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家村浩明のブログ一覧

2016年08月31日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《6》

郊外の道を行くスバル。蔵王に向かって道が登りになり、遅い軽自動車は“ペースカー”状態になって、スバルの後方にはクルマの列ができてしまった。路肩の駐車スペースを見つけたトシオは、すばやくクルマをそこに寄せ、後続車を追い越させる。サンキュー!というクラクション。クルマについてのリアリティ(よくあること)を、この映画は何気なく挟んでくる。

蔵王に着いて、眺めのいいカフェ。小さなテーブルで向かい合って、トシオはコーヒー、タエ子はコーラを飲んでいた。ここでトシオは、いきなり訊いた。「タエ子さん、なして結婚しないんですか?」

向かい合った若い男女の間での「結婚」という言葉、さらには、未婚の理由の問いかけ。図々しい、非礼な!……という見方はもちろんできるが、この時のトシオは、ただ率直なだけだったのではないか。トシオはタエ子を「恋して」はいないが、しかし、去年、稲刈りの後の酒盛りには参加したし、今回、早朝に駅に迎えに行けと言われても断わらなかった。トシオがタエ子に「興味がある」ことは明らかで、タエ子が未婚であることも、既に本家から聞いて知っていたはずだ。

自分の身の回り(山形)では、女は「適齢期」になれば周りが放っておかないし、だいたいみんな“片づく”というか嫁に行く。でも東京では、そのあたりは事情が違うのか。さらには、“東京の女”タエ子に彼氏はいるのか。そして、いないから結婚してないのか、いや、いるのに“まだ”なのか?

誰もが訊きたい質問(Q)その1というか、ともかくトシオが気になることのイチバンをひと言にしたのが、「タエ子さん、なして……」だったのだろう。この時のトシオにとっては、この質問を「しない」ことの方がずっと不自然だった。そしてタエ子にとっては、これは想定内の「Q」で、だから嫌がることもなく即答でアンサーした。「えっ? あ、結婚しないとおかしい?」「いまは仕事をする女性が増えてるでしょ。私の友だちでも、結婚してない人の方が多いくらいよ」

そして蔵王でのタエ子には、そんな「いま」のことより、もっとほかに話したいテーマがあったようだ。
「ねえ、トシオさん。小学校の時、分数の割り算、すぐできた?」
「は?」
「分子と分母ひっくりかえして掛けるって、教わった通りにスンナリできた?」

「小学5年生の自分」を山形に連れて来てしまったタエ子は、ナオコには「エナメルバッグ~父に頬を打たれた事件」を語ったが、同じようにして、ここではトシオに新たな“告白”をしようとしている。

ただしトシオは、そんな小学生の頃のことなど憶えていなかった。
「いいわねえ。憶えてないのは、スンナリできたからよ」
タエ子は続ける。
「分数の割り算がスンナリできた人は、その後の人生もスンナリ行くらしいのよ」
「は?」
言われたトシオは、さらにわからない(笑)。

「リエちゃんというおっとりした子がいてね。算数ぜんぜん得意じゃなかったけど、素直に、分子と分母ひっくりかえして100点!」
「その子は素直にスクスク育って、いまはもうお母さん。二人の子持ちよ」
「私はダメだったのよねえ……。アタマ悪いくせに、こだわるタチなのよね」

……1966年、岡島家の茶の間。小学生のタエ子は、分数の割り算の問題が「25点」だった。その答案を見ている母に、タエ子は懸命にイイワケする。
「あのね、このテストの前ね、図工だったの。 でもって、吹き絵をやったの」
「画用紙に絵の具を垂らしてね、フーって吹いて模様つくっていくの」
「フーって吹くでしょ、フーって」
「あたま、痛くなっちゃったのよね。フーってたくさん吹いたから」

なかなか可愛いシーンだが、母は冷たい。「それで、このお点なの?」「間違ったところの正しいお答え、わかってるの?」「ヤエ子姉ちゃんに、教えてもらっときなさいよ」

しかし、その答案を見たヤエ子(次姉)は驚愕し、大騒ぎで二階から駆け下りて、母に訴えた。「お母さん! なっ、なによこれ。どっ、どうしてなの!」「タエ子、アタマどうかしちゃったんじゃないの!」

