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家村浩明のブログ一覧

2015年12月18日 イイね!

「パジェロ」を消すな!

「パジェロ」を消すな!あのパジェロが消滅するかもしれない……というニュースがある。もう新型の開発は行なわない、つまり次期型を作らないというもので、12月5日の日経電子版でも「新規の開発は中止」することが報じられている。

一世を風靡したモデルが現行型を最後に消える(かもしれない)というのは寂しいし、いろいろと感慨もあるが、しかし逆に、これはチャンスではないのか!という気がする。あるコンセプトで通したモデルが、時が流れて、状況や市場に合わなくなった。こういうのはアタリマエのことであり、もし、合わなくなった(売れなくなった)のなら、「時代」や「人」に合わせて変貌させればいい。消してしまおうではなく、どう変えるかである。

“あの頃のパジェロ”は、「時代」とさまざまな幸運にも恵まれ、空前のヒット作になった。人々が「クルマ」に関してフリーな感覚を持ち始めた時期、従来のジャンル以外で「乗用車」にできるものを探し始めた。マルチパーパス(多用途性)はその通りだったし、クルマ(乗用車)はこうした“変種”であってもいいという提案をメーカーとユーザーで共有できた……など、さまざまな“ヒット要素”が1990年代のパジェロを取り巻いていたと思う。

一方でメーカーは、パジェロのヒットの原因をどのように捉えていたのだろうか。強力なオフ性能を持つクロスカントリー車、それを証明するためのモータースポーツ・シーンでの活躍と実績。これらがメーカーがパジェロに与えたポジショニングだったようだが、ただ、ユーザーそしてカスタマーは、このクルマをもっと「広義」に受け止めていたはずだ。

そもそもパジェロが一世を風靡していた当時に、既に、オフロードを一切走ることなくその生涯を終えるパジェロがいる……という笑い話があった。「クロカン+スポーツ」というメーカーの措定は、カスタマー&マーケットによって別のものに置き換えられていた。(アメリカはそういう現象に対して、新たに「SUV」という言葉を作ったのではないか?)

「乗用車」にはいろんなタイプがあっていい。そういう“受け皿”にパジェロも収まっていて、そして2000年代になると、その“受け皿”に「クロスオーバー」という言葉と要素が絡み始めた。もちろん三菱もそれを読んで、アウトランダーという新しいクロスオーバー・モデルを世に問うたのだろう。アウトランダーは、私見では「セダン+ミニバン」のクロスであり、これは正しい戦略だと思うが、だからと言って“あのパジェロ”を消してしまうことはない。

たとえば全輪駆動車とかオフ性能、あるいはクロカン車をイメージしたい場合に、米人なら「ジープみたいな」というかもしれないが、私たちは短い言葉でわかってほしいなら「パジェロみたいな」と言うのではないか。そのくらいに、この国では「パジェロ」は浸透した。

そういえば、“本家”ともいえる「ジープ」は、2015年に「史上最小のジープ」と謳って、コンパクトSUVの「レネゲード」をデビューさせている。われらがパジェロだって、この種の手口は使える。仮に、いま作ってるパジェロが売れなくなったのなら、どんなパジェロなら売れるのかと、新たにコンセプトを立てればいいのだ。

1990年代の「RV」ブーム以後、わが国のクルマは多様化した。クロスオーバーという言葉が日本でついに流行らないのは、極言すれば、90年代後半以降の日本のクルマがすべて“クロスオーバー車”であるからかもしれない。それぞれのジャンルが他のジャンルを互いに学びあって、世界に類例がない“脱カテゴリー”状態のマーケットになっている。

そんな状況であるからこそ、2010年代後半から2020年代に向けて、伝統のパジェロをどう作るか。あるいは、どんなニューモデルに「パジェロ」という名を与えるか。それがメーカーとしての腕の見せ所であろう。

たとえば、米国の高級ブランドというキャデラックでも、1950~60年代の華麗なるテールフィンの時代と、ダウンサイジングしてSUV風までラインナップに加えた今日のキャデラックでは、バッジ以外の共通性はほとんど何もない。しかし、それで通る、もしくはそれで押し通す。これがブランド戦略というもののはずだ。

クルマのカテゴリー、その“垣根”が消失しかけている今日とこれからだからこそ、「パジェロ」のようなブランドが活きる。パジェロを──正確には「パジェロ」という「名」を消すな! 2015年、メーカーに提言したい。
Posted at 2015/12/18 17:56:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 茶房SD談話室 | 日記
2015年12月15日 イイね!

