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家村浩明のブログ一覧

2016年10月05日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.18 シャレード

【 70's J-car selection 】vol.18 シャレードシャレード G10(1977)

1960年代の「ベーシック車」は、エンジンの排気量が800~1000ccであることが多かった。日本の場合、本当のベーシックとして軽自動車という別ジャンルがあり、このエンジンが当時は「360cc」。軽ではない普通車の「ベーシック」としては、これとの区別をまず明らかにしたいということがあっただろう。

しかし、エンジンが大きすぎると、今度はベーシック車にならない。そこから、税制の区切りとも絡んで、エンジンは「1000cc」を上限にするという考え方がひとつ生まれたようだ。そういえば、1960年代にデビューしたファミリア、コルト、スバルなどはすべて、自社で既に軽自動車を作っていたメーカーによるものだった。おそらく、「360ccと1000cc」という対比あるいは位置づけが、社内的にも販売面でもひとつの落としどころだったのではないか。(三菱は軽自動車でなく、普通車の「500」だったが)

そして、そんなベーシック&コンパクト戦線に、当時の二大メーカーのトヨタとニッサンが参加するのが“大衆車元年”と呼ばれた1966年のこと。この時に、ニッサンはサニーを1000ccでまとめたが、トヨタとカローラは「100ccプラス」にするという戦略を採った(注1)。

その「増量」が販売的な大成功を生んだため、カローラ以後はベーシック&コンパクトが「1000cc」であるという暗黙の枠組みが崩壊した。各車は揃って排気量の拡大を行ない、新たな“アッパー・ベーシック”(?)としてのエンジンが1300~1500ccになってしまったのが1970年代の半ばだった。

こうなると、さすがに軽自動車(360cc)との差が付きすぎる。それを補うための“新ベーシック”もいくつか生まれていたが(パブリカ→スターレット)、そんな状況の中、もう一度1000cc車、つまり「リッター・カー」にこだわってみるとして、この新型車は登場した。

そしてこのクルマは、エンジンの排気量だけではなく、その基本レイアウトにも「新しさ」がいっぱいだった。エンジンはさらなるコンパクトさを求めて3気筒、それを横置きに搭載し、同時に前輪駆動(FF)としていた。ふと気づけば、トヨタ&ダイハツ・グループとしては初の市販FFであり、ダイハツ・ブランドだからこそ“やれた”チャレンジと提案だったのかもしれない。(トヨタの自社ブランドが「FF化」されるのは、1978年のターセル/コルサが最初)

「ダイハツ・オリジナル!」という意欲とスピリットに充ちたこのモデルは「シャレード」と名付けられ、FF化によるスペース・ユーティリティ(室内の広さ)もさることながら、その清新なデザインでも注目された。このシャレードは以後、“軽ではないダイハツ車”としての独自のポジションを築き、同社の基幹車種のひとつとなっていく。(ただし、シャレードが「リッター・カー」にこだわったのは二代目までで、三代目からは「1・3リッター級」にその戦線を移していくが)

○注1:1966年にカローラが1100ccで登場したのは、同社には既にパブリカというベーシック車があり、そのエンジンが700ccだったということがあるかもしれない。パブリカとは(車格が)違うという主張をするには、1000ccでは“近すぎた”のだ。一方、サニーの場合は、兄貴分である1300ccのブルーバードとの違いを示すには、やはり1000cc以下である必要があったのではないか。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/10/05 01:59:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年09月30日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.17 カローラ・レビン

【 70's J-car selection 】vol.17 カローラ・レビンカローラ・レビン TE27(1972)

トヨタのコンパクト・スポーツ「レビン/トレノ」の“先祖”で、登場は1972年。もちろん当時のことであり、駆動方式はFR。そういえば、1970年代前半のトヨタ車は、最小のスターレットでもFR方式で、1978年のターセル/コルサのエンジン縦置き+FFの登場まで、コンパクト車であっても前輪駆動方式はなかった。

このレビンだが、カローラ・シリーズにはそれまで、愉しめるスポーティ機種として「SR」というグレードがあり、《走り》重視のユーザーには人気の仕様になっていた。そんな素地があったところに、このレビンが一気にSRの数段上を行くモデルとして出現して、マーケット&カスタマーを驚かせた。兄貴分に当たるセリカ用、そのツインカム・ユニットである「2T-G」を小さくて軽量なカローラに搭載する。これはそういうコンセプトのメーカー製“チューンド・カー”だった。