「教えてやってって、言ってるでしょ」
「だって普通にやってれば、こんな点、取るわけないわよ」
「だから、普通じゃないの。タエ子は」
二階から降りてきたタエ子にも、このやり取りが聞こえてしまう。顔を見合わせる母と次姉ヤエ子。

“高二の秀才”であるヤエ子は、タエ子が「わからない」ことがわからない……というか想像ができない。
「分母と分子をひっくりかえして、掛けりゃいいだけじゃないの。学校で、そう教わったでしょ」
言いながら、答案用紙に、正しい解き方の式を書いていくヤエ子。

しかし、この時のタエ子が欲していたのは、算数としての答えや、こうすれば答えが出せるというノウハウではなかったであろう。「分数で分数を割る」ということの概念というか意味というか、さらには哲学というのか──。その種の説明を、数学の公式によってではなく、文系の少女であるタエ子にもわかるように、言葉や目に見える図解によって知りたかった。

「分数を分数で割るってどういうこと?」
小学5年生のタエ子は、呟くように言いながら、高二の姉の前で、“自分のための絵”を描いていく。円を3分割して、まず3分の2を設定する。
「3分の2個のリンゴを、4分の1で割るっていうのは、3分の2個のリンゴを4人で分けると、ひとり何個かってことでしょ?」

……私も算数ができないので(笑)、このような「絵」によるタエ子の解釈というかアプローチが、数学的に正しいのかどうかはわからない。ただ“高二の秀才”であるヤエ子はすぐに否定したから、この図解はきっと間違っているのだろう。

“普通人”で秀才である姉のヤエ子は、あくまで自分のフィールドでタエ子に教えようとする。
「とにかく! リンゴにこだわるから わかんないのよ」「掛け算はそのまま、割り算はひっくり返すって、覚えればいいの!」

(つづく)

◆今回の名セリフ

* 「小学校の時、分数の割り算、すぐできた?」(タエ子)

* 「分数の割り算がスンナリできた人は、その後の人生もスンナリ行くらしいのよ」(タエ子)

* 「分数を分数で割るってどういうこと?」(タエ子)
Posted at 2016/08/31 20:54:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年08月30日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《5》

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《5》市街地を抜け、田園風景の中を行くスバル。車内では、タエ子とトシオの会話が弾んでいる。
「紅花摘みに来たって、染色か何かやってるんですか?」
「いいえ、ただの物好き。ほら、紅花って珍しいでしょ」
「いやあ、名前ばっかり有名でね。とうの昔にすたれた特産品ですから。俺ンとこでも作ってないし」

「でも、江戸時代はスゴかったんでしょう?」
「そう、紅花大尽とかね。儲けた人にはスゴかったんでしょうが、百姓にはただの作物ですからね。……えーと、『行く末は 誰が肌ふれん 紅の花』って知ってますか?」
「ええ。 芭蕉の句でしょ。来る前に調べたから」
「へへ、いや実は俺も一夜漬けで(笑)。その本に書いてあったんですけどね、花摘みをする女たちは、一生にいっぺんだって、紅なんか付けられなかったって」

空が明るくなり、話題が農業のことになって、トシオは「有機農業」をタエ子にレクチャーした。
「オレはね、一生懸命やれそうなんです、農業。おもしろいですよ、生きものを育てるっていうのは」
「酪農の方も?」
「あ、そうじゃないです。牛もニワトリも飼ってるけど、イネだってリンゴだってサクランボだって、生きものでしょ」

「有機農業は堆肥なんか使って、農薬や化学肥料はできるだけ使わない農業」「生きもの自体が持っている生命力を引き出して、人間はそれを手助けするだけっていう、カッコいい農業のことなんです」

タエ子は列車から降りてそのまま、農作業をするための畑に向かっていた。それでいいのかと、トシオは先刻、タエ子に確認している。花畑が見えてきて、クルマは農道へと右折。道は穴ぼこだらけで、そこに昨日降った雨水が溜まっている。右折の際にマフラーから一瞬白いケムリが出たのは、R-2のエンジンが2サイクルだからか。(芸が細かい!)