ハンドル位置と「左ウインカー」

> ウインカーのレバーはドライバーにとっての「窓側」にあるべし。これがクル
> マ作りの原理もしくは不文律のひとつなのだと、あらためて気づく。この理由
> の探索は、今後の課題ということで……。

こんな締めくくりで終わってしまった前回だったが、その答えらしきものをひとつ見つけた。「日本製の右ハンドル/MT車」に乗っていた頃は、そういえば、ウインカーの操作をしながら、同時にシフトダウンもしていた。つまり、右手と左手では違う“仕事”ができるようにする。こうした役割分担から、ウインカーのスイッチ/レバーは「窓側」にあった方がいいとなったはずだ。

……というか、これはちょっと順番が逆なのかもしれない。“馬なし馬車”から「自動車」になり、さらに「丸ハンドル」でクルマの操舵を行なうようになった時に、「窓側」ではない方のドライバーの「手」には重要な仕事が付与されていた。そう、ミッションの操作である。左ハンドル車なら右手、右ハンドル車であれば左手が、車体の中央付近に位置する変速機のレバーを操作する役目を担った。

そして、ステアリングとペダルとシフトレバーだけでクルマを操作していた(短くない)歴史の後に、「方向指示器」という社会的なパーツが出現する。その際、ウインカー・レバーの操作は、空いていた方の手に委ねられたが、これはむしろ必然だっただろう。つまり「窓側」の手で、方向指示器は操作する。このようにして、「右ハンドル → 右ウインカー」「左ハンドル → 左ウインカー」という習慣、もしくはクルマ作りの原則がまずは定着したと思う。

なぜ、左ハンドルと右ハンドルの二種があったかというのは、右側通行と左側通行の“二制度”があったからで、この点に突っ込んでいくと、また別のハナシになってしまうが、ともかく現象として、ヨーロッパ大陸ではクルマが右側通行であり、ドーバー海峡を隔てた島々の英国では左側通行だった。

ただ、こうして欧州圏だけを見ると、大陸側が圧倒的に優勢のようだが、ただし“大英帝国グループ”というものが存在したので、地球規模では「左側通行/右ハンドル」である国や地域はそんなにマイナーではなかった。オーストラリア、ニュージーランド、インド亜大陸、マレーシア、香港、シンガポール、ケニア、南アフリカ、マルタなどが「英領」であり、さらには、どこの「領」にもならなかったが、仏領インドシナとビルマ(現・ミャンマー)の間に位置していたタイなど。これらの国や地域が「右ハンドル」で、わが国も1860年代(明治)の“開国”期に、おそらくは英国に倣って「左側通行・右ハンドル」を採用した。

そして、欧州大陸圏と英国圏、それぞれでクルマを作り、使い分けていた時代はよかったのだが、やがて、クルマが「国際商品」になる時代が来る。そして、この「左ハンドル/右ハンドル」問題にISO(=国際標準化機構)が介入し、ウインカー・スイッチの位置はどうする、どのように“標準化”するのかということになった。この時、欧州大陸側の意見が支配的であるISOに、少数派の英国側がさして抵抗せず、右ハンドル車を作る場合に、左ハンドル車のステアリングとそれに付随するスイッチ類を「そのまま」右側に移せばそれでいいという決定に従ったといわれる。これはたぶん、その通りであったのだろう。

この「ISO決定」以後、英国で生産される英国向けのクルマ、これは当然「右ハンドル」」だが、その仕様であっても、ウインカーの操作レバーは左側(車体中央側)に付けられるようになって、今日に至る。

一方、日本の場合はどうなっているかというと、JIS規格で「右ハンドル車のウインカー・スイッチは右側に」と決められているのだそうだ。でも、これは毅然たる姿勢でいいと思う。なぜなら「右ハンドル/左ウインカー」にすると、左手だけがやたら“忙しい”(笑)ことになるからだ。

つまり、「右ハンドル/右ウインカー」は合理的であり、“ガラパゴス”などと非難されるべきものではない。左右の手を均等に使ってクルマを操作するという意味でも、今後ともキープされるべき仕様であると考える。

ただ一方で、どんな仕様のクルマに乗ったとしても、ウインカー・レバーは「左側」に付いている。だから、この点だけは間違いようがない。……というメリットが一方であることも認める。これ(共通認識)こそがISOの狙いであるのだろうが。

