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家村浩明のブログ一覧

2015年11月30日 イイね!

【00's コラム】パッシングの怪!

高速道路上で道路情報にダイヤルを合わせると、渋滞もあまりなく、発すべき情報が少なかった時などに、道路案内のほかに「渋滞の末尾に追いついたら、ハザードランプをつけて、後続車に合図しましょう」といったアナウンスが付け加えられることがある。ハザードランプの使い方の一例としてのガイドである。

ハザードは本来、そうやって(走りながら)使うものではない!……といった正論(反論か)はありそうだが、でも、これはいいと思う。何がいいってこのアナウンスは、「決めの問題」をある立場から明らかにしている。この放送によって、個人の意見はともかく、ハザードはこういう使い方もあると「決めて」くれている。そして、これを聞いた人たちにとっては、高速道路上ではこの使い方が「合意」になっていく。「本来」かどうかは措いて、こういう合意と統一があるのはいいと思うのだ。

さて、こうしてハザードの使い方はひとつ明らかになったが、では「パッシング」についてはどうだろうか。とくに近年、このライトの使い方は、人や地域によってバラバラに――もっと言うなら、意味が正反対に(!)なっていないか?

そんなことはない、パッシングはパッシングだ。前車を追い抜きたい時、また、どいてほしいときに俺は使ってる、文句あるか……という意見はもちろんあるはずで、それに対して異議はない。言葉の意味からも、このライトはそのように「どけどけ!」というモードで使うことが、たぶんタダシイのだ。歴史と慣習を重んずるヨーロッパ地域では、今日でもパッシングは、こうした本来の使い方に終始しているであろう。

しかし、世界に冠たる渋滞の国。そして、広くない国土にケンキョな人々が身を寄せ合って暮らしているここニッポンでは、この「パチッ」と光るランプの別の使い方が生まれていると見る。そしてそれは、「どけどけ!」という(本来の)攻撃的な意味とは正反対である。

たとえば、「入れてあげますよ~、どうぞ割り込んでくださいな」「さあ、お先にどうぞ~」「あ、どうも、すみませんでした~」……。こうした“どうぞ&ありがとうモード”のギアとして、パッシングライトが使われている場合がある。少なくとも首都圏の一部、その西端K県の西部地域では、パッシングはもっぱら、そのような“お譲りモード”で用いられている。

おそらくこれは、ある日、誰かが発見したのだと思う。ピッと一瞬だけライトをつける機能がクルマにあることを知り、(これって、軽く会釈する感じに似てる)と気づいたのだ。そして試しに、他車に「お先にどうぞ」といいたい時に、そのライトをプチッと点滅させてみた。すると相手のクルマが手を上げて、ブイブイッと駆け抜けていく。(あ、通じたみたい!)……。こうした“成功例”が重なって、そのうち他の人々もそれに倣い始めた。パッシングを“お譲り”のために使う習慣が、こうして、ある地域に根づいたのだろう。

そのストーリーはわかる気はするのだが、しかし、その「習慣」はおそらく全国区ではない。その地域の人同士にとっては、それでいいとしても、クルマというのは全国を動き回るものだ。その地域に、その地域以外のドライバーが入ってきた場合はどうなるのか。

もちろん、ブイブイ走ってる(動いている)クルマがバチバチッとやれば、それはパッシングであり、停まってるような状態のクルマがプチッと点滅させたら、それは謝礼と“謙譲”だ。そのくらいの区別は、その場の状況とクルマの動きで判別できるだろうと、こういうご指摘はあろうかと思う。それはその通りなのだが、しかし、時には微妙な状況というのはある。そもそも簡単なハナシが、相手からパッシングされたとして、その場合には止まる(譲る)べきなのか、それとも「ゴー!」か。相反する答えが二つあるのが困るのだ。