やがて、周りが黄色い花が一面に咲く花畑になる。タエ子はそこで、農家の人たちの満面の笑みに迎えられた。「タエ子さん、よく来たこと」「よく来た、よく来たなあ!」「疲れてないかあ?」

タエ子は「いいえ、ちっとも」「ほら、元気いっぱい」と応じて、彼らに自身のモンペ姿を見せた。これは列車内で、既に着替えていたようだ。「あれえ、モンペなんか穿いて、張り切ってるでねえの」「いやあ、いまどき、ここらの若妻でもメッタに穿かね。タエ子さんの方が、よっぽど本格的だぁ。ハハハ(笑)」

ナレーション
「こうして、私の二度目の田舎生活が始まった」
「この黄色い花から、どうして、あんなに鮮やかな紅色が生まれるのだろう」
「ひと握りの紅を採るには、この花びら60貫が必要で、玉虫色に輝く純粋の紅は 当時でさえ、金と同じ値段だったという」

作業をしている畑に、朝日が昇った。太陽に向かって、手を合わせるおばあちゃん。タエ子もそれに倣っている。こうして花摘みに始まり、その後の処理や加工など、タエ子は一連の農作業の手伝いをしていく。

タエ子のナレーション。
「いまでは機械を入れたり、いくぶん手間を省いてはいるけれども、こうした作業のすべてを、毎日、花摘みをしながら繰り返す」
「花餅はカビやすく、花は摘みどきがあって、待ってはくれない」
「やっと摘み終えて振り返ってみると、いつの間にか、また新しい花が咲いている」
「梅雨の雨は容赦なく降り注ぎ、時には仕事が深夜に及ぶこともある」

今回、タエ子が山形にやって来たのは梅雨時のようだ。そしてタエ子は、去年は稲刈りを手伝ったと言っていた。稲の収穫は秋のはずだから、そうすると、タエ子は半年も間をおかずに、この農家に野良仕事をしに来ているということか。

タエ子は言う(ナレーション)。
「あっという間に一日一日が経ち、私は快く疲れ、遠い昔の『花摘み乙女』の身の上を思った」
「もし子どもの時、こんな手伝いをやる機会があったら、読書感想文なんかじゃなくて、もっと生き生きした作文が書けたのに──」

作業を終えたタエ子が、軽トラ(このクルマはナンバープレートが黄色だ)の荷台に乗って、農家(本家)に帰って来た。そこでは娘のナオコが、高価なプーマの靴を買ってくれと親にねだっている。それを見て、「小学5年生の私」を山形に連れてきているタエ子は、よみがえる自身の「10歳の頃」と向き合ってしまった。

……着るものにしても持ち物にしても、姉たちの“お下がり”しか回ってこない(と感じている)小学生のタエ子。ほしいと思っているエナメルのハンドバッグも、次姉は、なかなかタエ子におろしてくれない。そして、家族で食事に出かける際にダダをこねすぎ、果ては裸足で玄関の外に飛び出して、いつもは優しい父に平手で頬を張られてしまった。

この記憶とエピソードを、トマトを収穫しながら(これはたぶん夕食用だ)タエ子はナオコに語っている。
「お出かけは、もちろん中止。ほっぺたが腫れて、タオルで冷やしたんだけど、いつまでもジンジン痛むの」

「お父さんに叩かれたの、 それが初めて?」
「うん。初めてで終わり。一回だけ」
「ふーん……。あたしなんか、時々でもないけど、何回かあるよ」
「一度だけだと、じゃあ、どうしてあの時って考えちゃうのよね」

ナオコと二人で歩きながら、タエ子はふと見つけたカタツムリを手に取って、自分の手の甲に載せた。
「でも、タエ子姉ちゃんが子どもの頃ワガママだったなんて、信じられない」
「ワガママでね。好き嫌いもタマネギだけじゃなかったし」
「ああ、なんだかあたし、安心しちゃった(笑)」
そしてナオコは、タエ子に耳打ちする。
「あたし、プーマの靴あきらめる」
「えらい! じゃあ、お小遣い、奮発しちゃおうかな(笑)」