まあこういう問題で、私たちの場合は、よくも悪くも「島国」であることを意識しつつやっていくしかないのではないか。島国だからこそ「右ハンドル/右ウインカー」の利便性も享受できる。これがたとえば、半島国家の韓国であれば、巨大な中国大陸とつながっていることを考えずに、トラフィックのシステムを決定することはできなかったはず。(ちなみに中国は右側通行/左ハンドル)

ただ、これから先の問題として、右ハンドルでも「左ウインカー」が事実上のワールド・スタンダードとなっていった時に、たとえばタイやネパールといった「右ハンドル車」の国に日本製のクルマを輸出する場合はどうするか。こういったことが浮上するかもしれない。この場合は、それぞれのマーケットで、右ハンドル車でウインカーはどっち側に付いているのが多いのか。こうした状況なども読みながら、ひとつひとつ個別に対処していくことになるのだろう。

ただし最後に、そして繰り返しにはなるが、私はこの日本では、これから先もずっと、たとえAT車であっても、「右ウインカー」でクルマを運転したいと思う。“ガラパゴス”けっこう! これは“島国の民”の特権である。
Posted at 2015/12/15 08:11:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ史探索file | 日記
2015年12月10日 イイね!

【90's コラム】VWパサート教習車とウインカーの位置

がっしりとしたボディのデキの良さで、アッパーミドルクラスに新風を巻き起こしている新生VWパサートに「教習車」が出現した。ベース車両となったのはノンターボのパサート1.8で、その性格上、教官用の補助ミラーと補助ブレーキが付いている。このブレーキは、当然ながらABS対応という。

そして、注目なのがワイパーとウィンカーレバーの位置である。この教習車パサートは、「ワイパーもウィンカーレバーの位置も国産車と同じに変更して」あり、「他の教習車から乗り換えても違和感のない操作ができる」(リリースより)ようになっているのだ。

この二つのレバーの位置というのは、ベテランのドライバーであっても、日本車と輸入車を乗り換えると、しばしば最初のカドや交差点でワイパーが動いてしまうことがある。ハンドルが「右」に付いていると、どうしても日本車と同じようにカラダが反応してしまうようだ。

さて、教習車なのだから他のクルマと同じに……というVWのスタンスはわかるとして、でも、ここでソボクな疑問が生じる。教習車でそれができるのなら、どうして一般の市販VW車は「右ウインカー」方式になっていないのか。さらには、この“間違いようのない”パサートというのは、いったいドコで作っているのか。どこかの工場製であるのなら、わが国にはそれを輸入すればいいではないか。こういう疑問である。

だが、聞いてみると、この教習用パサートというのは、日本国内の特殊架装メーカーによって、まったくの手作り状態で制作された超スペシャルだった。とてもじゃないが、一般市販車に適用できるような方法で作られたものではないということ。そうか、やっぱりね……。これまでにも例があった輸入車の教習車は、メルセデスにしてもオペル・ベクトラにしても「ちょっとヘンだったけど(日本車と同じ位置に)変更した」とは、それらを取り扱ったヤナセの弁だった。

ただ、そこまでわかってくると、今度はもうひとつリクツをこねたくなる。そもそも「左ウィンカー」のままだっていいじゃないか。世界にはいろんなクルマがある。そのことをドライバーに教えるのも、リッパな“教習”ではないのか……なんて、ね。

さて、この教習車というものだが、実は、教習車はこうでなければならないというような規定は何もないのだそうな。この場合にカスタマーとなる教習所の側が、どういうクルマを自分のところの教習車として設定するかと、ただそれだけの話なのだという。

そして、このフィールドで立場を貫いた(?)ところがあって、それがBMWだったとか。同車を導入した教習所が「ウチは教習車がBMWなんですよ~」ということをウリにしたからでもあるが、318iの左右のレバー、その位置と機能はオリジナルのまま。この場合は、国産車とは違うというその違和感こそが必要だったのだろう。日本のマーケットで、輸入車をどう位置づけるか。このことについて、こと教習車だけを見ても、各社の微妙なスタンスの違いが出ているようだ。

(「ワゴニスト」誌 1998年記事に加筆修整)

