンルを自ら切り開き、その新しいパッケージングで、いまや世界を納得させた。

そして、いまに残る恩典(税制)についても、実用品として使っているもの(クルマ)に対して普通車のような高額の税率が必要なのかという視点が、そろそろ導入されるべきと考える。だいたい、クルマをネタにしての税金は多すぎるのだ。「クルマは軽自動車で十分だ!」……とは、そんなニッポン庶民のささやかな抵抗と心意気なのではないか。

(「カーセンサー」誌、2001年10月。軽自動車特集より)

(了)
Posted at 2015/06/29 06:42:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2015年06月28日 イイね!

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《4》

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《4》◆軽自動車の“上昇”

しかし90年代、軽自動車の“危機”はふたたびやってきた。軽自動車の新規格が導入され、エンジンは「660cc」となって“余裕”は出たものの、周辺事情はシビアだった。消費税の導入、物品税の廃止、乗用車と商用車の税率を同じになど、軽自動車の「恩典」を侵すような政策が続々と採られたからである。

しかし、これなら普通車のコンパクトにでも乗った方がいいかもしれない……と人々が思い始めた1993年の秋、事件は起こった。震源地は、またしてもスズキ。新提案のアイデアのモトは、アメリカで流行していたミニバンだっただろうか。

ともかく、軽自動車を背の高いハコ・ボディにして、着座位置(ヒップポイント)も上げ、乗りやすく、かつ使いやすくする。そして何よりも、その「高さ」によって、軽自動車とは思えないほどの広大な室内空間を確保する。そんな新種の「ビークル」が1993年に誕生したのだ。このコペルニクス的転回の軽自動車『ワゴンR』には、ライバルのダイハツも『ムーヴ』(1995年)で対抗、それに他社も追随して、ひとつの新しい軽自動車のジャンルを形成する。(注1)

この時に“軽サイズのミニバン”『ワゴンR』が提案したパッケージングとヒップポイント(地上からの前席の着座位置)620~630ミリというのは、軽自動車のひとつのスタンダードとなって今日に至っている。この2001年10月に登場した三菱の新型『eKワゴン』も、ヒップポイントは630ミリというレイアウトだ。

(「カーセンサー」誌、2001年10月。軽自動車特集より加筆)

○注1:軽自動車における「トール」というコンセプトは、後年さらに展開され、2003年、ダイハツの『タント』を生むことになる。

(つづく)
Posted at 2015/06/28 05:58:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2015年06月27日 イイね!

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《3》

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《3》◆軽自動車の成熟

1973年に世界を襲った第一次オイル・ショックと、折から高まった自動車公害論は、クルマ世界を直撃した。自動車は、もはや単なる高性能だけでは商品として成立しなくなり、排ガスのクリーン度も求められ始めた。

しかし当時の排ガス規制の技術では、クリーンな排気と、パワー&ドライバビリティの確保は両立しなかった。そこから、排気量「360cc」という小さなエンジンではこうした時代の要請に応じられないと、1976年、エンジンをはじめとする軽自動車の規格が26年ぶりに変更された。軽自動車のエンジンは「550cc」となって、ここに新時代を迎える。

そして1979年、こうした“冬の時代”を吹き飛ばすようなモデルが登場して、ふたたび軽自動車の世界は活性化した。それがスズキの『アルト』である。(タイトルフォト)

このクルマは、ボディの後半部分を「商用車」の規格に合わせることにより、当時は商用車の税率が乗用車と異なっていたことを利用して、カシコく安価に軽自動車を使おうというアイデア商品だった。現実的に軽自動車は、ドライバーひとり+αで使用されていたのが大半だったから、商用車として後席が少し狭くても、とくに問題はなかった。

さらに、この『アルト』は、設定された価格が47万円だったこともあり、スズキが呈示した「軽」サイズの「ライトバン」は、乗用ユース車として大ヒットする。そしてもちろん、この「商用車作戦」は、すぐに他のすべての軽自動車メーカーに波及した。

こうして70年代を乗り切った軽自動車は、余裕が生まれた80年代半ば以降、パワー競争とアイデア合戦のバトルに突入していく。

ここで先陣を切ったのは、またしてもスズキだった。1986年に、その名も『ワークス』というハイパワーモデルを登場させるが、結局その時の『ワークス』の最高出力だった「64馬力」を上限として、軽自動車のエンジン・パワーが自主規制されることになる。また、パワー競争と同時に出て来たメカニズムが、ハイパワーはもはや前二輪だけ(FF)では受け止められないとしての4WDだった。

そして、90年代。今度は、軽自動車でもこんなコトできますよ!……というモデルがいくつも登場する。

1991年のホンダの『ビート』、スズキからの『カプチーノ』は、軽自動車サイズでのオープン・スポーツの提案であり、『ビート』と同様のミッドシップ車ではマツダ『AZ-1』もあった。一方では、三菱の『ミニカ・トッポ』はスペース・ユーティリティとその活用を“遊びっぽい”デザインワークで呈示した。当時、普通車にあって軽自動車にはないというジャンル(クルマのタイプ)はほとんどなく、軽自動車という枠を生かしての、さまざまな提案と機種がマーケットを賑わした。

(「カーセンサー」誌、2001年10月。軽自動車特集より加筆)

(つづく)
Posted at 2015/06/27 00:13:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2015年06月25日 イイね!