二人が戻った本家の中庭には、スバルが駐まっていた。トシオが来ているようだ。水で冷やしてあったキュウリを囓ったトシオは、「タエ子さん。明日、蔵王へドライブに行きませんか、息抜きに」と誘った。
「山寺は去年行ったって聞いたから。あっ、先に本家のOK取って来た」
「まあ」
タエ子は嬉しそうに笑みを返す。

(つづく)

○フォトは山形・高瀬地区の紅花畑。web「やまがたへの旅」より。
 
◆今回の名セリフ

* 「牛もニワトリも飼ってるけど、イネだってリンゴだってサクランボだって、生きものでしょ」(トシオ)

* 「生きもの自体が持っている生命力を引き出して、人間はそれを手助けするだけっていう、カッコイイ農業のことなんです」(トシオ)

* 「花餅はカビやすく、花は摘みどきがあって、待ってはくれない」「やっと摘み終えて振り返ってみると、いつの間にか、また新しい花が咲いている」(タエ子)

* 「一度だけだと、じゃあ、どうしてあの時って考えちゃうのよね」(タエ子)

* 「あたし、プーマの靴あきらめる」(ナオコ)
Posted at 2016/08/30 21:09:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年08月30日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.07 シビックRS

【 70's J-car selection 】vol.07 シビックRSシビック1200RS SB1(1974)

もし、1970年代前半のオイル・ショック(第一次石油危機・1973年)が無かったら、このモデルは、もっと華やかな生涯を送れたのではなかったか。ベース車からしてかなり俊敏だったシビックに加わった新バージョンだったが、デビュー当時はちょうど石油危機の真っ最中。日本中がいろいろな意味での“自粛”モードになっていて、そんな時に登場することになってしまったのが、この仕様(RS)だった。

「RS」というのは何、どういう意味ですか?……と世間様から問われることを想定したのか、メーカーは何と、それは「ロード・セイリング」ですという答えを用意していた。もちろん開発陣にとっては、そんな“ふやけた”意味合いの追加仕様ではなく、スピリットはハッキリ「モータースポーツ」。「R」はレーシングで、「S」はスポーツだったと、当時のスタッフは証言する。

ゆえに、エンジンはシリンダーヘッドを“全交換”してツインカムにする予定だったし、タイヤのサイズも上げて、さらにワイドにするというプランもあった。しかし、この点についても、当時の社会情勢が関与してきた。後付けオーバー・フェンダーと「暴走族」はリンクしている。これがその頃の“当局”の判断で、「RS」はタイヤのサイズアップというチューンを行なうことができなかった。

……「ロード・セイリング」という言葉の範囲内で作られた「RS」は、シビックより“ちょっとだけ速い”クルマとしてまとめるしかなかった。いろんな意味で中途半端なモデルになってしまったと開発陣は述懐するが、それでも、人気のシビックに加わった新バージョンとして注目され、レア物としてのポジショニングも得て、今日に至っている。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/08/30 04:43:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年08月29日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《4》

映画『おもひでぽろぽろ』の「スバルR-2」が絶妙だ! 《4》トシオとタエ子がクルマに乗る際に、トシオは何故、まずトランクやリヤゲートを開けて、タエ子の荷物を収めることをしなかったか。それは言うまでもなく、このクルマ(R-2)がリヤエンジン車だからである。車体の後部は“ボンネット”というかエンジンルームで、トランクやカーゴ・スペースではない。

また、迎えた人(VIP)をクルマに乗せるのに、何故、助手席側のドアを開けて、タエ子を先に乗せなかったか。キーレス・エントリーとかドアロックの一括オン・オフとか、そんなワザはカゲもカタチもなかった時代。ドライバーがまず運転席に乗り込んで、室内側から助手席のドアロックを外す。これはクルマを使う際の割りと一般的な習慣だった。

……ああ、それにしても「R-2」とは! この場面にこのモデルが登場したことで、観客は、この映画とその登場人物について、かなりの情報を手に入れられる。そのくらいに、このクルマは「雄弁」だ。