○2015年のための注釈的メモ

量販車メーカーと高級車メーカーの、マーケットやカスタマーに対する姿勢の違い。ケンキョなVWとゴーマンなBMWを対比させたつもりだったのかもしれないが、果たして、そうなのか。よく考えてみると、BMW側は別にゴリ押しはしていない。「318だったら『左ウインカー』のままでいいですよ」、BMW様はどうぞそのままで……という判断をしたのは教習所側だったはず。そうしたマーケティングの一環として、「違い」がいっぱいの教習車を用意し、それが“客寄せ”にも有効だという判断。教習所側がそうしたくなる“何か”が、この時期(1990年代後半期)にはあったということであろうか。

ところで、運転席に設定される二本のレバーだが、普通にクルマを設計・生産すると、運転席の「窓側」の方にウインカー・レバー、そして車室中央側にワイパー関連のレバー&スイッチ類を配する。これがどうやら“自然”であるらしく、右ハンドル車/左ハンドル車のどちらであっても、基本はそのようになっている。

ただ例外的なのが、欧州の大陸内で設計・生産された右側通行用のクルマを、英国の左側通行/右ハンドル仕様に仕立てた場合──。二つのレバーの機能は変更せず、すなわち「左ウインカー」設定のままで市販車とする。どうして、そんなハンパ(?)がまかり通ったのかというと、大陸車をブリテン島で乗ろうとした英人が「あ、いいよ。そんな(些細な)ことは、そのままで」と言っちゃったからであると、1990年代のジャーナリズム上では信じられていた。

その後、この時の“寛容なイギリス人”(笑)の判断はいつの間にか世界基準となり、世界中の右ハンドル・マーケットに出される、最初は「左ハンドル」だった(?)モデル群はすべて、「右ハンドル+左ウインカー」という仕様になって今日に至っている。ただし、例外はあった。トヨタとGMが組んだ米国NUMMIが日本市場向けの米車(キャバリエ)を作った際には、しっかり「右ハンドル+右ウインカー」だったのだ。日本人、そして米人は、英人ほどに“寛容”ではなかった。

そして最後に。この問題は「右か左か」よりも、ウインカーのレバーはドライバーにとっての「窓側」にあるべし。これがクルマ作りの原理もしくは不文律のひとつなのだと、あらためて気づく。この理由の探索は、今後の課題ということで……。
Posted at 2015/12/10 04:20:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 90年代こんなコラムを | 日記
2015年12月07日 イイね!

【90's コラム】横置き6気筒

やはり「世界初」というのは、うかつには名乗れないようだ。クルマの歴史で真に革命的な発明というのは、ただひとつ「ロータリー・エンジン」だけであると、かつて読んだことがあるが、これでもわかるように、このクルマ世界のほとんどの「技術」は、実はムカシからあるという場合が多いからである。

たとえば、相当なハイメカニズムと思えるDOHCというエンジンの機構がある。しかし、これの誕生の時というのは、実はクルマの草創期である1912年だったりする。この年、フランス・グランプリに出走したルノーが、このメカを搭載していたというのだ。

これでもわかるように、19世紀末期に始まる自動車史とは、「新発明」の歴史というよりも、かつて発明されていたものをどう「効率化」してきたかという歴史なのかもしれない。この種の発明時期について、折口透さんの名著「自動車の世紀」にあたってみると、何と、スーパーチャージャー、独立懸架、オートマチック・トランスミッション(AT)、四輪駆動(4WD)、ターボチャージャー、エンジン横置きのFF――これらのすべてが、実は1905年よりも前に(!)出現していたという驚くべき事実を知ることになった。

さて、このように侮れない「世界初」という“称号”だが、これをめぐって、最近ひとつ小さな事件があった。「先般お送りしました資料中でこの表現を用いましたが、それを訂正致します」……こういうメールが、あるメーカー/インポーターから配られたのだ。その発信元は、ボルボ・カーズ・ジャパン。そして、その対象となった機種は、5月末に発表されたばかりの同社のフラッグシップカー、ボルボS80だった。

この新プレスティージカーは、850~S70系で採用している「FF横置き5気筒」をさらに発展させ、このS80では、ついに直列6気筒エンジンを横置きにして搭載した。ここまでやったクルマはほかにない、これはレアどころか世界初だ……と誰もが思ったに違いなく、同社もすかさず、S80のプレスリリースに、このエンジン搭載方法について「世界初」のシステムであると謳った。