もちろん、総合的なパフォーマンスとしてはスカイラインGT-Rの比ではなかったかもしれないが、しかし、当時はツインカム(DOHCエンジン)がそもそも稀少。そうした“特別性”と合わせて、小さなクルマながら圧倒的な加速感を持つこのレビンのインパクトは、オーバー・フェンダーで武装した外観とともに、GT-Rに匹敵するものがあったのではないか。このオリジナル・レビンの好評が、あの「AE86」の人気にもつながっていく。トヨタのコンパクト車史上に燦然と輝く“ベビー・ギャング”、それがこの初代カローラ・レビンなのである。

○フォトはトヨタ博物館にて。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/30 21:06:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年09月28日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.16 コスモAP

【 70's J-car selection 】vol.16 コスモAPコスモAP CD23(1975)

「コスモ」とは、世界で唯一マツダだけが量産化に成功したロータリーエンジン搭載のスポーツカーに与えられた名だった。1967年に登場したその2シーター車は、路上の宇宙ロケットといった風情の超・低姿勢な造形で、同時に、エンジンが(コンパクトな)ロータリーだとこんな流麗な格好も可能なのか!……という、そんな驚愕と衝撃に充ちた未来的なクルマであった。

その後、近年ではユーノス・コスモが記憶に新しいが、「コスモ」はスポーツカーからスペシャリティ・カーのための名前になった。(スポーツカーには、メーカーは「RX」系を用意した)1975年のこのクルマが、そんな“スペシャリティ・コスモ”としての原点になる。

ただ、1960年代の“初めてのコスモ”の鮮烈な印象とともに、このクルマを見ると、スポーツカーとスペシャリティ・カーは違うものなのだと、いくらアタマで納得しようとしても、この“スペシャリティ・コスモ”は、どうしても鈍重に見えた……かもしれない。もちろん、その意味や「こだわり」にちょっと窮屈なところもある「スポーツカー」ら脱して、広い世界で伸び伸びと“スペシャリティしたこのモデルの、豊かさや多用途性を歓迎した人々も一方でいたはずだが。

さて、このクルマでは、コスモの後に付けられた「AP」というが、ちょっと気になるところである。これは「アンチ・ポルーション」、すなわち低公害車の意で、実は1970年代の前半は、クルマのエンジンを「低公害化する」ために各メーカーがシノギを削った“技術の時代”でもあった。

そんな難問に、ロータリー・エンジンならそれをクリアできる!……として、メーカーが送り出したモデル。それがこの「コスモAP」だった。作り手として、その時代の「最先端モデル」には、いつも「コスモ」という名を与える。この意味では、メーカーの姿勢は1960年代も1970年代も、まったくブレていなかったということになる。

この車名には、もともと窒素酸化物(NOx)が少ないロータリー・エンジンの特質を活かして、他社に先駆けて排ガス規制をクリアした誇りが込められていた。ネーミングの話が多くなってしまったが、「コスモ」であれ「AP」であれ、どちらでもキモになっていたのは、やはり「ロータリー・エンジン」……。これは、やはりマツダのIDで、そして、日本工業界の「適用」技術の高さを自動車史に刻んだモニュメントである。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/09/28 06:18:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年09月26日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』とスバルR-2 ~ あとがき的なメモ 《2》

「ラブ・ストーリー」という前提でこの映画を見ると、実は、この映画には「恋している」人物が一人も登場しないので、逆にわかりにくくなってしまうように思う。まあ、本家のばあちゃんが見破っていたように、トシオはタエ子に「惚れちゃってる」かもしれないが、しかし彼は、自分ではそのことを認めていない。またタエ子にしても、トシオとの触れ合いで、自分がいろいろ変化したことは知っても、それが「恋」だとは思っていない。

ただ、人が(自分以外の)誰かと接触して、その結果、もし、その人のトラウマが消えたのだとしたら、これは大変なことである。物語の後日談として、タエ子がいったん東京に戻り、とくに「アベ君」の件で、自分がずっと抱えてきて、しかし処理できなかった「過去」の記憶(トラウマ)が、もう辛いものではなくなっている。そして、それがトシオによってもたらされたことに気づく。

