
横浜・港南学園のオーナーである徳丸財団の徳丸理事長は、新橋の本社に三人の在校生がやって来たと受付からの報告が上がっても、彼らを追い返す気はまったくなかったようだ。指示通りに四階まで上がってきた三人に、秘書は「社長にはお伝えしてあります。無駄足になるかもしれませんが、それでもよければ、ここでお待ちください」とクールに告げるが、しかし彼女はその後に、待っている三人にお茶を振る舞っている。
会社の中、廊下にある椅子に並んで座っている三人の高校生。その前を、社員たちが忙しく通り過ぎる。その際に彼らが話していることが、観客に「1963年」とその世相を、それとなく示す。たとえば、上司と社員が「パンといえば木村屋だろう」「中村屋もイケますよ」と言いながら歩み去った。これは、当時の旨いアンパンを巡っての談義だったのではないか。
そして「それは、あたり前田のクラッカーよ!」とは、テレビ番組の真似というか引用である。スポンサーの製菓会社名(前田製菓)と台詞の「あたりまえ」を繋げたもので、フルバージョンは「俺がこんなに強いのも」の後に、「あたり前田の──」と続くもの。これは、その頃の大ヒット番組、「てなもんや三度笠」の名物シーンのひとつだった。
そんな待ち時間の後で、ついに社長室のドアが開いた。「キミたち、入りたまえ」。自ら招き入れた徳丸財団の理事長は、電話をしながら、三人には「そこに座って」と言い、「すまないが、ちょっと待ってくれ」と、社員の方を待たせる。
高校生と向き合った理事長は、まず、「キミたち、学校はどうしたのかね?」と訊いた。すかさず、風間俊が「エスケープしました!」と応える。それを聞いて、豪快に笑う理事長。「エスケープか、俺もよくやったなあ(笑)」
そして理事長は、すぐに本題に入った。「今日は、清涼荘の建て直しの件だね」。「理事長にカルチェラタンをひと目見ていただきたく、直訴に参りました。一度、いらしてください」と訴える風間と水沼。理事長は、もうひとりの女子生徒にも声をかける。
「キミは、何年生?」
「二年です。松崎海と申します。“週刊カルチェ”のガリ切りをやっています」
「キミはどうして、清涼荘を残したいの?」
「大好きだからです。みんなで一生懸命、お掃除もしました。ぜひ、見にいらしてください」
「お掃除か。お父さんのお仕事は?」
「船乗りでした。船長をしていて、朝鮮戦争の時に死にました」
ここで映画は、機雷に触れた(らしい)輸送船が爆発して炎上するシーンを映し出す。それに続いて、沢村雄一郎が親友三人と一緒に撮った記念写真。そして、松崎海の家族写真が映るが、その写真には父が欠けていた。
徳丸財団の理事長は、一瞬の間を置き、少しかすれた声で、短く訊いた。
「LST?」
「はい」
「そうか。お母さんはさぞご苦労をして、あなたを育てたんでしょう。いいお嬢さんになりましたね」
高校生と理事長の“質疑応答”は、そういえば、これだけだった。結論を出した理事長は、立ち上がりながら言う。「わーった、行こう!」。呆気にとられつつも、何とかお礼の言葉を述べる水沼と風間。「ありがとうございます」
理事長は電話で、明日の予定を確認し、いくつかの予定を変更する指示を出して、午後の時間を空けた。「よし、明日の午後に行きます」「校長さんとも話をつけて、正式に見学に行きます」
映画は、この後すぐに新橋駅前のシーンになる。飲み屋が並んでいるあたりを歩く三人の高校生。
水沼「いい大人って、いるんだな」
風間俊「まだ、わからないよ」
松崎海「でも、よかった!」
新橋の街には、坂本九が歌う「上を向いて歩こう」が流れていた。地下鉄の入り口が見えてくると、水沼は気を効かせたつもりか、「俺、神田の叔父のところに寄って行くわ。じゃ、明日」と言って、ひとり地下鉄へと向かう。
さて、ここでまたひとつ、この映画の“ナゾ”が浮上した……かもしれない。何故、徳丸理事長は、三人と大した話をしていないのに、横浜まで“カルチェラタン”を見に行く約束をしたのか?
理由のひとつは、松崎海が言った「お掃除」だったように思う。あの「清涼荘」を本気で清掃したら、いったいどんな状態になるものか。当事者の女子生徒が「大好きだからです」と言っていた“カルチェラタン”の現在の状況、それをちょっと見てみたい。理事長に、そんな好奇心が湧き起こった。
そしてもうひとつは、松崎海の父のことだっただろう。何気なく、その職業を尋ねた時に、少女は、こんな答を返した。(父は)「船乗りでした。船長をしていて、朝鮮戦争の時に死にました」。この後、理事長は短い言葉で松崎海に訊き、それに海が一語で答えた。「LST?」「はい」
(朝鮮戦争で亡くなった? この女生徒の父は米国人なのか? いや、外貌からはそうは見えない。すると、日本人なのに“あの戦争”で? しかし、戦後の日本には原則として“軍人”はいないはず。そして少女も「船乗り」という言葉を使っていた。すると、民間人としての日本人が“あの戦争”で亡くなった? ……あ! )
キーワードは、朝鮮戦争、日本人の死、そして「LST」だった。
(つづく) (タイトルフォトは「松崎海」、スタジオ・ジブリ公式サイトより)
Posted at 2016/12/08 18:07:42 | |
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クルマから映画を見る | 日記