ごく個人的には、こうした現実についての対応策は持っている。雉も鳴かずば打たれまい……である。いま、自分が走っている地域でのパッシングライトの役割が「追い越したい」なのか“謙譲”なのか。それは、そこに住んでみないとわからない。そうだとすれば、消極作といわれてもこれしかない。そう、パッシングは一切使わないことにするのだ。

もし、他車にお礼をしたければ、窓を開けて手を上げる。あるいは、見えないかもしれないが、車内で一礼する。そのクルマの前に出られたら、ハザードを一瞬つけて謝意を表わす。追い越したい時? うーん、そういう野蛮な(笑)行為は基本的にしない。パッシングを封印することで、運転において人様の迷惑になることが少なくなっているのなら、それはむしろ慶賀すべきことかもしれない。

それにしても、こうした動作(パッシングなど)の意味を、全国区レベルで共通にするというのは、本義としては、やはり交通警察の役目なのだろうか。それとも、こういうことこそ、ジャーナリズムが先導すべきなのか。ハザードでお礼をすべきかどうかなんてのは、どっちにしても実害は少ないのでどうでもいい。ただ、この“パッシング問題”は、解釈の違いによっては危険にもつながる。気にはなっているのだが、パッシングにおいて、異なる二つの習慣を抱えたまま、この国のトラフィックは推移し続けているようだ。

(ワゴニスト誌 2001年記事に加筆修整)

○2015年のための注釈的メモ
これは2001年に書いたものだが、状況は当時もいまも、ほとんど変わっていないのではないか。私自身についていえば、パッシングは封印したまま今日に至っている。そして、パッシングを「謝辞」として用いようという日本の人々の穏やかさと優しさには、心中秘かに拍手を贈る。この国で「クルマに乗る」という行為を「闘い」にはしない。そうした自然発生的な協調の精神が、パッシングを「お礼」に使うことに行き着いた。真に大衆的なクルマ社会が生み出した、新たな規範のひとつであると思う。
Posted at 2015/11/30 21:12:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2015年11月25日 イイね!

【90's コラム】ダイハツ・ストーリアの野望

【90's コラム】ダイハツ・ストーリアの野望たしかに、このクルマのフロントマスクを顔に見立てれば、ちょっと目は眠たくて、そのくせ、口もとだけは割りと派手め。そんなアンバランス感もあり、また、近頃では珍しい“顔っぽい”タイプのフロントだとは言える。それは認めるとして、でも、ぼくがもしこのクルマを作ったエンジニアだったら、異星人みたいのが意味なく蠢いていたあのTVのCMは、けっこう悲しいだろうな……。

このクルマは、単に顔がちょっとファニーというだけのクルマか? 作った側として、言いたいことはそれなのか? あるいは“笑える”材料を探すことだけが、いまの「広告表現」なのか? そんなことも言いたくなるが、もっとも、よく考えてみると、CMっていうのは当のメーカーがOKしたから世に出ているわけだ。つまりは、ダイハツ自身もこのクルマを“笑える存在”と認識してたのか。

……フム、じゃあメーカーの意向はほっとこう! ともかくぼくは、このダイハツ・ストーリアというクルマについては、顔の細部はどうでもいい。このクルマで注目すべきは、何といっても「柱」(ピラー)だと思っている。そしてそこには、「RV」の隆盛という洗礼を受けた後の「セダン」(普通のクルマ)はどうあるべきか。その答えのひとつがあるとも見ている。

このクルマを一度、正面からでもじっくり見るとわかるが、こんなに各ピラーが「立っている」クルマは滅多にない。このストーリア、実はおそろしく「四角い」クルマなのである。ルーフに向かっての、いわゆる“絞り込み”が異様に少ない、そういう造形──。むしろ細部が妙にオシャレなのは、その“四角四面”ぶりを目立たさせないための工夫なのではないかと思うほど。……そうか、顔だけに注目してくれというCFは、その意味ではメーカーの意図と戦略に忠実だった? 