その時、タエ子にとってのトシオが、“好きになった人”以上のかけがえのない存在であることがわかって、タエ子は以後の生活を、トシオとともに山形で過ごすと決めるのではないか。ある人が他者に対して、「恋愛以上」の関係になっていく。これはラブ・ストーリーを超えた、そんな人生のパートナーとの出会いを描く映画でもあった。

さり気ないが、「もう、5年生の私は連れて来ないから」とは、あなたのおかげで、私のトラウマは消えたのです……というものすごい「告白」だ。人としての歓び、そういう他者に出会えた嬉しさの言葉でもある。そして、こんな人には滅多に出会えないとわかったタエ子は、多少の紆余曲折はあっても、いずれトシオと結婚するだろう。

        *  

それにしても、繰り返しではあるが、この映画の「スバルR-2」は絶妙だ。このスバルと同時期、1960年代後半から1970年代に登場したモデルを並べてみても、キャスティングとして、「スバルR-2」以上にこの映画に似合うクルマは見当たらない。

たとえば、ホンダN360、ホンダZ、スズキのフロンテ、ダイハツ・フェローなど。これらはみな、他車に対する「敵愾心」を剥き出しにした格好をしていて、スバルのようなホノボノ感に乏しい。有機農業に秘かに意欲を燃やす青年の持ち物とは違う感じだ。

その意味ではホンダ・ライフ(1971年)はまあまあだが、ただ、このクルマに1983年まで、ずっとこだわって乗ってるかとなると、ちょっと「?」も付く。……かと言ってステップ・バンでは、今度は乗り手が素直な人に見えず(笑)、自称・百姓のトシオのクルマには相応しくない。

初代(1966年)のサニー1000、そのセダンなら? ……うん、これはいいかもしれないね。ただ、サニーだとちょっとスポーティすぎて、トシオが「気に入ってるんです」ということの意味が、走り屋とかカー・マニア的な方向に振れてしまう感はあるが。

じゃあ思いきって、スバル・サンバーでは……というと、これは「農事車」としてリアルに過ぎるのではないか。このクルマなら、どこの農家でも壊れるまで乗るだろうから、トシオが「気に入っている」理由がわかりにくいし、1983年まで使い続けている彼の「こだわり」も観客には伝わらない。

……というわけで、トシオの愛車は、やっぱり「スバルR-2」以外にないということになるのだが、しかし! よくぞまあ、このクルマをキャスティングしたもの。スタジオ・ジブリの「クルマを見る目」に、改めて脱帽だ。

そしてもうひとつ、この映画は「実写」ではないことを活かし、ゆえにクルマを巧みに小道具として使っている。つまり、アニメーション(絵)なので、クルマを自由に「抽象化」できる。これまでアニメ映画を見てこなかった「実写派」として、これは大発見だった。

アニメは、普通の映画と違って、実車を画面で映すわけではない。そこから、この映画がやったように、フロント・ノーズ部分のバッジを取り去って、R-2を「さらにR-2らしくする」こともできるのだ。実車のフルコピーを画面に出したくなかったという、単にそれだけのことだったかもしれないが、でも、これは映画的にも充分効果があった。

映画の中で、「クルマ」をとても巧く使った。そういう作品として、『刑事ジョン・ブック/目撃者』(注1)のフォルクスワーゲン・ワゴン(タイプ3)と、この『おもひでぽろぽろ』のスバルR-2は、私にとっての双璧である。

(了)

○注1:映画『刑事ジョン・ブック/目撃者』については、本ブログで「最も醜い自動車」として採り上げています。URLは下記です。
 https://minkara.carview.co.jp/userid/2106389/blog/c919227/p8/
Posted at 2016/09/26 05:21:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
2016年09月25日 イイね!

