
市街地を抜け、田園風景の中を行くスバル。車内では、タエ子とトシオの会話が弾んでいる。
「紅花摘みに来たって、染色か何かやってるんですか?」
「いいえ、ただの物好き。ほら、紅花って珍しいでしょ」
「いやあ、名前ばっかり有名でね。とうの昔にすたれた特産品ですから。俺ンとこでも作ってないし」
「でも、江戸時代はスゴかったんでしょう?」
「そう、紅花大尽とかね。儲けた人にはスゴかったんでしょうが、百姓にはただの作物ですからね。……えーと、『行く末は 誰が肌ふれん 紅の花』って知ってますか?」
「ええ。 芭蕉の句でしょ。来る前に調べたから」
「へへ、いや実は俺も一夜漬けで(笑)。その本に書いてあったんですけどね、花摘みをする女たちは、一生にいっぺんだって、紅なんか付けられなかったって」
空が明るくなり、話題が農業のことになって、トシオは「有機農業」をタエ子にレクチャーした。
「オレはね、一生懸命やれそうなんです、農業。おもしろいですよ、生きものを育てるっていうのは」
「酪農の方も?」
「あ、そうじゃないです。牛もニワトリも飼ってるけど、イネだってリンゴだってサクランボだって、生きものでしょ」
「有機農業は堆肥なんか使って、農薬や化学肥料はできるだけ使わない農業」「生きもの自体が持っている生命力を引き出して、人間はそれを手助けするだけっていう、カッコいい農業のことなんです」
タエ子は列車から降りてそのまま、農作業をするための畑に向かっていた。それでいいのかと、トシオは先刻、タエ子に確認している。花畑が見えてきて、クルマは農道へと右折。道は穴ぼこだらけで、そこに昨日降った雨水が溜まっている。右折の際にマフラーから一瞬白いケムリが出たのは、R-2のエンジンが2サイクルだからか。(芸が細かい!)
やがて、周りが黄色い花が一面に咲く花畑になる。タエ子はそこで、農家の人たちの満面の笑みに迎えられた。「タエ子さん、よく来たこと」「よく来た、よく来たなあ!」「疲れてないかあ?」
タエ子は「いいえ、ちっとも」「ほら、元気いっぱい」と応じて、彼らに自身のモンペ姿を見せた。これは列車内で、既に着替えていたようだ。「あれえ、モンペなんか穿いて、張り切ってるでねえの」「いやあ、いまどき、ここらの若妻でもメッタに穿かね。タエ子さんの方が、よっぽど本格的だぁ。ハハハ(笑)」
ナレーション
「こうして、私の二度目の田舎生活が始まった」
「この黄色い花から、どうして、あんなに鮮やかな紅色が生まれるのだろう」
「ひと握りの紅を採るには、この花びら60貫が必要で、玉虫色に輝く純粋の紅は 当時でさえ、金と同じ値段だったという」
作業をしている畑に、朝日が昇った。太陽に向かって、手を合わせるおばあちゃん。タエ子もそれに倣っている。こうして花摘みに始まり、その後の処理や加工など、タエ子は一連の農作業の手伝いをしていく。
タエ子のナレーション。
「いまでは機械を入れたり、いくぶん手間を省いてはいるけれども、こうした作業のすべてを、毎日、花摘みをしながら繰り返す」
「花餅はカビやすく、花は摘みどきがあって、待ってはくれない」
「やっと摘み終えて振り返ってみると、いつの間にか、また新しい花が咲いている」
「梅雨の雨は容赦なく降り注ぎ、時には仕事が深夜に及ぶこともある」
今回、タエ子が山形にやって来たのは梅雨時のようだ。そしてタエ子は、去年は稲刈りを手伝ったと言っていた。稲の収穫は秋のはずだから、そうすると、タエ子は半年も間をおかずに、この農家に野良仕事をしに来ているということか。
タエ子は言う(ナレーション)。
「あっという間に一日一日が経ち、私は快く疲れ、遠い昔の『花摘み乙女』の身の上を思った」
「もし子どもの時、こんな手伝いをやる機会があったら、読書感想文なんかじゃなくて、もっと生き生きした作文が書けたのに──」
作業を終えたタエ子が、軽トラ(このクルマはナンバープレートが黄色だ)の荷台に乗って、農家(本家)に帰って来た。そこでは娘のナオコが、高価なプーマの靴を買ってくれと親にねだっている。それを見て、「小学5年生の私」を山形に連れてきているタエ子は、よみがえる自身の「10歳の頃」と向き合ってしまった。
……着るものにしても持ち物にしても、姉たちの“お下がり”しか回ってこない(と感じている)小学生のタエ子。ほしいと思っているエナメルのハンドバッグも、次姉は、なかなかタエ子におろしてくれない。そして、家族で食事に出かける際にダダをこねすぎ、果ては裸足で玄関の外に飛び出して、いつもは優しい父に平手で頬を張られてしまった。
この記憶とエピソードを、トマトを収穫しながら(これはたぶん夕食用だ)タエ子はナオコに語っている。
「お出かけは、もちろん中止。ほっぺたが腫れて、タオルで冷やしたんだけど、いつまでもジンジン痛むの」
「お父さんに叩かれたの、 それが初めて?」
「うん。初めてで終わり。一回だけ」
「ふーん……。あたしなんか、時々でもないけど、何回かあるよ」
「一度だけだと、じゃあ、どうしてあの時って考えちゃうのよね」
ナオコと二人で歩きながら、タエ子はふと見つけたカタツムリを手に取って、自分の手の甲に載せた。
「でも、タエ子姉ちゃんが子どもの頃ワガママだったなんて、信じられない」
「ワガママでね。好き嫌いもタマネギだけじゃなかったし」
「ああ、なんだかあたし、安心しちゃった(笑)」
そしてナオコは、タエ子に耳打ちする。
「あたし、プーマの靴あきらめる」
「えらい! じゃあ、お小遣い、奮発しちゃおうかな(笑)」
二人が戻った本家の中庭には、スバルが駐まっていた。トシオが来ているようだ。水で冷やしてあったキュウリを囓ったトシオは、「タエ子さん。明日、蔵王へドライブに行きませんか、息抜きに」と誘った。
「山寺は去年行ったって聞いたから。あっ、先に本家のOK取って来た」
「まあ」
タエ子は嬉しそうに笑みを返す。
(つづく)
○フォトは山形・高瀬地区の紅花畑。web「やまがたへの旅」より。
◆今回の名セリフ
* 「牛もニワトリも飼ってるけど、イネだってリンゴだってサクランボだって、生きものでしょ」(トシオ)
* 「生きもの自体が持っている生命力を引き出して、人間はそれを手助けするだけっていう、カッコイイ農業のことなんです」(トシオ)
* 「花餅はカビやすく、花は摘みどきがあって、待ってはくれない」「やっと摘み終えて振り返ってみると、いつの間にか、また新しい花が咲いている」(タエ子)
* 「一度だけだと、じゃあ、どうしてあの時って考えちゃうのよね」(タエ子)
* 「あたし、プーマの靴あきらめる」(ナオコ)