しかし、四角いカタチであることを恥じる必要はない。そういう造型にすることによって、室内では、肩から上の部分での想像を超えた余裕が生まれる。そして、この“四角造型”によってユーザー側が受けるデメリットというのは、実は何もない。

そもそも、いわゆる「RV系」のクルマたちは、この“スクエア造型”路線と「高さ」の主張によって、ユーティリティと快適性を稼いできた。一方で、セダン系がヘンにスポーツを志向し、ちっちゃなルーフはカッコいいとして狭苦しいセダンを作っていた。これでは勝負は見えている。

「パッケージング」とは、いつまで経っても、なかなかこなれない語ではあるが、あくまでセダン型でその要素を重視すると、クルマのカタチはどうなるか。その貴重なトライが、このストーリアの造型なのだと思う。

これからのセダン(日常使用車)は、パッケージングに優れた四角いカタチをどう(カッコよく)見せるかがキモになる。また、全高のある(ありすぎる?)「RV」が必ずしも実用性が高い……わけではないという側面もある。そして、まだまだセダンには存在理由がある。そんな時代が生んだ、あるいは、そんな時代を超えようという野望を抱えた、ダイハツからの新提案。いま、ストーリアがおもしろい!

(ダイヤモンドEX誌 1998年)
Posted at 2015/11/25 19:13:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代こんなコラムを | 日記
2015年11月22日 イイね!

スポーツcolumn 【ゴルフ】勝たなかった時のイ・ボミ 《2》

あるいは、アメリカ・ツアー戦の一環として行なわれたトーナメント、TOTOジャパン・クラシックでのファイナル。この試合は、米ツアーのA・スタンフォードと日本ツアーのアン・ソンジュ、李知姫。この三人によるプレーオフとなっていた。そして日米ツアーの交流という意味もあってか、出場選手は最終組が競技を終わるまでは現場(最終ホール脇)にいなければならない。そんな不文律もあったようである。

そのように、参加した選手のみんなが見ているプレーオフの1ホール目。スタンフォードと李知姫は、グリーンには載せたもののカップからは遠く、二人ともバーディは成らなかった。アン・ソンジュもそんなに近くはなかったが、でもバーディの可能性はあった。

そして、下りの微妙なライン、ゆっくりと転がったソンジュのボールがカップに消えた時、並んでいた出場者の中で、弾けるように飛び跳ねた選手がひとりだけいた。そのイ・ボミはすぐに駆け出し、グリーンを降りようとするウイナーに抱きつく。この優勝の時にアン・ソンジュが図らずも泣いたのは、たぶんボミのせいだ。

この場合、アン・ソンジュが同国人だから祝福したのだろうという解釈は、おそらく正しくない。もし日本選手が勝ったとしても、イ・ボミはやっぱりジャンプしたのではないか。彼女は、日本ツアーの選手が米ツアーの試合で勝ったことが嬉しかった。そのくらいに、イ・ボミ、そしてアン・ソンジュは、自身が日本ツアーの一員であることを、喜びとともに強く意識している。

韓国で賞金女王になったイ・ボミは、日本に来てさらに充実し、強いプレーヤーになった。またアン・ソンジュは、顔立ちがどうかではなくゴルフの「プレー」を見てくれる(と語っていた)日本のギャラリーに感激し、この国で“解放”されて賞金女王になった。そんな二人が日本ツアーを愛していることは観客にも自然に伝わる。コース上での「アンちゃん」「ボミちゃん」はそうして誕生したのであろう。

伊藤園レディスの優勝スピーチ、その最後に、イ・ボミはこんなことも言った。「これからも、ゴルフも日本語も頑張ります。応援よろしくお願いします」──。中継の番組や各メディアにとっては、イ・ボミが流暢に日本語で対応してくれることは便利であり、そして取材もしやすい。それはそうだろうし、彼女の努力もまた素晴らしい。ファンにとっても、彼女の日本語対応は嬉しいことだと思う。

ただ、たとえばポーラ・クリーマー、カーリー・ウェブ、こうしたプレーヤーが優勝した時に、メディアは彼女たちに日本語で話しかけるか? すべての「外国人」プレーヤーに、私たちは同じ「スタンダード」を適用しているか? 