まず、この物語の「現在」が1983年であることは、既に確認できている。そうであるなら、トシオはかなり“物持ち”のいい青年ということになる。スバルの「R-2」は1969年のデビューだが、1972~73年にはモデルとしての生涯を終えていた。つまり、トシオが乗ってきたのは、10年以上前に作られた軽自動車だった。(小さなサイズで白色の軽乗用車用ナンバーが付いている)

オヤジのクルマは借りられなかったので……と言ったトシオだったが、もし、タエ子を“普通のクルマ”で迎えに来たかったのなら、父親以外の誰かからクルマを借りることもできただろう。トシオは、気に入っている「スバルR-2」で、タエ子を迎えに行きたかった。

タエ子はクルマには詳しくないだろうが、それでも、トシオが乗ってきたクルマが新車状態でないことはわかったはずだ。そして、自分の送迎のために、何かリッパなクルマを手配していたとか、そういうことでもなかった。きっとこの人は、いつもの等身大の「トシオ」のまま、いま、ここにいる。そんなことも、タエ子は直感したのではないか。

たとえばの話だが、この時トシオが、同じスバルの軽自動車でも「名車」の誉れ高い、あの「スバル360」(テントウムシ)で迎えに来たらどうだっただろうか? そして(これは少し後のシーンでわかることだが)その「名車」で走りながら、自分は有機農業をやるんです!と熱く語ったりしたら? 

しかし、そうした展開を見せた途端に、物語はかなり“重く”なると思う。何より「名車360」は造形的なアピール度が強烈なので、画面に登場するだけで観客の視線を奪う。たしかに単独でも「絵」になるカッコいいクルマではあるのだが、それはコンセプトでも造形でも主張性がきわめて高いということ。そうした“過剰なまでの個性”は、物語世界の成立にはむしろ邪魔になるのではないか。

トシオが「さり気ないクルマ」(R-2)で迎えに来て、そして、何も言わずにタエ子がそれに乗り込んだ。この一連のシーンは、この映画全体のモード、そしてトシオとタエ子の関係性を一気に明らかにする。映画でのクルマはこのくらいに「雄弁」で、そのことを制作者側はよく知っていた。この作品における「1983年時点でのスバルR-2」は、小道具としてもシナリオとしても、これ以上はない絶妙の車種選択であった。

ちなみに、1958年に登場したスバル初の軽自動車「360」(愛称テントウムシ)だが、これは航空技術者が精魂込めて作った意欲的かつ歴史的な「名作」で、自動車博物館にはよく似合う。ただ、決して「実用性」が高いクルマではなかったはずで、たとえばトランク・スペースはこのクルマには存在しなかった。

スバルの名車「360」は、一般大衆が日常的に使うクルマとしては、やっぱりちょっと前衛的でありすぎたのだ。そしてスバルもまた、そのような評価と判断を行ない、ゆえに直系後継車としての「R-2」(リヤエンジン車のセカンド・ジェネレーションという意味のはず)は、敢えて「平凡」に仕立てる作戦を採ったと見る。

地上の航空機のような「360」から一転して、「R-2」の車体ではスクエアな造形を採用、室内空間も稼いだ。また、フロントにはトランクも設定した。ただし、メカとしての「360」には自信があったから、「R-2」でもそのまま適用した。これがスバルR-2のコンセプトだったのではないか。

ただ、「平凡」ではあったが、「R-2」のデザインはとても良くまとまっていたと思う。リヤエンジン車なのでフロントにラジエター・グリルを設ける必要がなく、結果として余計なものがない「顔」は、とても穏和な印象になる。その無表情さが牧歌的な雰囲気を醸し出し、日本の農村の景色にも静かに溶け込む。

(映画の中の「R-2」は、車種を特定したくなかったのか、実車のフルコピーではなく、フロントのノーズ部分にあるバッジがおそらく意図的に外されている。ただ、それによって、フロントマスクのホノボノ感はいっそう増したと思う。……ということなので、この作品でのトシオのクルマは、スバルR-2の雰囲気をたっぷり湛えた小さなクルマ、カテゴリーはおそらく軽自動車。これが映画としての正しい見方であるかもしれない)