映画『おもひでぽろぽろ』とスバルR-2 ~ あとがき的なメモ 《1》

映画『おもひでぽろぽろ』とスバルR-2 ~ あとがき的なメモ 《1》物語が終わってみると、山形での十日間を終えて、東京へ戻ろうとするタエ子が電車に乗る寸前に言った「ごめんなさい。今度は大丈夫。もう『5年生の私』なんか連れてこないから」という台詞は、この映画終盤のキーフレーズだったことに気づく。

そもそもこの物語は、「あなたって、大変な過去を背負って生きてんのねえ(笑)」と長姉のナナ子に言われてしまう「27歳のタエ子」が、自身の「過去」(トラウマ含む)を道連れに、山形に旅することで始まる。

「私は今度の旅行に、小学校5年生の私を連れてくるつもりはなかった」
「でも、一度よみがえった10歳の私は、そう簡単に離れていってはくれないのだった」

……と、山形行きの寝台特急車内で語っていたタエ子。そんな彼女が山形入りして十日間が経った後に、「もう『5年生の私』なんか連れてこないから」と呟いて、物語が閉じられる。

この台詞は、見事にラスト・シーンと繋がっている。トシオとタエ子の二人を乗せたスバルについて行こうとする「幻の子どもたち」。しかし、彼らはスバルに追いつくことができない。これは、車内でタエ子が隣のトシオに頼んだからではないか。
「トシオさん、加速して! もっと速く走って!」
この時、タエ子は自分自身に呟いていただろう。(さようなら、小学5年生の私……)

トラウマという語を使えば、タエ子が抱えていたいくつかの「心的外傷」は、田舎という“空気”とトシオ青年の出現によって“溶けて”消えた。トシオはタエ子のトラウマを、「傷」から単なる過去の記憶にしてくれたのだ。

        *

またこれは、「サナギ」の物語でもある。「27歳のタエ子」にしつこく付きまとったのが、何故「小学5年生の私」だったか。これはタエ子自身が気がついていたように、それが人にとっての「サナギ」の時期だからであろう。

おそらく人にも、昆虫と同じように「サナギ」の時期があって、それが小学5~6年生、10~12歳の頃ではないか。幼年期と少年・少女期との境目、第一次性徴などフィジカルな変化もあり、また、自意識や社会性といった精神的な部分が急速に拡大する。

「青虫はサナギにならなければ、蝶々にはなれない」
「あの頃をしきりに思い出すのは、私にサナギの季節がふたたび巡ってきたからなのだろうか」

ただ、第一次の「サナギ」期は、おそらく誰もが遭遇するオトナへの通過儀礼だが、その第二期については、それがあるかどうかも含めて、個人差があるのではないか。この映画では、山形へ向かう夜行の寝台車の中で、27歳のタエ子が第二期の“サナギ症候群”に陥ったという設定だ。そして、そんな状態のまま、彼女は山形・高瀬地区で農作業を行ないつつ、小学5年生の時の「おもひで」と向き合う。

この映画でひとつ気持ちがいいのは、そんな過去や自身のトラウマについて語っていくタエ子に、「自己憐憫」の風情がまったくないことである。ねえねえ、聞いてくれる? 私って……といった慰労を求める姿勢では、彼女は自身の「過去」を語らなかった。

たとえば、エナメルバッグ~父に頬を張られた件でも、「かわいそう……」と言ったのは、それを聞かされたナオコの方で、タエ子はきっぱり、子どもの頃は「私はとてもワガママだった」とナオコに告げている。また、学芸会での好演~家族のせいでスターになれなかったという件でも、子役や芸能人には私は向いてなかったと、はっきり二人(トシオとナオコ)に言った。

        *

封印してきた(であろう)自身のトラウマに向き合いながら、しかしタエ子は何故、そんなに逞しくなれたか? それはやはり「田舎」の“空気”と、そこで生き物とともに暮らす(農業に従事する)人々との触れ合いが、タエ子の心身を都会にいるときとは違ったものにしてくれたからだと思う。農作業を実際にすることによる「手」の歓びというか、身体的な快感や達成感もタエ子の背中を押したはずで、タエ子はそんな「田舎」の空気の中で、自身の過去をトシオやナオコに告白していく。

印象的だったのは、タエ子がナオコと一緒に歩きながらカタツムリを見つけ、それを自分の手の甲に載せたシーンだ。東京で、たとえば会社からの帰り道。雨が降って、カタツムリが葉っぱの下に出て来ていたとしても、タエ子は気づかず、また見つけたても、それに触れることはなかったのではないか。

○フォトはweb「やまがたへの旅」より

(つづく)

Posted at 2016/09/25 21:48:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマから映画を見る | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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