契約しているクラブ・メーカーのPRビデオに、イ・ボミが出演しているのを見たことがある。彼女は日本語を駆使し、一般的な質問にはすべて日本語で応じていた。ただ、打った時のフィールといった微妙な部分になると、彼女のコメントに韓国語が混じり始める。もちろんこれは当然なことで、外国人のイ・ボミが日本語で表現できることには、やはり限りがあるのだ。

優勝インタビューなどでのイ・ボミのトークを見ていて、思うことがある。「みんな見とった? 勝ったとよー!」と、時に方言さえサービスしてしまう彼女の日本語を聞くのはたしかに愉しい。しかし、ひとつの礼儀として、外国人プレーヤーへの取材には通訳を付けるという配慮と意欲がメディア側にあっていいのではないか、と。母国語だからこそ話せる、伝えられるといったことを、メディアは外国人選手から引き出すべきなのだ。

そういえば彼女に付いている大勢のギャラリーから、「イ・ボミ・シ、ファイティン!」といった韓国語での応援が発せられることはあるのだろうか? それとも、軽々と“国境”を越えてしまったイ・ボミにとっては、日本語で声をかけられた方が、いまやずっと嬉しいのか?

ともあれ、日韓の「ボーダー」を独りで「レス」にした小さな親善大使、イ・ボミの偉業にあらためて拍手を! そして、一年越しの念願、マネークイーンの獲得おめでとうございます。こういう時は「チュカエヨ!」でいいんでしたっけ?

(了)
Posted at 2015/11/22 06:28:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
2015年11月21日 イイね!

スポーツcolumn 【ゴルフ】勝たなかった時のイ・ボミ 《1》

11月15日の伊藤園レディスで、今季の6勝目。年間獲得賞金2億円と2015年の日本ツアー賞金女王を同時に決めた女子ゴルフのイ・ボミ。

30センチほどの短いウイニング・パットを沈めた後、彼女は左手のパターとともに一度だけ両手を上げた。笑みこそ見えたが、喜びを爆発させたたというほどのアクションではなく、グリーンそばで待っていた母のファジャさんとも、むしろ遠慮がちな軽いハグを交わしただけだった。TV中継でのインタビューで、優勝(賞金女王)が決まった瞬間は、まるで「夢の中にいるよう」だったという意味のことを(日本語で)語っていたが、その通りに、一瞬何も見えないような状態に陥っていたのかもしれない。

いま日本の女子ツアーで、最も多くのギャラリーを引き連れてラウンドしているプレーヤーは「イ・ボミ」だといわれる。外国人の私なのにみなさん応援してくれて……と、当の本人が不思議がるほどだが、それにはやはり原因と理由があるのだと思う。あくまで中継の画面を通してでしかないが、プロ・ゴルファー「イ・ボミ」がどんなプレーヤーなのかを少し書いてみる。

彼女のニックネームである“スマイル・キャンディ”は、韓国のメディアやファンが付けたものだという。その通りに、たしかにその笑顔は印象的なのだが、ただ彼女はところ構わず笑っているわけではない。ある日本女子プロの中堅選手に、大先輩が「歯を見せてヘラヘラとプレーしていてはダメよ!」と叱責したことがあったが、イ・ボミの場合はそのアダ名のイメージとは異なり、スマイルしてない時間の方が(コース上では)ずっと長い。