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《2》

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《2》◆軽自動車の展開

1966年は『サニー』と『カローラ』が登場した年。つまり、日本の本格的なモータリゼーション元年になる。この二つのモデルは、トヨタとニッサンという上級車を作っていたメーカーが一般ピープルのためのコンパクト車を作ったという意味で、マーケット的に重要だ。両社による大々的な販売作戦が展開されたこともあるが、大メーカーによるこの二車が、クルマという商品全体への一種の安心感を生み、それへのアコガレをいっそう加速させた。

この60年代後半から70年代はじめの軽自動車では、何といってもホンダの参入がニュースである。レース活動も含む二輪分野での世界的な成功、四輪スポーツカー『S系』の存在を背景に登場したホンダの軽自動車は、31.5万円できちんと四人が乗れて、最高速は115km/h。これは驚異のバリュー・フォー・マネーであり、1967年の春に発売されるや、あっという間にベストセラーの座に駆け上った。

そのホンダ『N360』は、1970年の『Z』、そして1971年登場の『ライフ』に発展し、コンパクトカー分野でのホンダの地歩を確かなものにした。今日の“大メーカー”ホンダの基礎となった1972年『シビック』の成功も、これらの軽自動車で築いたイメージがその基盤だったはずだ。同社にとって重要なこの二つの名前(『Z』と『ライフ』)は、ともに90年代に復活することになる。

もうひとつ、この時期の軽自動車の新展開として、1970年に登場したスズキ『ジムニー』に注目しておきたい。軽サイズにまとめた、この「純・オフローダー」は、70年代こそさほど目立たなかったが、後年に、軽自動車というレギュレーション内で「何でもやってみよう!」という日本メーカーの挑戦意欲をかき立てる源泉となったと見る。

90年代に華々しく登場するオープンカーにしても、さらにニュー・コンセプト車としてのミニバン・タイプにしても、軽自動車の世界に『ジムニー』という異ジャンル・カーが存在し続けたが故に、各社は、提案性に充ちた新ジャンル車の開発をためらわなかったと思うのだ。

(「カーセンサー」誌、2001年10月。軽自動車特集より加筆)

♯タイトルフォトはホンダN360。「ホンダ・コレクション 1 創造と挑戦」から複写。

(つづく)
Posted at 2015/06/25 22:48:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2015年06月25日 イイね!

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《1》

【クルマ史探索】軽自動車その歴史と現在 《1》◆軽自動車の誕生

日本に「軽自動車」という規格が登場したのは1949年のこと。ここから、軽四輪と軽二輪の区別の導入、そして軽四輪の排気量拡大などの小変更を経て、1955年に、エンジンはその種類(4サイクルか2サイクルか)を問わず、360ccまでということになった。ここで軽自動車のレギュレーション(軽規格)がひとまず安定し、この範囲の中で、“原付四輪車”といった風情の少量生産・軽四輪もいくつか生まれた。

この1955年とは、通商産業省=通産省(当時)が「国民車構想」なるプランを公表した年として、歴史に記録されている。しかし、こうした省庁からの呼びかけに呼応して、各社がミニカーや小型車を作ったわけではなかった。この「構想」公表の2ヵ月後に、わが国初の本格的な軽乗用車として、鈴木自動車(現・スズキ)の『スズライト』が登場するが、同社の軽四輪の研究と試作は1953年に既に始まっていた。

この『スズライト』に少し遅れて1958年に、富士重工から伝説の『スバル360』がデビューする。先発『スズライト』が市場の要求から、ライトバンをメインにする路線で成功していたのに対し、このスバルはリヤエンジンのため、商用車への転換がしにくかった(後に『コマーシャル』というモデルが加わる)が、スバルのそんな“純・乗用車”路線は、逆にアコガレの対象ともなった。これはバン&商用車がシリーズ中にないことで人気を得た、後年の『レガシィ・ワゴン』のケースと、ちょっと似ていたかもしれない。

この『スバル』は、モノコックボディの採用などで今日でも評価の高い名車だが、価格としては40万円以上であり、まだまだ庶民にとっては高嶺の花だった。その意味では、ひょっとしたらクルマというものを買えるのではないか!……と一般ピープルに思わせたモデルとして、1960年に、31万円という価格でデビューした『マツダR360クーペ』は重要である(タイトルフォト)。そしてこれは、「軽&AT」という組み合わせも選べた、先進のミニカーでもあった。この『クーペ』の成功をベースに、軽自動車の『キャロル』と小型車の『ファミリア』で、三輪車で出発したマツダ(当時・東洋工業)は四輪乗用車メーカーへと脱皮していく。

(「カーセンサー」誌、2001年10月。軽自動車特集より加筆)

♯タイトルフォトは、トヨタ博物館にて撮影。

(つづく)
Posted at 2015/06/25 04:34:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
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何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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