さて、映画に戻ろう。二人はR-2の車内に収まり、そして、トシオがエンジンを掛ける。すると車内に民族音楽風の音が流れ出し、トシオは慌てて、カセットデッキのボリュームを絞った。「あっ、つけでおいていいですか」と許可を求めるトシオ。たぶん彼は、スバルで走っている時は、いつもこの音楽を聴いているのだろう。

そして、さあ出発!という段になって、トシオは発進でエンストさせてしまう(AT車ではない)。いつもと違って他人を乗せていて、そして乱暴な発進だけは避けようと、アクセルを踏むのを遠慮しすぎたのか。

未明の街を、ヘッドライトを点けたスバルR-2が走る。その車内で、タエ子が質問する。
「珍しい音楽ですね」
「ハンガリーの、ムジカーシュっていう5人組」
「詳しいんですか?」
「ちょっとね。百姓の音楽、好きなんです。俺、百姓だから」

そしてトシオは、訊かれてないことまで喋り始めた。
「去年、稲刈りのあと、本家で酒盛りやったでしょう」
「あっ、ああ……」
「あんとき、若い連中がドヤドヤって顔出したでしょう。……覚えてないかな。実は若い娘が東京から来たっていうから、覗きに行ったんですよ。俺、その中の一人、へへへ(笑)」

そんなトシオは、脇道からトラックが出て来たのに気づかず、驚いたタエ子が悲鳴をあげた。慌てて、ステアリング操作でトラックを避ける青年。スタート時のエンストといい、そしてこのトラックの件といい、トシオは助手席にタエ子を乗せたことで、自分では気づかぬまま、明らかに少しハイになっている。

(つづく)

◆今回の名セリフ

* 「百姓の音楽、好きなんです。俺、百姓だから」(トシオ)

* 「……覚えてないかな。実は若い娘が東京から来たっていうから、覗きに行ったんですよ。俺、その中の一人、へへへ(笑)」(トシオ)
Posted at 2016/08/29 05:13:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年08月27日 イイね!

【スポーツ column 】ベースボールは「国際化」しない… 《3》

……あれ、ハナシが「幕末」から「ジェロニモ」にまで逸れてしまった。ともかく、全米各地で自然発生的に始まったベースボール(の原型)は、人々がプレーする広場ごとに、それぞれルールや決め事があった。これが草創期の実状だったと想像する。

そして、各地のシティやタウンでベースボール・ゲームが行なわれ始めた頃は、それを競技する「場」もさまざまだった。そのサイズにしても、市街のワンブロックの大きさは「街」によって違うだろうし、空き地の広さやカタチ、それをベースにしたボール・パークの形状などもいろいろであったと思う。

1869年にシンシナティに誕生したアメリカ初のプロ・チーム、「シンシナティ・レッド・ストッキングズ」(後のシンシナティ・レッズ)は全米を転戦して回ったそうだが、彼らは訪れる街ごとにボール・パークの形状や広さが異なることを体感しつつ、各地で試合をしていったのではないか。

そして、来訪してきたシンシナティ・チームと、ホームタウンの野球チームとの対抗戦。それが「できた」ということは、基本的なベースボールの統一ルールは、1869年時点でほぼできあがっていたのだろう。

「21点先取」でゲームが終わるのではなく、3ダウンで攻守が交代して、9イニングの表と裏での獲得得点を競うなどのルールは、1857年には既にできあがっていたようだ。また、初期には「8ボール」や「7ボール」で打者が一塁へ歩いたが、それが「5ボール」になり、そして今日の「4ボール」となったのは、シンシナティ・レッドストッキングズの創立から20年後(1889年)だったという。

また、バッテリー間の距離は、当初の50フィートから、1893年に60フィート6インチ=18・44メートルになった。何で、せっかく改定したのに、60フィートにプラス「6インチ」というハンパが付いているのかというと、60フィートに決まったというメモの「60・0」を、実務担当者が「60・6」と見誤った。以後、その「プラス6」がずっと踏襲されているという、ウソのようなハナシが伝わる。でも、これはたぶんホントのことなんだと思う。