ただ、イ・ボミで見事だと思うのは、仏頂面というか不機嫌というか、そういう観客としてもあまり見たくないような表情をほとんど見せないことだ。ゴルフはメンタルなスポーツであり、その時の調子やスコアがいいのか悪いのか、顔を見ただけですぐにわかる……というプロは多い(というか、ほとんどだ)が、イ・ボミは違う。プラスマイナスでいうなら原点以下であろうというような状況であっても、彼女はそれを顔には出さない。だから観客は彼女の笑顔だけを憶えて、“スマイル・キャンディ”という称号を贈ったのだろう。

そして、勝たなかった時のイ・ボミ! これがなかなか「粋」なのだ。たとえば試合では、先に競技を終えて、スコア提出室で後続組のプレーを見ているという場合がある。その最終ホール、同スコアで首位に並んでいたライバル(この時はテレサ・ルーだった)がスーパーショットを見せて、バーディは間違いなしという距離につけた。このショットでほぼイ・ボミの負けが決まり、プレーオフもないだろう……ということになった時、彼女はあのスマイルとともに拍手した。

(これとまったく同じことをしたプロを見たことがあった。申ジエである。後続組を待っていて、そしてライバル選手の良いショットがあった。自分の負けを見届けた彼女はいつものように穏やかに笑い、勝者となるプレーヤーとそのプレーを拍手で讃えていた)

あるいは今年、原江里菜が7年ぶりだったか、久々に勝利した試合があった。(いい部屋ネットレディス)この時にイ・ボミは、後続の原が上がってくるのを18番ホール脇で、笑顔を見せながらずっと待っていた。

この日(最終日)のイ・ボミは絶好調で、驚異的なまでにバーディを積み重ね、終わってみたら首位と1打差というところまで駆け上がっていた。したがって競技がプレーオフになる可能性もあり、2位だったボミは帰れなかったのだが、しかし、その理由だけで18番ホール脇に残っていたのではなかっただろう。(プレーオフに備えてなら、プレーヤーは普通、パッティンググリーンに行く)

首位のまま18番に来た原江里菜は、最終ホールをパーでまとめた。久しぶりの勝利だ。同組だったアン・ソンジュが原を抱き締めて、原の目から涙があふれる。そして、その二人が並んでグリーンを降りてくるのを待っていたのはイ・ボミ。ソンジュはもう、ボミが何をしたいのかがわかっている。(私はハグしたから……)というようにさり気なくソンジュが原から離れた時、ボミは両手を拡げて突進していた。その後に繰り広げられたのは、全身で原の身体を締めつけるようなイ・ボミの強烈なハグだった。

(つづく)
Posted at 2015/11/21 15:53:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
2015年11月18日 イイね!

「多摩川スピードウェイ」の回顧展

「多摩川スピードウェイ」の回顧展少し前にこのブログに掲載した「日本における自動車レースの“曙”」の中で「多摩川スピードウェイ」に触れたが、その歴史を回顧しようという展覧会が開かれる。この「スピードウェイ」を日本のモータースポーツ発祥の地として、写真や映像、そして当時走ったクルマ(レースカー/オオタ号)の実車も展示して振り返ろうというものだ。

この展示が行なわれるのは、多摩川を挟んだ東京都側、大田区田園調布にある「田園調布せせらぎ公園」(東急東横線多摩川駅前)の集会室。かつて大田区側にあった遊園地の多摩川園やテニス場(田園コロシアム)などとともに、神奈川側の「多摩川スピードウェイ」は、日本の「近代化」を象徴する施設だったという史観に基づく。

展示内容としては、まず、「多摩川」での第一回から第四回までのレースの様子を伝える写真。そして映像として、第一回と第二回のレース。さらに、藤本軍次、本田宗一郎、太田祐雄、片山豊といった関係者のプロフィールと紹介。加えて、第一回レースに優勝した「オオタ号」の実車、そして当時の風景画など。

開催日時は11月の21日~22日。大田観光協会と「多摩川スピードウェイの会」の共催で、問い合わせ先は一般社団法人大田観光協会(担当栗原氏 tel :03-3734-0202)となっている。
Posted at 2015/11/18 11:36:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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