ところが、これがそうではなかったのである。クルマに詳しいことでは人後に落ちない人々が多数棲息しているのがモーター・ジャーナリズムだが、さっそく、あるジャーナリストから間違いの指摘があったという。時は1972年のイギリス。まだブリティッシュ・レイランド=BLが元気だった頃に、上級モデルとしてモーリス2200/ウーズレー6という市販車があった。そして、これらのモデルが6気筒エンジンを横置きに搭載していたのだった。

こうして、プレスリリースの訂正という珍しい事態になったのだが、この件は、新ジャンルカーに挑んだボルボの意気込みが、ちょっと勇み足を生んだということか。ともあれ、ほとんどのものが過去にあったのがクルマというものの歴史。そのことをあらためて気づかせてくれた“事件”ではあった。

(「ワゴニスト」誌 1998年)
Posted at 2015/12/07 09:17:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 90年代こんなコラムを | 日記
2015年12月05日 イイね!

【00's コラム】同時代は「似る」Ⅱ ウイッシュの場合

【00's コラム】同時代は「似る」Ⅱ ウイッシュの場合スタイリングとしてSUVまでは跳んでなく、しかしミニバンよりはスマートかつシャープ。そして“乗用車寄り”に立ち位置を設定しつつ、場合によっては5人以上乗れる許容量がある……と、そんな現代ニッポンのニーズをまんま一台にしたような新型車が登場した。トヨタのウイッシュである。

そしてこのクルマ、立ち上がりの販売状況を見ても、まずは上々のスタートをしたといえそうなのだが、一方で、ひどくネガティブな反応もあるようだ。それはどうも、このクルマのディメンションやサイズが、既に市場に出ている「某社某モデル」に近似しているということらしく、たとえばボディサイズの数値では一部が同一であるともいう。

そのあたりの“ソックリぶり”をもって、後発車ウイッシュは、先発モデルのマネをしたけしからん機種だ!……ということらしいのだが、ただこれ、ジョークならともかく、クルマがそうやって(何かのデザインをマネして)作られているというのがそもそもハズレだし、また、評論としてなら、それはかなり粗雑でもある。

まず、誤解を恐れずに言えば、クルマという商品の場合、「同時代は似る」という大原則がある。逆にいうと、あるメーカーから、他の競争相手とは似ても似つかないものが出てきたら、それは「時代」と対した場合に何かのファクターが欠けていた。あるいは、何かの要素を故意に抜いて無視した結果の“個性”である。たとえば今日、「空力」を考えなければ、他車とは異なる独自のスタイリングができあがるだろうが、それがマーケットで評価されるかどうかは、また別の問題になる。

クルマとはしばしば、「外的な条件」によって、その企画や要件が左右される。この場合の条件とは、有形無形のレギュレーション、また市場の状況などで、無理やりまとめてひと言にすれば、それはやっぱり「時代」ということだろうか。クルマは、人(エンジニアやデザイナー)が作るのではなく「時代」が作っている。だから、おもしろいし興趣も深いのだ。

ハナシはちょっと飛ぶが、そうした外的条件、もっと言えば「規格」に則ってクルマ作りをすることにおいては、ジャンルは大違いだが、F1マシンと軽自動車がその双璧だと思う。この二つはともに、それぞれのジャンル内では、ライバル同士であっても、基本的なレイアウトや造形での区別が付かない。フォーミュラ・ワン車の格好は、同時期・同時代であれば、みんな“同じ”である。

そして話題の(?)ウイッシュの場合だが、サイズは5ナンバー枠にする、3列目のシートを設定、市街地での駐車を考えて全高も抑える……というのが、このクルマの要件だった。レギュレーションは一見なさそうに見えて、しかし実際は、ほとんど軽自動車並みにきびしい。それがこのクラス、このジャンルでの「規格」で、この点においては、このクルマに先発したことを誇る「某社某モデル」も、まったく同じだったはずだ。

クルマのコンセプト・ワーク、デザイン・ワークは、新型車として発表される何年も前に、それぞれのメーカーの奥深いところで行なわれている。したがって、互いに相手のマネをすることは、まず不可能。どこがどこのマネをしたウンヌン……よりも、ほぼ同時期に、異なる二つのメーカーが同じようなコンセプトでクルマを企画し、生産・販売した。このことの方がよほどニュースであり、ジャーナリズムが探究するなら、むしろこのネタの方を突っ込むべきであろう。

(「ワゴニスト」誌 2003年記事に加筆修整)
Posted at 2015/12/05 19:28:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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