ちなみに「6インチ」とは、約15センチほど。仮に、既にマウンドを造ってしまった後でも、それを「60フィート」に修正するのは、そんなにむずかしいことではなかったとも思うが、そうなったら今度は「何故、60フィートぴったりでなければならないんだ?」という反問が出現して、それには誰も答えられなかった。案外そんな理由で、「60・6」が生き残ってしまったのではないか。

さて、こうして塁間やバッテリー間の距離など、つまり「内野」に関しては厳密な数値も含んでルールの整備が行なわれていったが、「外野」とその奥というか、ベースボール・パーク(球場)の広さやサイズを統一しようとは、やっぱり、誰も思わなかったようだ。ボール・パークの仕様(スペック)なんて、「その街なり」でいいんじゃね?……この彼らの大らかさには、アキレを通り越してちょっと感動する。おもしろい国ですね、アメリカって!(笑)

前にも書いたことだが、外野の塀を越えたショット(ホームラン)は、それだけで「1点」が入る。その塀までの距離が違うというのは、サッカーに例えるなら、地区やピッチによってゴールマウスの大きさが異なるのに近いとさえ思うが、対戦する2チームが同じ条件でゲームをしているのなら、それは何の問題もない。これがおそらくアメリカ流、そしてベースボール的なルールの解釈と判断なのではないか。(なんか、少しずつ彼らの感覚がわかってきたような……笑)

ベースボールにおける、そうした自由さと「不揃い」は、アメリカがそもそも「合州国」であることと関係があるかもしれない。州境を挟んで、法律や慣習が変わるのは当たり前。軍事的にも「州」が独自の州兵を持っていたりするというのは、“超・中央集権国家”の民である現今の私たちには、なかなか想像しにくい部分である。
(ただ、これって実は「明治以後」百数十年のことで、江戸時代にはこの国も「合邦国」だった。江戸期の人々が「くに」と呼んでいたのは、それぞれのお殿様が治める「藩」のことだった)

フッと思うのは、アメリカ人にとってのベースボールは「競技」というよりも、カテゴリーとしては「遊戯」(エンターテインメント)に属しているのではないかということ。競技 → 闘い → 作戦・戦略 → 戦争……というようなラインの上に、ベースボールはどうも乗っていない?

いや、表面的にはベースボールは、この種の用語や言葉で満ちている感がある。ただ、それはいわば表層で、底流というか基本精神のところでは「競技」や「戦争」と微妙にズレている気がする。ベースボールは、たとえば、安息日にみんなで踊るフォークダンスとか、週末のカントリー・ミュージックのジャンボリーで家族バンドが歌っているとか。スピリット的には、コッチ(エンタメ)方面に属するゲームなのではないか。

そして、技術的な頂点ということでは、野球ではメジャー・リーグ、エンタメではブロードウェイのミュージカル。この二つが「テクニカル」な意味でのアメリカのツインピークを構成する。この二つは無縁のようで、しかし、アメリカ人のココロの奥深いところではツイン(双子)として肩を並べている……とまで言うと、ちょっと妄想が過ぎるか。

それはともかく、彼ら米人にとってのベースボールは、「競技」である以上に「遊戯」(エンタメ)であって、ベースボールで大切なのは「やる」(プレーする=演る)にしても「見る」にしても、まずエンジョイすること。この基本精神が、メジャー・リーグをはじめとするアメリカのベースボールに受け継がれているように思う。

何より、ベースボールの試合開始に際して、審判が手を挙げつつ(これは宣誓ともつながっているのか)宣言するのは「プレー!」である。つまり「さあ、遊べ」。プレーヤーは、こう言われてグラウンドに出て行く。これから、みんなでボールと戯れる時間だと、グラウンドの両チーム、さらには観客も合意して、ベースボールは始まるのだ。
(「プレー」「プレーボール」は、野球以外のボール・スポーツでも用いられるが)

(つづく)
Posted at 2016/08/27 17:50:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | スポーツcolumn | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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